第6話 日々の苦痛

「さすがにバイトへ行かないと……」

 既に遅刻しそうな時間になっていた。


 ゲームの事を考えている時は楽しくて、すぐに時間が経つのに、リアルは何故こんなにも面倒で憂鬱なのだろう。


「いっそ、ネットの中で生きていければいいのに」


 肉体を無くしネットの世界にダイブする、まるでアニメか漫画の世界。

 でもそんな遠くない将来、人間の魂が解析され、データとして生きていくかもしれない。


「そうなったら、バイトもしないでいいのに」


 ただ、数年前に見た映画で、人間にはストレスが必要で、未来に造られた仮想空間は、結局、今の世界と寸分違わず、みんな働いていたっけ。


「はぁあ、結局、バイトは辞められそうにないなあ」

 空想の後にため息をついた僕。


 着替えを済ませて、バイトへ行くために玄関へ向かう。

 ネットの世界で生きていける分けなどない。単なる現実逃避。

 それは分かっている。でもそれを願う心はいつも僕にあった。

 誰にも干渉されず、僕を理解してくれる人だけと暮らせる場所を心から望んでいた。


「今日も無意味に店長に怒られそう……あ~~嫌だ」


 少しずつ心が重くなってきた。

 でもこの生活を続ける為には、バイトは続ける必要がある。


「毎日店長から受けるストレスが、血の味のする夢の原因かも」


 バイトへ出かける前に、スマホをタップしてスリープ状態を解除する。

 ゲームのフレンドから連絡、今日のギルドの集合時間を確認する為だ。

 メールが届いていた。差出人の名前はアスタルト、ゲームで知り合ったフレンド。

 当然、アスタルトは、本名ではなくゲーム中のキャラ名。


 僕が毎晩長い時間を過す、ネットゲームの種類はMMORPG。

 マッシブリー・マルチプレイヤー・オンライン・ロール・プレイング・ゲーム。

 多人数同時参加型オンラインゲーム。


 最近はスマホのしかもソロでプレイできるゲームが多いが、リアルでは必要のない、ネットでの微かな人間との繋がりが欲しかった僕は、この手のゲームを好んでいた。


 ゲームの中では、アスタルトは前衛のジョブ、モンクのプレイヤー。

 アスタルトの本名?知らない。どこに住んでいるか?知らない。

 僕は知らない、リアルの彼の事を何一つ知らない。


 でも、アスタルトは僕の一番のフレンドだった。

 リアルでは話せない事も、気軽に話す事が出来る仲間だった。

 リアルの世界では、五分と人と話さない僕が、ネットの中では毎日、何時間も他人と一緒に行動する。例えそれがゲームの世界でも、苦楽を共にする打ち解けた大切な仲間。


「あ! もうバイトまで時間がない」

 慌ててスマホをポケットにしまい込んで玄関へと移動する。



 少し遅れてついた、バイト先のコンビニ。

 制服に着替えた僕を待っていたのは、いつもの不機嫌そうな店長の顔。


「ちょっと、来てくれ」

 店の倉庫に呼び出された僕。要領が悪く毎日注意されるのが日課になっている。


 店長が毎日言う「ダメ」な僕だが、それは僕の責任以外の事も含まれていたりする。

「欠品が出ている。あれほど商品は不足しないように、確認しろと言っておいたはず」

 僕は下を向いて、小さい声で呟く。

「それは……僕のせいでは」

「何だ?何を言っているか聞こえないぞ。話す時は声は大きくと言っているだろう」


 どうせ大きな声を出したとしても、僕に選択などない。

 怒られる時間が長くなるだけ。


「それと、いつも言っているだろう?お客様には愛想良くしてくれないとな。挨拶が無いんだよ君はいつも」


 店長に言われたとおり、声を少し大きくして答えてみる。


「挨拶は一応……してますし……それに仕入れが切れたのは……僕のせいじゃ……棚卸しは店長の担当……」

今度は切れ切れにだが、ちゃんと聞こえた僕の言葉に、店長は顔を真っ赤にして語尾を荒げる。


「なに? 仕入れを忘れた私が悪いと言いたいのか?」

 大きな声にビクッ、と身体が反応。そして僕の声はいつもの音量に戻った。

「……いえ、その、そういうわけでは……」

 首を振った店長は、両手を組んでまた「声が聞こえない」と言った。

「棚の商品が無くなっていたら、気がついて報告するもんだろう?」


 ここでも、選択肢は僕には無かった。やはり僕に意見など求められてはいない。

 全ては僕のせいで、優秀な店長がミスを起こすわけなどない。


「……す、すみません」


 一択の僕の答え、それでも収まりがつかない店長は「まったく」を繰り返す。

 そしていつもの締めの言葉を呟く。


「まったく、今の若い子は全てに無関心で、責任感もなく常識もない」


〈常識〉大人だと自分を思っている人間が直ぐに持ち出す言葉。

 それがリアルの世界の根幹となっているらしい。

 僕のような人間に絶対的に欠けているものらしい。


 でも僕には大人の都合のいい世界の根幹なんて、興味は無いし理解もしたくなかった。

 そして僕が実際に生きている大事な筈のリアルの世界に、興味があるものなんてなかった。

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