第4話 ようこそ、異世界へ

 あ、死んだ、

 いや、生きてる、

 死ぬ前に、脳の作り出した虚像。

 そんな単語が瑛二の頭の中に明滅している。


 意識はだんだんはっきりしてきた。しかし、目を開く勇気はすぐに湧いてこない。

 彼は自分に言い聞かせた。さっき目にした光景は、衝撃を受けた脳の見せた幻惑である。気にするな。

 でも、よりによってなんで怪獣?


 熱風のあとは寒くなってきた。冬みたいに冷える。凍え死ぬ前に、とりあえず自分がなぜ生きて倒れているかを合理的に説明して納得しよう。

 さっきは一瞬、黒々した樹木と変な石柱が目に入った。あれはマジック・タワーの足元にあった人工の森と石の彫刻に違いない。運良くそこに落ちたというのはどうだろう。あっ、怪獣はイベント用のハリボテだ。きっとクッション代わりとなってくれたんだ。さあ、勇気を持って目を開けよう!


 でも、前に観たホラー映画に、怪物に襲われ意識を失った男がハッと目を覚まし、やあ助かったと思ったら実は上半身しか残ってなかった、というシーンがあった。あれだったらどうしよう。起きた途端に死ぬじゃん。

 しかも、瑛二にはそれを風見環と並んで観た記憶があった。いい香りのする彼女は、瑛二の腕をしっかりつかんだままスクリーンを見つめ、爆笑していた。時期的にも行ったはずはないのだが、この記憶はいったいなんだ?


 などと考えつつ目を開けないでいたら、次第にあちこちの痛みが気になってきた。背中も胸も足の先も痛い。頭もだ。感じるということは、まだ千切れずに残っているのだろうか。それとも幻肢痛ってやつか。

 とにかく順繰りに体を動かし、最後に思い切って目を開く。えいっ!


 外は全体にうす暗い感じだった。

(明け方か、夕方かな)と、考えつつこめかみのあたりを探って、「いてっ」

 声が漏れた。そして乾いた血が指に触れる。怪我より気になったのが、

(なんでおれ、こんなにロン毛なんだ?)

 長い黒髪が指に絡んでいた。


 亡兄が一時期、バンド活動に凝って髪を伸ばしていたが、瑛二にここまで伸ばした記憶はない。髪の毛が伸びるほど長く気絶してたはずもないし。

 そういえば、7つ離れた彼の姉はスポーツ大好き少女だったから、短い髪の姿しか思い出せない。高校のバスケットボール部では3年間レギュラーを通した彼女は、大学でも迷わずバスケ部を選んだ。姉の大学は日本一を狙える強豪ではなかったが、姉は倦むことなく飛んだり跳ねたり、主力選手であり続けた。

 卒業後は体育教師になりたいと家族には語り、順調に教職課程をこなしていたのに、これが最後だと決めた遠征試合に出かけた際に脱線事故に巻き込まれ、命を落とした。

 あれから家族の運勢が、悪い方悪い方へと転がり出した気がする。


 姉ちゃんは死ぬ前、意識があったのだろうか。苦しんだりしてませんように。

 今さらなことを思い起こしていた瑛二は、半ば無意識に上着の袖に触れた。薄手のウールのようなしなやかな生地だった。

 急いで全身をあらためた。着ていたはずのワイシャツ+ズボンの社畜基本セットは影も形もない。上から下まで身体にそった真っ黒い服。さらに足はロングブーツ、背にはフード付きのケープ。ダースベイダーかい。

 (こんなの、どこで売ってるんだ?)

 だが、せっかくの服は胸元が破れ肌が露出している。寒いはずだ。

 胸に火傷みたいな痕があった。触れるとヒリヒリするがひどい痛みはない。

 それより、「こんなに胸筋あったっけ」と首をひねった。

 彼はヒョロガリでも肥満体でもなかったが、胸にいかにも弾力のありそうな筋肉が盛り上がっている。そういえば全身もれなくたくましい。恐る恐る立ち上がると、いつもの視点より階段1、2段分は高い。いけないガンマ線でも浴びすぎて全身が膨張したのかしら。

(いや違う、ロン毛にマッシブな長身の黒ずくめといえば)

 彼はよろめき、近くにあった石柱にもたれかかった。

(エイジだ)


 ざわざわと記憶が戻り出した。

 超高層ビルに風見奈々を追ったら、姉の風見環にひどい目にあわされた。いや、せっかくのお誘いを断ったのは瑛二だ。だからといって突き落とすか?

