第8話 ツンデレなお嬢様

 俺はトバル公爵家自慢の庭へと案内された。王都のタウンハウスとは言え、それなりの広さがある。さすがは公爵家だ。庭師によって整えられた生け垣が迷路のように視覚を塞いでいる。ところどころに白や赤のバラが「私を見て」とばかりに堂々と咲いている。実に見事だ。


「美しいバラですね。私の家の庭にもバラが咲いておりますが、ここほど立派ではありませんよ。あ、でもこれを言ったら、伯爵家で雇っている庭師に失礼ですかね」

「当然ですわ。ここで雇い入れている庭師は元々王城で働いていた方ですもの。でも、ガジェゴス伯爵家に仕えている庭師も十分に優秀なはずですわ。そのようなことを言って、庭師たちを落胆させるのはよくありませんわ」


 ツンツンとした口調だが、フォローも忘れない。根は優しい少女のようである。これはもしかして、ツンデレってやつなのではないだろうか。そんなことを思いつつ、エウラリア嬢を観察する。


 さすがは公爵令嬢なだけはあって、マナーは完璧のようである。実に優雅な仕草でお茶を飲み、細く、美しく磨かれた指が菓子をつまんでいる。お茶の入った白い陶器には、緑色の唐草模様がからみついている。確か東洋からの貴重な輸入品だったはずだ。

 ジッと観察する俺に気がついたようである。怪訝そうに首を少し傾けると聞いてきた。


「どうかなさいましたか?」


 うん、思ったことを素直に話そう。少しでも自分を知ってもらい、距離を近づけないと。

 初めて目が合ったときの感触からすると、嫌われてはいないようである。むしろ、俺の顔を見て、呆けていた感じすらある。だからと言って、楽観視してはいけない。


「不愉快に思われたのなら謝罪します。つい、エウラリア嬢の仕草に見とれてしまいました」

「な、な、な」


 飼い慣らされた池のコイのように口をパクパクさせ、声にならない声を出した。先ほどまでのほんのりと赤かった顔から、マグマが噴き出たかのようにさらに顔が赤くなる。

 おっとまずい。これではゆっくりと話ができないな。エウラリア嬢が落ち着くまでお茶を飲んだ。東洋のお茶だろうか? どこかなつかしい味がした。


 ようやく落ち着いたエウラリア嬢がチビチビとお茶を飲んでいる。顔は赤いままである。何だろう、先ほどよりも小さくなっているような気がする。どうやら萎縮させてしまったようである。乙女心って難しい。


 俺たちはもっとお互いに知り合った方がいいだろう。たとえ政略結婚であるとしてもだ。そのためにはもっと会話をするべきなんだけど、どうも先ほどから会話が続かない。俺が投げたボールをエウラリア嬢が口にくわえて離さないのだ。


 何とかフォローを入れようと頑張ったのだが、結局うまくはいかなかった。幸先は良くないな。微妙な距離感のままである。終始、エウラリア嬢の顔は赤いままだった。

 まあ、今日は初めての顔合わせだし、最低限の目的は達成したと思うことにしよう。


 トバル公爵家を辞するとき、エウラリア嬢も見送りに来てくれた。モジモジと何か言いたそうである。ここは鈍感を装うべきではない。攻めろ、攻めるんだ。


「エウラリア嬢、どうかなさいましたか?」

「あ、あの、フェルナンド様がお望みなら、文通をして差し上げてもよろしくてよ?」


 これは……またとない誘いである。対面ではうまく話せなくとも、手紙でならうまく意思疎通をすることができるかも知れない。


「ぜひお願いしたい。エウラリア嬢、どうか私と文通をしていただけませんか?」

「そこまで言うのなら仕方がありませんわね。文通をして差し上げますわ」


 お父様が吹き出しそうになるのをこらえ、下唇を噛んで小刻みに震えている。トバル公爵はこらえきれずにブフォっと吹き出した。それをエウラリア嬢が汚物を見るような目で見ている。あの冷たい目。ゾクゾクするね。


「ありがとうございます。手紙が来るのを楽しみにしておりますね。必ず返事を書きますから」


 俺は何事もなかったかのようにエウラリア嬢に返事をした。何で笑うんだ? 可愛らしいじゃないか。俺はむしろ、好感を持ったけどね。ますます好きになった。

 エウラリア嬢からの返事はなかったが、うれしそうに小さくうなずいた。



 屋敷に戻った俺たちはお母様の質問攻めにあっている。両親の見解はそろって「エウラリア嬢の一目惚れ」であった。俺もそうだと思う。しかもツンデレとは。あれは小説や漫画の中の話ではなかったのか。

 お父様の話によると、この婚約はトバル公爵からの申し出だったそうである。ますますその可能性が高まった。


「フェルも隅に置けないわね。いつの間にエウラリアちゃんと仲良くなっていたのかしら?」

「お母様、それは誤解です。エウラリア嬢と話したのは今日が初めてですよ」

「ウフフ、エウラリアちゃんはそうは思ってないかもよ」


 慌てて否定する俺を見て、クスクスとお母様が笑った。

 確かにこれまでもお茶会の度に熱い視線を感じることはあった。お父様と同じルックスなのだ。モテない方がおかしいだろう。だが前世でそのような美味しい思いをしたことがない俺は、ただただ戸惑うだけだった。

 イケメンも大変だな。こんなことを言ったら、顔が良い男が憎い連中から殴られそうだけど。


「さあそれじゃあ、素敵な手紙を用意しないといけないわね。そうだわ! 花束と一緒に送りましょう。きっと喜ぶはずよ」

「そうします」


 お母様がそう言うのだ。きっとこの選択に間違いはないだろう。乙女心が分からない俺にはお母様の力が必要だ。頼りにしてます。それじゃまずは字の練習からだな。せめてミミズから「何とか読める」くらいにはしておかないとね。



 ****



 エウラリアは自室で羽根ペンを走らせていた。夜の帳はすでに下り、ランプの光が手元を照らしている。インクをつけては書く、という作業を何度も繰り返す。ペン先が乱れてくると、別の羽根ペンに取り替えた。

 近くに控えていた使用人がすぐに痛んだペン先をナイフで整える。


「ああ、もう、どうしてこんなに使いづらいのかしら」

「お嬢様、落ち着いて下さい」


 思わず犬を撫でるように頭をぐしゃぐしゃにしそうになった主を使用人が慌てて止めた。

 エウラリアは早速、フェルナンドへの手紙を書いていた。しかし、書きたいことはたくさんあるのに、羽根ペンの使いにくさがそれを邪魔する。思うように手紙が書けず、ストレスはたまる一方だった。


「はぁ。手紙だとすぐに言葉が浮かぶのに、どうして口だとうまく言葉に出せないのかしら?」


 肩を落とし、力なくつぶやいたエウラリア。ノーコメントを貫く使用人。問われても、主人の悪口は言えないのだ。口に出せるものなら「あなたが素直じゃないからですよ!」と言いたかった。でもグッとそれをこらえた。

 再びエウラリアのため息が聞こえてくる。


「フェルナンド様……思った通り、中身も素敵でしたわ……」


 恍惚とした瞳をランプの光が静かに照らしていた。そのつぶやきを聞いた使用人の瞳から光が消えた。どうやら今夜は寝る時間がほとんどなくなりそうだと確信した。

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