1.-銀鶏という男-

Kの死の報せ

 銀鶏ぎんけいがKの死を知ったのは他でもない、母からのタレこみであった。


 年の瀬も迫ったある寒い日、電話口からKの死は淡々と報された。

 別段Kと銀鶏は仲が良かったわけではない。

 確かに幼稚園から中学校までの同級生で、幾度となく同じクラスになってはいるが、それは「おともだち」といった関係ではなく、単なる同年代の子供の寄せ集めの一人に過ぎず、銀鶏にとってKは学校生活の背景の一部のようなものであったし、騒がしいK達のグループとは距離を置きたくもあった。

 母によるとKの葬儀はKの親族と、ごく親しい友人だけでひっそりと済ませたらしい。

 歓迎すべきことだ、亡くなってまで銀鶏はKとは関わり合いにはなりたくもなかったし、K達の集団にも中学校を卒業してより八年経ってまで逢いたいとは微塵も思ってはいなかった。

 銀鶏にとって、このことは親しい間柄の人間にも口外する気はなかった。

 恋人のアイカにも何か言う予定は無い。

 いわばKの死は銀鶏の中で自己完結したものとなり、それ以上の発展も深化も見込めない事象に過ぎなかった。

 だが事情を知る母はこうも言うのだ。


「K君若いのに亡くなって、K君のお母さんが可哀想だわ」


「別に? 私はKの死について何の感情も抱いていないが」


「同世代の息子を持つ母親の心情はそうなのよ――」


 そういえばKの母と自分の母はPTAなどで、親しく交流していた間柄だったからそう思うのかもしれない。


 とにかくこの年は仕事が忙しく、発注された年賀状のデザインの依頼や、私小説のイラストなど数件の仕事を抱えていた。

 師走とはよく言ったものだ、自分は師には程遠い腕前だったが充分に走らされていた。

 描いても、描いてもなかなか追いつかない。

 アイカと話しても気晴らしにはならず、彼女の愚痴を聞くに留まるのでスマホの電源も切った次第だ。

 仕事が一段落するまでには彼女には逢わない方が、精神衛生上いのだろう。

 無論、アイカは平素、私の麗しのロクサネ、創造の源泉。

 どうやらKの死の報せを受け取った晩、私は午前の声を聞いてから床に就いた。

 

 今晩も思うようには筆が進まないな……

 息抜きと称して描いた落書きの方が、依頼の絵より余程出来が良いので見せればアイカは笑うのだろう。

 夢に虎を見なくなって何年が過ぎたことか。

 あの頃――中学生まで私は夢に虎を見ていた。

 シベリアの王、獣のなかの獣、あの虎を描きたいと、夢の虎を描いても良いのだと気付いたころには虎は私の夢から、いつの間にか消えてしまっていたのだ。

 つまりこの虎は周公のようなもので、常に

 私の少年時代の理想は終わったのだ。

 大人になってしまった私には、茫漠とした荒野だけが広がっていた。

 それは変わらない日常であり、向いてない今の生業であり、糊口をしのぐ日々の僅かな糧であり、そしてそれをかき消す夢のような、目眩めく女たちとのひとときであった。

 ただし少年時代に戻りたいとも思わなかった。

 それはあのK達のグループやもっと荒っぽい少年たちの、印象の良くない子供時代が象徴する陰惨な日々の反復なのだから。

 わたしは決してクラスのリーダーなどではなかった。

 むしろ大人しく、主語の大きな連中には逆らわない臆病で卑怯な生徒だった。

 ただ不良でも優等生でもない、友人もそれなりにいる目立たないごく普通の生徒には違いなかった。

 Kか――いつも彼は笑っていた。

 勿論、誉められるようなことばかりしていたわけではない。

 むしろ教師には目をつけられていたし、実際親が呼び出されたという話も聞いてはいる。

 しかしKは笑っている印象しかなかった。

 なにがそんなに楽しかったのだろうか? あと八年のうちには絶命するとも知らず。

 それだけ彼の子供時代は充実していたのだ、私とは違って。


 布団のなかで寒さから丸くなると、瞼の裏に厭でもK達グループの顔が浮かんでは消えて行った。

 そしてもう虎を見る事もなく私は眩しい朝を迎える。


 この冬は終わらない。

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