第2話 転落までのカウントダウン

 –––– 馬鹿みたいなのはわかってる。けど、おれにエイジの半分でも頼りがいがあればなあ。


 謎の女が寄せる熱っぽい視線にも気づかず、落ち込む瑛二は自分をけなし続けた。

 エイジは、幼かった瑛二の夢に、ある夜突然あらわれた。

 二人は面差しがよく似ており歳格好も同じぐらい。当初は驚き見つめ合うだけだったのがそのうちお互いに親しみ、白昼でも意思の疎通が可能となり、ついには悩み事を相談しあう仲となった –––– と、瑛二は思うことにしていた。単に歳を取って空想が巧妙になったためというのは解ってはいたが。むろん、誰にも存在を明かしたことはない。


 エイジは普段、水か氷のような半透明の壁の向こうにいる。たびたび彼の視線を借りてその世界を垣間見た。そこでは一部に過ぎない魔法を使える人間が幅をきかせており、なかでもエイジは巍然屹立の大魔法使いとして為政者にまで畏怖されていた。


 しかし、子供のうちはともかく、いい歳こいてなおこの厨二ぶりはずかし過ぎる。

 いくら夢想家の彼でも、社会人になって空想上の「異世界の分身」に依存するなんて、末期的だとの自覚はあった。それでも、エイジとの付き合いはやめられなかった。

 それに例え想像上の友であれ、彼に意見を求めると、瑛二ならすぐには思いつかない冷静かつ穿った見方が得られることが多く、ずいぶんと心の支えになった。きっと広大だという脳の中の無意識がいい仕事をしてくれているのだろうと、瑛二は半ば信じていた。


 しかしエイジが直接、瑛二のつらい現実に干渉してくれるわけではない。大魔法使いどころか、瑛二はゴマンといる何者でもない若造に過ぎない。金と門閥に縁はなく特技もロクな経験もない駆け出し。

 そして今、できたばかりの婚約者をも失おうとしている。

 死ぬ間際の主人公が最後に「ぜんぶ持っていけ」と叫ぶお芝居があったと思うが、あれは何だったろうと瑛二は考えた。思い出せなかった。


 だが、なぜうかうかと婚約してしまったのかは思い出してきた。

 奈々との話を持ってきた際の宮内は、「芳紀23歳」と昔風の言い方をした。

 職業は小学校教師。それもまだ1年目だと聞かされた。渡された学生時代のだという写真は、長めの髪を後ろで束ねていた。

 実際に会った時の奈々の髪は短く、口調はハキハキして、顔立ちは愛らしいというより凛々しかった。

 体型もふだんの服装も、ついこの前まで本格的にスポーツやってましたぁ、という雰囲気が濃かった。いまも日常的に子供たちと屋外で走り回っているそうで、当人もUV対策の失敗を口にしたし、実際に軽く日焼けしていた。


 最初は、通りいっぺんの会話しかできなかったが、職業と子供たちに対する彼女の使命感は素直に伝わってきた。二度目に会う頃には、とても好ましく感じるようになっていた。

 金銭感覚や価値観の違いも大丈夫そうだし、このごろは、ちょっとした仕草からも互いのシンクロ率が上がってきたとも感じていた。カップル間における本格的な、肉体言語を通じての会話にはまだ相当な時間を要すると思われたが、

(そのうち、互いを認め合う間柄に、自然となれたらいいよなあ)などと、能天気なことを、ついこの前も考えたりしていたのだ。


 –––– おれのバカ、間抜け、おひとよし、大甘ちゃん。やはり女性理解と冷静な観察眼、自分に対する客観視が足りなかったなあ。

 それに今日は、学校は休みでないはずだが、こんな時間に出てこられるものなのか?彼女の職場から遠くはないにしても、授業終了と同時に学校を出て間に合うほどか?それとも彼女も午後から研修だったの?

 そんなイヤミを考えつつ瑛二は、手すりをつかんだままじっと楽しげに語り合う二人の姿を観察した。

 明らかにデートなのに写真や動画の撮り合いが無いのは、やはりマズイ関係との自覚があるためだろうか。せっかく天気もいいことだし、撮ればいいのに。なんなら、

「やあ、よければ撮りましょう。僕、カメラはわりに得意です」

 と、手を上げつつ登場してやったらどうだろう。


 やめとこ。

 そのあとが気まずいだけだし、まずなにより、みじめで空しい。

 瑛二はそう考えつつ、自嘲するように微かに笑った。一時の興奮がおさまり、すべてが馬鹿馬鹿しいコントに思えてきたのだ。


 –––– しかしいったい、おれはどうすりゃいいのかな。

 瑛二は頭上に迫る空を見上げた。無限に広い世界へとつながっているはずなのに、彼に実感できるのは目の前の小さな世界だけ。それも、ひどく寂しくてところどころほつれている。


 もの思う様子の彼を、軽く首を傾げて見ていたサングラスの女は、思いついたように時計に目をやった。

 そして空を見上げて、なにかを探した。探すものは無事に見つかったようだ。

 女の口元が笑った。


 そのあとも瑛二は、遠い絵を眺めるように、宮内の甥と語り合う奈々の柔らかな表情を見ていた。

 一時の興奮とその反動の厭世感も収まり、奈々の気持ちを思う余裕が出てきた。

 冷たくなってきた風に吹かれ、奈々のワンピースが揺れている。個人的には裾が短めのパンツスタイルの方が好みなのだが、着慣れない服装を選んだ奈々の気持ちが微笑ましく、正直なところ相手が羨ましかった。

