六、

 目の前にまた、天井が戻ってくる。力の入らない手で枕元を探ると、スマホが光った。画面上に自動表示になっているニュースアプリが、今日の全国主要都市の新規感染者数を伝えてくる。おれが昔あれだけ憧れた大都会は、今や至るところにウイルスが漂う異空間になってしまった。ずっと寝ていたせいか体が痛い。腹も減ってきた。心は落ち込んだままだが、体はありがたいことに、快方に向かっているようだ。


 おれの人生はどこから間違った方向へ向かってしまったんだろうか?十代の頃は、ひたすら「楽しい」ことを追求した。中学のバスケ部は強くはなかったがつるむ相手には不自由せず、成績も悪かったがみんなそんなものだったので気にもならず、同級生から「このままじゃお前の進学先はあそこで決定だ」とからかわれた地元の底辺高校は夜になると男と女が河原の土手でいちゃついていて、おれの目には夢のように魅力的に映った。だがしばらく観察していると、その学校の女は何というのか……見た目が微妙だということに気がついた。もとの顔の作りが多少よくても、化粧や制服の着こなし方に知性が感じられなくてイマイチなのだ。人から何と言われようが、おれは「綺麗な女」が好きだった。美人かどうかより、見た目を美しく整えて周りや自分を楽しくしてやれない女なんて、一緒にいる価値がないように思えた。そこで自分としては珍しく必死に勉強し、女子が多いという理由で底辺からは少し上の公立商業高校に進学した。簿記の授業などは正直退屈だったが、女も絶対的母数が多いので、目で楽しませてくれるのも何人かはいたし、アルバイト先で知り合ったトオル――こいつが、後におれに厄介事をもたらしてくれるんだが――ともよく遊んだ。

 遊び場所は、時々マユミちゃんが家を提供してくれた。さほど歳の離れていない若い叔母さんが年頃の男を家に入れるなんて「世間的に見れば」とんでもない話だが、伯父はマユミちゃんの生活を見守ることを条件に何も言わなかったし、おれはなぜかマユミちゃんとは波長が合う気がしていた。相変わらず仕事が続かず、きちんとした生活が送れないマユミちゃんに対し、おれの母親は「福祉の人に相談すればいいのに」などと時折ぼやいていたが、そうしたところで根本的な解決になるわけじゃなし、自分の好きにさせてやればいいじゃないかとおれは思っていた。そしてそれはマユミちゃん自身も同じようだった。マユミちゃんは兄である辰起の父に頼る生活しか知らなかったが、だからこそこれほど天真爛漫てんしんらんまんで、おれの母親のように世間体を気にしてコソコソしなくて済むのだ。数が数えられなかったり字が書けなかったりして役所の世話になっている人たちはこの町にもいたが、彼らが地域社会でどういう地位に組み込まれるのか、おれは知っていた。

 勉強は嫌いだったが、大学には行きたかった。まず学歴がなければ、楽しそうな仕事にはつけないだろうと思った。さらには――また鬱陶しいことに、「教員の家の子供が高卒では面目が立たない」と母親から言われた。そして口に出しては言えなかったが、東京の大学へ行けば辰起にまた会えるかも知れないと思ったのだ。だから大学生になって辰起がフェイスブックにメッセージをくれた時には、おれは嬉しさのあまりいつもつるんでいる仲間全員を引き連れて、わざわざあいつの家から近い韓国料理店まで押しかけた。ここはもう、誰かが辰起を指差して「あの出ていった都会の嫁さんの息子」などとほざく田舎町ではない。大都会に出てきて本当によかったと、心の底から感動しているうちに、酒が進み、酔いが回って、気がついたら辰起が車で学生寮まで送ってくれていた。あとから聞いたら、「お前、最初からそのつもりで俺を呼んだんだろう」と言われた。辰起のしらっとした表情は昔と変わらず、あの垢抜けた身なりの母に似て、まったく酒は飲めないのだそうだ。だがともかく、おれはこいつが昔と変わっていないので安心した。

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