五、

 小学五年生になる頃、「辰起の両親が離婚することになった」と母親から聞いた。辰起はしばらくマユミちゃんの家で暮らし、その後は恐らく、母に連れられて東京へ戻るのだろうという話だった。

 親じゃなくて叔母さん、しかもあのマユミちゃんと二人で暮らすという話におれはわくわくして、様子を見に行きたいと言った。だが母親は「あたしを面倒に巻き込まないでちょうだい」とこめかみを押さえた。

「面倒って」

佑樹ゆうき、親戚っていうのはね、とにかくいろいろあるの。余計なことに首を突っ込まないで。大人になれば、あんたもわかるわ。」

 おれは自分がバカで子供だと言われているような気がして悔しかった。そして、学校の廊下ですれ違った辰起の、賢そうな目つきを思い出した。せっかくからかってやったのに、猫の話もしてやったのに、あいつは鼻で虚しいため息をつくだけだった。おれは、この状況が何一つ変わらないのがひたすらもどかしかった。

 夏休みが近くなったある日、おれは塾に行くふりをしてマユミちゃんの家に向かった。途中のスーパーで小さなスイカを買い、公衆電話からもうすぐそちらに行くことを告げた。誰かに見つかるのではないかとヒヤヒヤしていたから、自転車をマユミちゃんの家の前に止めた時はほっとした。

 辰起はキムチ入りのお好み焼きを上手に焼いていた。おれは母親から火を使う調理をまだ禁止されていたから、こいつはおれより先に大人になったんだと思った。食べ終わると、辰起は今日の小テストの答え合わせを始めた。おれは明日自分のクラスでもその小テストをやるから問題を見せてほしいと言ったが、それは単なる口実で、本当はもっといっぱい話がしたいだけだった。辰起が真面目な顔でそれを断ったので、おれはカバンに入っていた塾の問題集を取り出して、これみよがしに解き始めた。そうしたら反応してくれたのが辰起じゃなくてマユミちゃんで、「その丸を真っ黒く塗るだけなの?簡単だよね」と言われた。すべてが自分の思ったようにいかなくて、おれはどう答えていいのかわからなかった。

 その日、おれが塾に来ていないと電話連絡があり、帰ると母親が目を三角にして仁王立ちになっていた。机を叩かれどこに行っていたのか詰問されたが、おれは死んでも言うもんかと口をつぐんだ。母親はすぐにおれの向かった場所を察し、黙り込んだ。

 結局翌年の私立中学の入試は、自分では結構頑張ったつもりだったが落ちた。教員である母親のメンツのために受けさせられた学校だったから、さほどがっかりはしなかった。地元の公立中学に進学したのをきっかけに、おれは徹底的なバカ野郎になろうと決意した。空気を読んでお利口に生きるなんて、屈辱的だとすら思った。それに、どんなに周りの目を気にしていても、本当はみんな毎日楽しく暮らせればそれでいいと思っているんじゃないのか。それは辰起が答えを返してくれなかった問いかけで、おれの単なる負け惜しみだったのかも知れないけれど。やはり辰起はうさぎだった。おれを置いて、こんなしがらみだらけの田舎町からさっさといなくなってしまった。

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