 しかし、落ちたらエイジに変身したっていうのか?

 もうひとつ似た記憶があった。塔に登って人払いのあと儀式を進めた。すると、こちらの疲労を見計らうかのように妨害があった。なんとか追い払ったと思ったら白珠が顔を見せ、そして彼は塔から飛び出して……。

 –––– ここまで吹き飛んできたんだ。

 肌寒さにもかかわらず、どっと冷や汗が吹き出てきた。同じタイミングで起きた二つの似た記憶が彼の頭の中でこんがらがっている。どうなった?一体化しちゃったのか?


 現在、彼のもたれかかっている石柱は、緩やかな傾斜のある草むらに立っている。後ろにはさらにたくさんの石柱がストーンヘンジ風に連なっていて、その奥には木立が迫っていた。

 森を切り開き斎場にしたという感じの場所だが、向かって右に引きちぎれたコンテナ風の物体が転がっていた。

(なんだろ、あれ)

 死体でもあれば大変だ。確かめに行こうとした時、かすかに動物の鳴き声がして、反射的に空を見上げた。

 空には鳥よりも大きい羽根を持つ影があった。変な呻き声が漏れた。


 灰色の空に特大の鷲が5羽、きれいに輪を描いて飛んでいる。

 よく見ると、長い脚が四本ついた獣の胴体に翼が生えている。顔も鷲っぽい。

「おや、天馬というよりグリフィンね。なら、正しい数え方は5羽じゃなくて5頭かな」と、かなりおかしくなった頭で考えた。


 5羽あらため5頭のグリフィンは、花びらが舞うように美しく散開し、瑛二を中心にそれぞれ一定距離を置いて着陸した。首を伸ばし気味にこっちを見ている。

 アクロバットチームみたいな統制のとれた動きに感心しつつも、

「捕食のための着陸かも」と、思いなおした。

 草と石柱、さっきのガラクタしかないこの場所にグリフィンの餌にできそうなのは瑛二だけだ。草食だといいのに。

 とりあえずこの場を逃げ出そうと決め、そっと後ろに下がったとたん、すさまじい突風を食らった、腕立て伏せをするみたいに草むらへ手をついた。

 地響きに続いてものすごい熱風。見たくはないけど、絶対になにかが後ろにいる。たぶん、さっきのあれ。いやいやそおっと振り返る。

「あ、どうも」

 瑛二は黒っぽい岩山に光る二つの眼に挨拶した。山は身悶えするように動いた。残念ながら予感は当たった。さっきの怪獣の帰還だった。


 怪獣は、セレンゲティ公園のゾウさんが可憐に思えるサイズと迫力があり、ぱっと見は爬虫類というより岩の彫刻みたいだ。あるいは軍艦。動物園にいれば大人気は間違いない。

 さらに、全身が青黒い色をして分かりにくかったが、背中には特大の翼がたたまれている。どうやら、一時いなくなったのは、これを用いて移動していたようだ。これだけの図体なら翼のみ使い宙に浮かぶのは困難に感じるが、別にロケットエンジンでも付いているのかもしれない。お腹に炉を抱えているみたいだし。

 怪獣(翼付き)がバカっと口を開き、熱気が押し寄せた。丈夫そうな牙の生えた口元にはチロチロと炎が見え隠れしている。

 悲鳴も出せず、瑛二はすとんと尻餅をついた。生まれてはじめて腰が抜けた。

 すると、落雷に似た音が岩場に轟いた。それはこう言っていた。

「我があるじ、いかがなされました。おみ足に怪我でも」

「えっ」不思議なことに、言葉はすんなり理解できた。

 どうやら知性と情緒はあるようだ。食べるのはやめてと頼んでみよう。かえって踊り食いにされたりして。

 また音が響いた。「例の森で娘が傷によいという薬草を見つけました。ぜひお試し下さい」

「はー、薬」

「それにしても、あるじの危機に間に合わぬとは、この火龍ボイヤー一生の不覚。もしも」

「父上、邪魔。そこをどいて下さい」優しい感じの声が割り込んだ。

「あるじ、カナンがまいりました。すぐに用意いたしますので薬をお塗り下さい。その胸の傷を軽く見てはなりませぬ」

「そ、そうかな」

 怪獣2号が長い首を上下した。たしかにパパよりスッキリして整った顔をしている。美獣なのかもしれない。

「しかし、狼藉者どもめ」カナンはギリっと牙をきしませた。「よりによって、乱れた気象を正すために命懸けで挑まれたダークさまに不埒な振る舞いに及ぶとは。主だった下手人めらは無事死んだようにございますが、煉獄でなお我が呪いを受けよ」

