第2話 土下座の応酬
ギュウギュウとお母様の豊満な胸の谷間に挟まれながら、俺は医者の診断を受けた。これだけみんなが駆けつけてくれたところを見ると、どうやらかなり心配をかけてしまったらしい。
しかし俺には、なぜそこまでみんなが心配しているのかが分からなかった。お医者様のおじいちゃん先生の言葉を聞くまでは。
「ふむ、解毒剤はしっかりと効果を発揮しておる。ご子息の体内の毒は完全に無効化されたと言って良いじゃろう」
目の色を変えて俺を見ていたおじいちゃん先生がそう言った。比喩でも何でもなく、本当に目の色が変わっていた。何だろうあれ。邪気眼の一種かな?
その言葉にお母様の顔に赤みが差した。眉が下がり、先ほどよりも表情が柔らかくなったのが分かった。
なるほどな。俺、毒殺されそうになっていたのか。だから部屋に入ってきたときのお母様の顔があんなに青ざめていたのか。バンシーかと思ったよ。そういえば庭でティータイムをしていた辺りからの記憶がないな。
どうやらその毒のせいで前世の記憶を取り戻したようである。すべてがつながってスッキリとした気持ちになっている。そんな俺の顔を見たお母様が、さらにむぎゅむぎゅと強く抱きしめてきた。あ、あかん、息が……必死にお母様をタップした。
「フェル! 大丈夫? 生きてる?」
「三途の川は見えましたが大丈夫です。心配をおかけして申し訳ありません」
お母様の胸の谷間から顔を上げる。「三途の川?」と首をかしげていたが、どうやら解放はしてくれないようである。だがそろそろ下半身が封印から目を覚ましそうである。鎮まれ。
「フェルが謝る必要はない。フェルに毒を盛った犯人はすでに捜し出して首を刎ねている。もう心配はいらない。どうやら隣国の暗殺者がフェルの命を狙ったようだ。おそらくは私への警告だろう。すまない、フェル。私の責任だ」
遅れてやってきたハリウッドスター顔負けの美男子がキレイな土下座を披露した。お父様だ。
イケメンってずるい。土下座でも絵になるとか、ずるくない? っと、そうじゃない。俺は後ろ髪を引かれる思いで、急いでお母様の胸の谷間から飛び出した。
「お父様、顔を上げて下さい! ボクがうかつだったのです。使用人が毒味をしていなかったのを見抜けなかったボクの責任です」
お父様にも負けないキレイな土下座をキメた。だてにあの世は見てないぜ。褒められたものではないが、土下座ならだれにも負けない自信がある。
「それは違うぞ、フェル。私があのような者を雇ったから……」
「ハイハイ、反省会は後からでもたっぷりできるわ」
お母様がパンパンと手をたたいてこの話をお開きにした。お母様も思うところはあるだろうが、お互いに土下座の応酬をしていても何も始まらないのは確かだ。
お母様は俺をヒョイと抱き上げると先ほどの位置に俺を戻した。……気に入ったのかな、そのポジション。
「そうだな。反省だけでは何の解決にもならない。同じことが二度と起きないように、対策が必要だ」
そう言うと、お父様はおじいちゃん先生を見た。おじいちゃん先生が心得たとばかりに深くうなずいた。
「フェルナンド様には、これから定期的に毒を飲んでいただくことになります」
「なるほど、弱めた毒を定期的に摂取して、毒に対する抵抗力を強めておくということですね」
「……」
あれ? おじいちゃん先生の目がまん丸になってるぞ。もしかして違った? ドヤ顔で言ったから何だか恥ずかしいじゃないか。
「この方法は一部の者しか知らないはずなのですが、よくご存じで」
目元を緩めたおじいちゃん先生があごひげをなでながらウムウムと数回うなずいた。あー、そっち? お父様もお母様も目を丸くしてこちらを見ている。まずい。今「どこでそのことを知ったのか」と問い詰められると非常に困る。ここはあれだ、攻撃は最大の防御なり、だ。
「先生、いつからそれを始められるのでしょうか? それまでにまた同じようなことが起こるかも知れないと思ったら不安なのですが……」
子供らしく、弱々しい声で問いかける。お母様の引き寄せの力が強くなった。く、苦しい。寝起きの病人に対する圧ではない。いくら立派なエアバッグが作動しているとはいえ、苦しいものは苦しいのだ。
「フォッフォッフォ、心配はいらん。この万能薬をフェルナンド様に渡しておこう。これを飲めばどのような毒もたちどころに治すことができるぞ」
そう言って黄色と黒が入り交じった、まだらの液体が入った小瓶を手渡された。何これ。飲んだら二十四時間戦えそうな代物なんだけど、大丈夫だよね? この独特の色合いが勇気の印なのかも知れないけど。
不安そうに小瓶を見つめる俺に気がついたのだろう。おじいちゃん先生は再び声を上げた。
「そんなに心配せんでもいい。効果は折り紙付きじゃ。ただし、死ぬほどまずいぞ」
「の、飲むときは覚悟して飲みます……」
こうして俺は怪しい小瓶を手に入れた。テッテレー。しかしどうやらこの万能薬はかなりの値打ちがあるようで、しきりにお父様が頭を下げていた。伯爵であるお父様が頭を下げるとか、相当な値打ちだな。取り扱いに気をつけないといけないな。
俺はその小瓶をウォルナット材で作られたサイドチェストの中へと大事にしまった。ここならなくさないし、朝起きてからすぐにポケットにしまうことができる。朝に弱い俺にはピッタリだ。
「お父様、隣国へは何か抗議をするのですか?」
「そのことか」
お父様は眉間に深いシワを刻むと、ギリッと音がしそうな勢いで奥歯をかんだ。
「忌ま忌ましいことに、今は手が出せない。知っての通り、停戦協定を結んだばかりだからな。今は波風を立てたくないという国王陛下の判断だ。あの腰抜けめ!」
うっわ、我が国の最高権力者を腰抜け呼ばわるするとは。どうやらクーデターの種はこの辺りから蒔かれ始めていたようである。ここは俺が何とか刈り取らねば。大丈夫、まだ慌てるような時間じゃない。
「お父様、お父様の気持ちはよく分かります。しかし、上に立つ者の判断としては正しいとボクは思います。ボク一人のせいで、多くの国民が犠牲になるかも知れないのですよ? どちらを取るか聞くまでもないでしょう。それにボクはこうして生きています。だからどうか、溜飲を下げて下さい」
その場で頭を下げた。お母様も賛同してくれたのか、一緒に頭を下げてくれた。お父様はしばらくまぶたを閉じていたが「分かった。フェルの意見を尊重しよう」と言ってくれた。
お父様は親バカ。俺はしっかりと心にそのことを刻み込んだ。
フォッフォッフォとザリガニ星人のように愉快に笑う、おじいちゃん先生の声だけが部屋に響いていた。
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