第71話 小さな男と大きな男



 *****



 精霊の森の一角の岩山。

 その頂上に巨大な熊が腹這いになっていた。この森の守護者、精霊獣である。


 日光で温まった岩で腹側が温められ、柔らかな日差しで背中側が温められる。

 とても心地が良い。思わず小さくあくびが出た。

 これで蜂蜜でもあれば最高だ、と思う。


 大きく息を吸い込む。

 森に満ちる魔力を取り込むだけで、飢えることなく生きていける。

 今の彼は、物質的存在でもあるが、本質は霊的存在と言えた。

 ゆえに、本来は食事を必要とはしない。

 だが、精神は食物を欲する。わずかではあるが。



 この前出会った小さな男が、また蜂蜜を持って来ないだろうか。うとうとしながらそんな事を考える。


 あいつは、、おかしな奴だ。

 あの日、あの男は急に現れた。

 この森から離れた場所で輝く星の様な強烈な気配を急に感じた。

 それが流れ星の様に飛んで来て、この森に落ちて来た。


 慌てて確認しに行くと、そこにあの小さな男が居た。

 もっとも、今まで見た人族より小さいだけで、森ゴブリンほど小さいわけではないが。


 あの男が全身に凄まじい魔力を纏い、威圧する様にゆっくりと近づいて来た時は、もう駄目だと思った。

 強力な魔獣を超える力を持つ自分をも凌駕する魔力、抗うすべはない。

 森の守護者の矜持どころではなく、ただ縮こまるしかなかった。


 だが、殺される事は無かった。

 蜂蜜を貰い、そして、何か困っていると告げられた。

 だから、森ゴブリンの所に連れて行った。

 あの長老は人間の事に詳しい。きっと何とかしてくれただろう。



 また少しうとうとして、昔の事を思い出す。


 ずっと昔、、自分が今の様な存在になる前は、山の向こうの森に居た。

 だが、ある時、急に明確な意識を持った。


 そして、、気付く。この場所は不快だ、と。

 どんよりとたちこめる薄黒い霧、精神を逆なでする不快な気配。


 あまりの不快さにその森から出た。

 山脈の切れ目を見付け、今居る森にやって来た。

 清浄な空気、森の動植物達の出す魔力に満ちた生命力あふれる場所。


 この森を縄張りにして住み着いた。

 時々不快な森からやって来る黒い霧を纏った不快な獣を追い払い、この森を守って暮らした。

 そうしている内に、この森の獣達からは一目置かれるようになった。


 だが、自分と同じ様な存在は居なかった。

 人族を見かけることもあったが、自分の姿を見ると皆逃げて行った。



 そんな暮らしが長く続いた頃、大きな男がやって来た。

 他の人族よりずっと大きく、自分を恐れない男。


 あの小さな男の様な男だ。

 凄まじく強く、優しく、恐ろしい、大きな男。人族とは思えないほどの強い力を持った存在。


 出会った時の事はよく覚えていない。いつの間にか森に出入りしていた気がする。

 だが、強大な魔力を振るい、守るべき者を全力で守り、敵には全く容赦しなかった事はよく覚えている。


 あの大きな男も、、おかしな奴だった、と思う。

 攻撃してくるでもなく、逃げるでもない。縄張りを奪うでもない。

 無造作に近付いて来て、頭に触ってきたり、果物をくれたりした。

 、、小さな男もそうだった。


 ある時、大きな男は森ゴブリン達を連れて来た。

 そして、この森と彼らの守護を頼まれた。


 彼ら森ゴブリンは良い隣人となった。

 それまでは自分は孤独だったのだ。

 大きな男はたまにこの森に来たが、それ以外には自分の周りには知性ある者は居なかったから。



 この森と森ゴブリン達を見守って暮らし始めて、幾らか経った頃、急に大きな男の気配が消えた。

 大きな男は頻繁にあちらこちらに移動していたが、その気配は遠くからでも強く輝く星の様にいつも感じられた。


 だが、それが急に消えた。

 殺されたとは思えなかった。彼を殺せるような彼より強い気配は何処にもなかったから。

 年を取って死んだとも思えなかった。彼の気配が弱まっていった様子が無かったから。


 ただ、急に消えたのだ。

 森とゴブリン達を見守り続け、長い長い月日が経ったが、彼は戻ってこなかった。



 小さな男がこの森に落ちて来た時、自分は期待していたのかもしれない。

 あの大きな男が戻って来たと。

 迂闊にも近付き過ぎてしまったのは、そのせいかもしれない。

 その結果は、、まあ、、悪くは無かったか、と思う。あの小さな男に出会ったことは。

 蜂蜜貰えたし。


 あの男の気配は今も感じている。

 この森の近くに居る。あまり大きく動きまわっている様子は無い。

 先日、一瞬だけ気配が強くなって驚いた。何かあったのかもしれないが、それ以降は特に変化は無い。


 ふと考える。

 あの男も急に居なくなるのだろうか。

 それは、、とても寂しいと感じる。

 あの小さな男と共に居た時間は短かったが、なぜかそう思える。



 熊の精霊獣はまどろみから目覚めると、自分の鼻をペロリと一舐めした。


 芋でも掘ろうかな?


 彼はのそりと立ち上がると、岩山を下って行った。



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