 そういいながら火龍は二枚の翼を器用に使い(先端に小さな鉤爪がついていて、手指と似た動きができる)、金属製のボウルみたいなのに液体を注ぐと、薬草をそれに浸けて揉みこんだ。ハーブっぽい匂いが伝わってくる。

 それが済むとカナンは、「失礼」と言ってそろそろと鉤爪を伸ばし、瑛二の胸を開いた。瞼をぱちぱちさせているのは、少し遠慮があるらしい。

 とりあえず黙って治療を受けることにした。グリフィンたちも近くに寄ってきた。


 治療の間、火龍父娘が次々に口走る言葉を整理すると、ダーク17世という人物がいて、本来は別人が果たすべきリスクの高い祈祷だか神事を、人々(偉い人と民衆の両方らしい)からの願いを聞き入れてしぶしぶ行ったところ、会場でテロ騒ぎが起こり、なにか魔法の力が働いてここまで飛ばされてきた、ということのようだ。

 特別な神事だったから、怪獣たちもダークの人間の家来も離れた場所に待機しており騒ぎのその瞬間を見ていないし、その後も大混乱となって詳しい事情は掴みきれていないのだという。

 「それは、大変だったねえ」他人事のようにつぶやいていた瑛二の脳裏にふと、ひとりの女性の姿が浮かんだ。

 若くて聡明そうで、そして寂しそうだった。顔立ちがどこか環に似ている。ただし、彼女みたいに勝ち気な元気ものの雰囲気は全くなく薄幸そうだった。

 そしてどうやら、「エイジ」はひそかに彼女に好意を抱いていたようだ。しらずしらずに鼓動が早まる。

 あ、間違いなくこれはエイジの記憶か。

 雷に打たれたように瑛二は棒立ちになった。ダーク17世=エイジなんだ。

 後ろの火龍父娘と周囲のグリフィンから動揺の気配があった。


 瑛二ことダークは、ちょうどあった横倒しの石柱の溝にすとんと腰を入れて、仰向けになって天を仰いだ。ちょっと硬いし冷たいが、ベンチの代わりにはなる。

 えー、この僕の状態は、一体、なに?


「ごめんなさい、様子を探っていたら遅くなってしまって」すぐ近くから大人の女の声が謝った。彼に対してではなく、火龍親子にかけた声のようだった。

「騒ぎの元凶はまだ不明。でも私は、白珠が一枚噛んでるとにらんでる。おそらく、ダーク様の魂に手を触れようと自らの命をかけたのじゃないかな。それで、どこかへ、たぶん陽の世界に跳ね飛ばされた。他に方法はなかったにしても、まったくの狂信者ね。しかもこの私を騙してくれた。いい娘だと信じかけていたのになあ」

 まだまだ修行が足らなかったわ、と首をふりふり岩場を歩いてきたのは真っ黒い犬だった。巨大な怪物ばかり見たあとでは、とても小さく思える。

 だが、岩にへたり込んでいる瑛二に気づくと、慌てて彼の前まで駆けて人間くさく頭を垂れた。

「ご無事でなにより。しかし罠に気付くのが遅すぎました。わたくしの責任です。弁解のしようもございません。このうえは…」とまで言って瑛二と真っ赤な目を合わせた黒犬は、「あらあ、これはどうも」と、いきなりすっとんきょうな声をあげた。

「もうすっかり瑛二さまがご転生あそばれているではないですか。これはしまった、しくじった。いや、別に失敗ってわけじゃないですけど」

「えーと」瑛二はようやく答えた。「たしかきみは、マリヤ?」

「その通りにございます」黒犬は恭しく頭を垂れた。

「ようこそ、異世界へ」

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