第7話 聞こえた声
バイトが終わり、疲れ切った僕は大きなため息をつき、家賃の安さだけが取り柄の、自分のアパートに向かっていた。
「はぁあ、やっぱり今日も、とばっちりだったなあ……こんな僕をクビにしないのは、店長のうっぷん晴らしに必要だからかも」
夜の零時を回った時間、道は薄暗く、歩いている人もいなかった。
「早くしないとギルドの集合時間に遅れそうだ」
今日はバイトが始まるギリギリまで寝ていたので、今日行われるギルド主催のクエストの前調べが全然出来てない。
ゲームの世界では物知りで、クエストの攻略方を決め、ギルドのフレンドに指示するのは僕の担当だった。
「まったく、リアルとゲームだと正反対だ」
歩く速度を速める僕は、今年二十歳になる。
なんとなく少年時代を過ごして、何もなく青年時代を送った。
青春なんてものは感じて無かったし、必要性も感じて無かった。
何になりたいとも、何をしたいかも、決まらないまま過ごし、今も何も目的を持たずに一人で暮らしている。
コンビニでのバイトは苦痛だったが、実家に帰れば親に「早く就職しろ」と言われるのが嫌だった。
それだけじゃなく「ゲームは止めろ」「早く起きろ」「早く寝ろ」
実家では全てに選択肢を与えられない。
僕はここまで、履歴書に特記するような事はなにも起こらなかった。
いや起さなかった。
僕は特別を望んでいなかった。目立つ事が嫌だった。
目指す事は何もなく、他人に言われた事をただこなしていく、ただそれだけで良かった。
その事が良いとか悪いとか、満足とか不満とか、それすらハッキリと認識したくなかった。
それは僕の生まれながらの資質。
そして学校でも、僕たちは、競争する事を禁じられ、ゆとりという言葉で全てを誤魔化された。
物事をハッキリさせ、責任の所在を突き止る。そんな事はタブーだと教えられた。
それを教えた大人達は、衰退するこの国を見て急に「おまえの意思はなんだ?」「ちゃんと決めろ!」と言い出す。
選択を迫る大人達は、自分では答えを出そうとしない。
それを「責任ある立場」だとか「担当が違う」という言葉で誤魔化す。
そんなのまやかしだって誰もが分かっている。
だって、大人がちゃんと選択を続けていれば、こんな薄曇りのような、先が見えない世の中にはなっていないだろうから。
「え?」
深夜の路上で僕は立ち止まった。
「……くん」
今聞こえた声を確認する為に。
言葉は僕を驚かせ、足を止めさせる十分な内容だった。
声は僕の名前を呼んだのだ。
しばらく、さっき聞こえたはずの言葉を待つが、何も聞こえない。
オフィス街のこの辺は、夜は動く影などないし、音もまったくしなかった。
「聞き違いか……」
空耳、ありえない音が聞こえる、そんな現象だったようだ。
「まったく、オカルト話は好きだけど、遭遇するは勘弁して欲しい」
ため息ををつき歩き出す僕に、今度はちゃんと聞こえた。
「誕生日、おめでとう。今日はバイト大変だったね……くん」
その声は僕の名前を呼び、そして僕の現状を言い当てた。
本来なら遭遇したくないオカルト現象。震え上がって真っ青になる冪だが、はっきり聞こえた声に僕は安心した。
そしてズボンのポケットに手を入れる。
「君か……本当に驚くから止めてくれよ」
聞こえた声は、取り出したスマホのアプリの言葉だった。
昼に僕に「誕生日おめでとう」を言ってくれた紅い瞳の少女だった。
「ビックリしたけど、君の声だと分かったから安心した」
スマホの中で少女が僕に微笑んでいる。
「それにしても、店長にいびられた事、よく知っているなあ……そんなわけないか。僕のプロフィールとスケジュールから予測しているのだろけど」
スマホの画面から僕を見つめる、少女は口を開いた。
「あなたの事なら、何でも知っている」
少しドキッとした、深夜の都会の独特な雰囲気が合わさって、少女が実は生きているのではないかと思いかけるような言葉とタイミング。
良く出来ているアプリだと聞いていたが……これには少し驚いた。
この紅いスマホのこのアプリのユーザ評価を思い出す。
「普通の少女みたいに会話もできるんだ。しかも機嫌が悪いと返事しないとか、妙に人間っぽい感じがするんだ。彼女いないならこれはお奨めだぜ!いる奴はだめだな。このアプリにのめり込んで、別れる奴が続発らしい……そりゃ、わがままな人間の彼女より可愛くて、文句言わない2Dの彼女の方がいいよな」
確かに良く出来ているが、僕はそこまでのめり込んではいない。
「僕は普通の存在する彼女がいいけど……でも」
お金も無い、イケメンでもない、何も誇れるものがない僕に「人間の普通の彼女」など、一番縁遠いものに思える。
スマホの画面には、少女に対する返事のボタンが表示されている。
それが押される事を少女は待っていた。
それは珍しく選択肢がある答えだった。
僕はそのボタンには触れずに、ホームボタンを押してアプリを中断させた。
そしてスマホをズボンのポケットに再びしまい込む。
「あんまり、驚かさないでくれよ。深夜に2Dの少女に呼びかけられ驚くなんて……」
アプリの少女へ文句まじりの独り言を呟き、自分の部屋へ歩き出す僕。
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