第9話 リアの激おこモード
俺とエウラリア嬢の婚約はすぐに発表された。殿下からはスタイルはどうなのかとしつこく聞かれたが、ノーコメントを貫いた。俺の婚約者に会いたいなど言われたら厄介だ。ここは黙っておくに限る。
俺たちの文通もすぐに始まった。エウラリア嬢からは毎回三枚以上の手紙がやって来る。それに対してこちらの枚数はまちまちだ。殿下が何かやらかせばそれをネタに何枚もの手紙を書いたし、特に何もなければ一枚に満たないときもある。
エウラリア嬢は特に殿下のやらかした話が気に入っているようである。一方で殿下の婚約者の話が出ると、露骨にツンツンした手紙が帰ってきた。これは間違いなく嫉妬。それからは一切手紙に殿下の婚約者の話を書くことはなかった。
手紙とともに届ける花束も気に入ってくれているようだった。謝礼とともに、俺のイニシャルが入った刺繍のハンカチが送られてくることもあった。たぶん、エウラリア嬢の手作りだと思う。趣味の一つが刺繍だと言っていた。
そんな手間暇かかるものをもらったのに、手紙だけでお礼をすませるわけにはいかない。それからは、週に一回は菓子折りを携えて、エウラリア嬢のご機嫌をうかがいに行くようになった。
今日はその日。いつものようにエウラリア嬢が好きなお茶菓子を準備すると、いそいそとトバル公爵家へと向かった。
さすがにこの日ばかりは登城できない。残念だ、ああ、残念だ。俺もたまには息抜きが必要だろう。毎日毎日殿下漬けでは身が持たない。今やエウラリア嬢は俺の癒やしスポットだ。
俺がトバル公爵家に通うようになってから、エウラリア嬢の母親とも会った。どうやらエウラリア嬢の胸部は母親譲りのようである。将来がますます楽しみになった。これだけの美少女で胸が大きいとか、反則だと思う。その分、性格に難あり……なのかな?
「フェルナンド様、先ほどからチラチラと、どうされたのですか。いつにも増して落ち着きがありませんわよ」
エウラリア嬢がこちらを見た。つり目の印象からこちらを睨んでいるように見えるが、今では本人にそのつもりがないことを十分に理解している。相変わらずほほは薄紅色に染まっているが、顔全体が赤くなることは少なくなった。
「エウラリア嬢、お願いがあるのですが、聞いていただけますか?」
「え? な、何ですのいきなり。婚約は破棄しませんわよ!?」
まだ何も言っていないのに、強気な発言とは裏腹に、森のような緑の瞳はすでに涙目になっている。手紙の内容を見て思ったのだが、実に想像力が豊かなようである。
「そうではありません。エウラリア嬢、私のことはフェルと呼んでいただけませんか?」
「ふぉあ!?」
何その叫び。新しいな。鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしたエウラリア嬢は、ハッと気がつくと扇子で顔を隠した。耳が真っ赤になっていることから、顔中が赤くなっていることが手に取るように分かった。しまった。やはりまだ愛称で呼んでもらうには早かったか。
「わ、分かりましたわ。そこまで言うのなら、そう呼んで差し上げますわ。私のこともリアと呼んでもらっても構いませんのよ? ふ、フェル様……」
はう! グッときた。グッときたよ、これ。最後は気の抜けた炭酸のようなか細い声だったが、どこか恍惚とした声音だった。自分の顔に熱が集まっているのが分かる。顔から火を噴きそうな勢いだ。
「あ、ありがとうございます。私もそう呼ばせてもらいますよ。……リア嬢」
「はぅう!」
何これ恥ずかしい。ものすごく恥ずかしいんですけど! 周囲にいる使用人たちがニヤニヤとしながらこちらを見ているが、それを直視することも、とがめることもできなかった。俺たちは二人そろって熱が引くのを待った。
「まったく、いきなりそんなことを言いだして、どうなさったのですか? ……フェル様」「い、いやあ、何と言うか、婚約してから半年ほど経過したので、そろそろ次の段階に進んではどうかと思いまして。まだ早かったですかね? リア嬢」
ギクシャクとお互いに名前を呼び合う。早く慣れないといけないな。チラリと見たリアは再びボーナスバルーンのように赤くなっている。
「そ、そんなことはありませんわ。そうですわね。もう半年ですもの。そろそろ次の段階に進むべきかも知れませんわ。次の段階ィイ!?」
目を丸くしてリアが叫んだ。どうしたんだ、リア。一体何を想像したんだ、リア。怒らないから俺に言ってみなさい。
「落ち着いて下さい、リア嬢。その一歩としてフェルと呼んでもらおうと思ったのですよ」
「そ、そうでしたのね。てっきり私はもっと……」
「もっと?」
「な、何でもありませんわ。乙女にそれ以上聞くのは無粋ですわよ……フェル様」
なぜか怒られた。言いだしたのはリアなのに。リアの後ろの使用人たちが必死に笑いをこらえている。どうやら何か事情を知っていそうだな。あとでこっそりと教えてくれないかな。
……ここはもう少し踏み込んでおくべきかも知れない。もしかするとリアは、愛称呼びのその先、初めてのチューくらいまで想像したのかも知れない。あの想像力が豊かなリアのことだ。あり得そうだ。
俺は少し身を乗り出して、リアの小さな両手を握った。俺の行動を予想していたのか、リアは嫌がることもなく、赤い顔でこちらを見つめている。
後ろからは黄色い声が聞こえてくる。何だろう、すごく気が散る。リアの手はほんのりと温かかった。
静かにリアが目を閉じたそのとき。
「エウラリア、何かあったのか? 今、叫び声が聞こえたが……アッー!」
その瞬間、手を取り合っていた俺たちは、侍が間合いを取るかのようにパッと離れて立ち上がった。イスがバタバタと倒れる。さいわいなことに、テーブルが転倒することはなかった。
リアの両目が恐ろしいほどつり上がった。初めて見るリアの激おこモードである。うっすらと背後に怒りのオーラが見えるような気がする。
それを見たトバル公爵は青い顔をして一歩あとずさった。
「お父様?」
「いや、違う、違うんだエウラリア! そうだ、私に構わず遠慮無く続きをやりたまえ」
「何が『そうだ』ですのー!」
その日、大魔神エウラリアは通常モードに戻ることはなかった。何事かとやってきたリアのお母様も、使用人の話を聞くと同じく大魔神になってトバル公爵を怒った。似たもの親子である。
ああなると怒りが収まるまでどれほどの時間がかかるか分からないと使用人に言われ、俺はそのままおいとますることになった。
後日、トバル公爵から謝罪の手紙が届いた。ところどころにぬれた跡があるのは涙の跡だろうか?
リアを怒らせてはいけない。絶対にだ。
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