「感情なんて、そう簡単に殺せないよな」

 言葉が自然と口から漏れた。親と赤の他人のために恋路を諦めるなんて、そりゃあ無理な話だよ。お嬢さん、やめときな。


 奈々との話が起こったのは、亡父と彼女の父親とが古い知り合い(遠い先祖が同じ殿さまに仕えていたとか)であったことに端を発する。そして先方が一人遺された瑛二の豊かな人間性(耳を疑ったのは事実だ)をあらためて知り、宮内を介してぜひにと持ち込んできたのだった。


 はじめて会った奈々の両親は、面食らうほど真摯な表情をして瑛二に訴えた。

 なんでも、今からおよそ150年前、両家の間に起こった縁談が御一新騒ぎによって潰れた。そのあと奈々の祖母にもそんな話があったが、結局上手くいかなかった。

 その無念?を自分たちの代で晴らし、先祖に報いたいという気分が瑛二の亡父と奈々の父の間に盛り上がり(お調子者の父なら充分あり得る)、具体的に検討をはじめようとした矢先、瑛二の家に不幸が続き(当の父まで死んだ)、中断せざるを得なかった。

 居ずまいを正し奈々の両親は言った。願わくばぜひわれわれの代で宿願を実現し、ご両親と双方の先祖の霊に応えたい、云々。


 いま考えるとツッコミどころは多々あれど、家族の痕跡に敏感になっていた当時の瑛二にとっては、それなりに胸に迫る話だった。だが、

「奈々さんの気持ちには、ほぼ関係ないはなしだよな」とは思う。


 地平に近い空は次第に赤紫へと色を変え、上空ではかすかに星が瞬いた。

 気がつくと、奈々も空を見上げていた。宮内の甥は自分の話に夢中のようだが、奈々は口を軽く開け、魂を奪われたかのように朱から紫への変化に見入っている。

(もしかすると、恋人との時間より、まず自分の自由を取り戻したいのかも)


 そんな風に考えていると突然、自分に似た声がささやいた。

 ––––すまない瑛二。とても助けには行けない。

 ギョッとなってあたりを見回したが、半径10㍍にはそれらしい人はいない。

 気のせいだったようだ。それとも、エイジ?


 –––– 神経の病む前に、さっさと帰れってことかな。

 瑛二は鞄を肩にかつぎなおした。そろそろ、ここから出よう。

 これ以上暗くなって、絵づらが「夜景と恋人たち」になったのを見るのは気が進まなかったし、腕を組んでホテルに入る姿なんて、もっと見たくない。


 しかし、もしなし崩しに結婚まで行ってしまったとしたら、奈々はどうするつもりだったのだろう。「卒業」とか「カリオストロの城」みたいに直前になって大胆に逃げ出すつもりだったのか、それともしたたかに瑛二を利用し続けたのだろうか。

 だが、これまでに知った奈々の人柄では、「大胆」はともかく「したたか」は、あまり得意とは思えない。瑛二を丸め込め込み意のままに操れるほどしたたかなのは、奈々ではなく姉の環の気がする。


 瑛二にとり興味深いキャラクターといえば、奈々よりむしろ環だった。

 外面については、おしゃれに手ぬかりのある妹に比べ見事に隙がなく、近寄り難いとすら感じさせる美貌の持ち主だった。

 ただ、環の人格面を語るのは難しい。生一本な妹に比べ複雑かつとらえどころがない。仲人役の宮内も、

「あれはよくわからん娘だ。妹との仲はいいようだが」と顔をしかめた。


 あけっぴろげで座持ちはよく、3人でしゃべった時も、お嬢様というよりヤンキーの姫みたいな口調で奈々を上手にからかい、妹の良いところが瑛二に伝わるようにしていた。

 ルックスはともかく、まだ学生気分の抜けない瑛二には、環の個性こそ面白く感じられたりもした。独身ではあっても、長年付き合っているイケメン彼氏がいると聞かされていたのだが……。


 ともあれ、婚約の見直しについて近いうちによく考えなくてはならない。奈々の真意はわからないものの、彼氏との仲を無理に引き裂くのは、双方にとって望ましい未来ではない。

 ただ、とりあえず今夜は風間姉妹のことは考えないでおこう。

 胸に空洞を抱えたような気分のまま、瑛二はゆるゆると歩きはじめた。

 すると二人も、展望台を立ち去る動きをはじめたのが目の隅に見えた。

 出口でバッタリは避けたい。いいセリフが思い浮かばないし。


 瑛二はいったん立ち止まり、もう一度展望台の端にたたずみ街の灯りを眺めた。ふたりは屋上から姿を消した。眼下の灯りは涙に滲んだりしなかったが、ひどく冷たく、よそよそしく感じられた。


「あーらお疲れさまー」と、明るい女の声がした。

 自分にかけられた声とは思わず、夜景へと移り変わるさまにぼんやり目を向け続けていると、

「たまには私を見なさいよ、瑛二くん。見たらイイことがあるかも」と続いた。

 急いで振りかえった。薄暮のなかに立っていたのは、そこだけライトがあたっていると思えるほどの佳人。

 風見環さんだった。

 噂をすれば影がさすとはこのことだ。ふたりは見つめ合った。

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