Welcome to D.D.T online

 銀鶏は滅多に仕事以外ではメーラーを開かなかったが、この日は何かがおかしかった。


 朝から酷く頭痛がしていたし(幾らアスピリンを服んだところで無駄な抵抗だった)、冷蔵庫は空っぽで牛乳に至るまで切らしていた。

 そろそろ午過ぎて昼食の買い出しに出かけなくてはならなかったが、痛む頭はそう治るものでもなく彼は寝床でごろごろとせざるを得なかった。

 痛む頭を抱えて眠りに落ちると最早虎も消えた夢の帳は、直ぐに掻き消え不快でごちゃごちゃとした光景に書き換わる。そこで銀鶏は誰か未知の女を視た気がしたのだがあっという間に忘れてしまっていた。

――小一時間も眠ったであろうか? 空調のせいで喉の渇きを感じロフトで身を起こすと部屋が真っ暗なことに気づき彼は狼狽した。

 流石に陽が落ちるのは早いであろうが、昼食も摂らずに一日潰してしまった!

 慌ててPCの電源を入れると彼は珍しくメーラー立ち上げた。ブラウザメールの方であるが、こちらは非公開で個人的な用途にしか使っていない、主にネットでのオークションやフリーマーケット用だが宣伝が多いので普段はスルーしているメーラーだ。だが、何故かそちらを立ち上げた。この日は何かがおかしかった。

 すると宣伝に交じって妙なメールが一件あった。


”Welcome to D.D.T online ようこそD.D.Tオンラインの世界へ”


 なんだ? 詐欺メールか?

 いや、D.D.Tオンライン。聞き覚えがある、そうか、ゲーム内グラフィックの募集でβテストに参加しないかと顧客に持ちかけられた、VRMMOゲームに申し込んでいたことをすっかり忘れていた!


”はじめましてD.D.T online運営です、βテスト当選おめでとうございます。

 ゲームを始めるのに必要な推奨スペックは以下を参照お願いします。


OSWindows 10 (64bit)

CPUIntel Core i7-3770 (3.4GHz以上)

メモリ16GB

GPUNVIDIA GeForce GTX 1060 6GBAMD Radeon RX 480

解像度1080p

HDD100GB以上

Direct XDirectX 11 以上


ゲームを動かす実行ファイルはこちらよりダウンロード

尚、自動的にショートカットがデスクトップに生成されます。


お客様のID mLTq7arH6DKJ

お客様のPW qmtvWeLk5fG2


こちらを適宜ご使用ください、双方ともゲーム開始後に変更可能です。


 D.D.Tオンライン運営は貴方の楽しいゲームライフを支えます。ご質問ご要望は、

サポートまでお送りください、お返事まで一週間ほどお時間を頂くことがあります”


 そんなことはどうでもいい、あの客吹かしやがったか? どこにも仕事に関する問い合わせが見当たらないではないか! 銀鶏は真っ暗な部屋の中PCの前に突っ伏した。

 最早食事を摂る気にもこのゲームをする気にもならなかったが、インストールだけは終わらせておこう、そうしたらコンビニでも行こう。そう思い銀鶏は実行ファイルのダウンロードをし、セットアップを始めた――


インストールしています……

……5%

羔羊その七つの封印の一つを解き給ひし時、われ見しに、四つの活物の一つが雷霆のごとき聲して『來れ』と言ふを聞けり。

……20%

また見しに、視よ、白き馬あり、之に乘るもの弓を持ち、かつ冠冕を與へられ、勝ちて復勝たんとて出でゆけり。

……30%

第二の封印を解き給ひたれば、第二の活物の『來れ』と言ふを聞けり。

……50%

かくて赤き馬いで來り、これに乘るもの地より平和を奪ひ取ることと、人をして互に殺さしむる事とを許され、また大なる劍を與へられたり。

……65%

第三の封印を解き給ひたれば、第三の活物の『來れ』と言ふを聞けり。われ見しに、視よ、黒き馬あり、之に乘るもの手に權衝を持てり。

……75%

かくてわれ四つの活物の間より出づるごとき聲を聞けり。曰く『小麥五合は一デナリ、大麥一升五合は一デナリなり、油と葡萄酒とを害ふな』

……80%

第四の封印を解き給ひたれば、第四の活物の『來れ』と言ふを聞けり。

……100%

われ見しに、視よ、青ざめたる馬あり、之に乘る者の名を死といひ、陰府これに隨ふ。かれらは地の四分の一を支配し、劍と饑饉と死と地の獸とをもて人を殺すことを許されたり。


Installation complete.


 なんだこの感覚は――?

 銀鶏は目覚めると肉体を失っていた。正確には「存在することは知覚されることである」(Esse est percipi)だれも彼を知覚してはいなかった。ゆえに存在はなかった。


「光あれ、ここは暗すぎる」


 誰かの声が言った。薄ぼんやりした灯り、それでも不十分だ、声の主は神ではないのだから。


「ねえ、貴女……そこの貴女よ、起きてるんでしょう?」


 誰かの声が言った。だが銀鶏は答える事が出来ない、声帯がない。


「いいわ、貴女がここで起き上るのを手伝ってあげる……そうね貴女、女の子ね?」


 急に銀鶏は不完全で不慣れな肉体を得て狼狽した。


「誰だ!?」


 漸く銀鶏は声を発して、誰何した。不完全な仮の目がその存在を見るとひどく驚いた。

 そこに居たのはひどく男性の欲求を満たしてくれそうな格好の美少女だったからだ、まるでゲームから抜け出してきたかのような……!

 ゲーム? そうだこれは、


「ご明察、ここは D.D.T online βテストのキャラメイクよ、わたしはナビゲートキャラのリーリウム。略してリリィって呼んで、よろしくね♡」


「つまりこれは、リーリウムさんよ」


「他人行儀だなあ。ま、徐々に慣れてくれたら」


「キャラメイクなんだな?」


 この冬は終わらない。


※脚注

わたしの心は一つであり、分割することはできず、これ以上延長することもできず、形もない。ゆえに私のこころは不滅であり、これは実体である。わたしの目の前の机もわたしの身体も世界すらもわたしが知覚する限りにおいて「わたしの心の中に存在する」のであって、実体とは、このような同時的なる観念の束であり、その原因は神である。(G.バークリ)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る