第2話 まだその恐怖を知らない
……朝の十一時三十分。
意識は戻っているが、また目を閉じる。まだ意識はハッキリしていない。
寝るわけでもなく考えるでもなく、ただ目を閉じる気怠い漂う意識を楽しんでいたときに、玄関のチャイムが鳴った。
マンションの入り口のドアホンからだった。
「お届け物です」
どうやら、オークションで落札したスマートフォンが、着いたらしい。
「どうぞ」
解錠のボタンを押し、運送屋を建物に招き入れる。
ガサガサと頭を掻きながら、欠伸をしながら玄関へ向かう。玄関の扉を開けると、にこやかな宅急便の男の顔があった。
「ハンコをお願いします、署名でもかいません」
黙って宅急便の男からペンをとり、自分の名前を書いて丸で囲む。
「はいOKです、これで貴方は彼女のものですね」
朝のボヤッとした頭と時間、黙ったまま、小さな箱を受け取った。
配達の男の奇妙なな表情なんて見ないで。
せっかくのぼんやりした曖昧な、貴重な時間は中断された。
ダイニングに進み、受け取った箱をテーブルに置き、ガシガシ頭を掻きながらバスルームへ。
頭をハッキリさせるために、熱いシャワーを浴びる。
だんだんハッキリしてくる意識と判断能力。
「そういえば、さっき宅急便の男が変な事を言っていたな”これで貴方は彼女のものですね”おかしな言葉だ……うん? もしかして!」
キュッキュッキュッ、急いでシャワーの栓を止めて、流れる熱いお湯を止める。
今年は異常気象、まあ最近は何事も”通常“には中々巡り会えていない。
さっきまでは暑いくらいくらいだった、風呂場が急激に寒くなっていた、
湯気がガラスを曇らせている。
バスタオルで身体を拭きながら、冷えてきた身体で、居間の机に置き放しの、小さな箱を開けてみる。
さっきの男の言葉が気になった。
もしかして、間違って別のものが配達されたのかもしれない。
いや、フリマで騙された? 良くある話だが、自分が遭遇するのは誰でも避けたいものだ。
「彼女? キャラクター商品か。フィギュアかなんかだと困る……にしても、配達の中身を見るなんて……配達のあいつ常識知らずだな」
欲しかったのは、新型のまだ売り出されていない深紅のスマートフォン。
ガサガサ、包み紙をやぶり、箱の中を見ると、どうやら心配しすぎのようだった。
英語で説明が書かれた、スマートフォン写真が見えた。
少し安心しながら、頑丈に梱包された箱を開ける……まだ分らない、中身を見ないと……中には、紅い色のスマートフォンが収まっていた。
「お、これが新型か。深い紅い色もカッコイイな、今までにない色だ」
僕が発した独り言が、白い息に変わる。肩が震える……寒い。
「まったく異常気象だな」
箱から取りだし充電器をつけ、とりあえずスマートフォンの充電を始める。
それから、寒さに身振いしながら寝室へ向かった、服を着るためだ。
功も罪もない僕には、これから起こる事など解る訳もなく、もし事前に奇妙な感触と少女の事を説明されていても、今は一笑にふせただろう。その恐怖を知らない今なら。
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翌日、昨日宅配されたスマートフォンの充電が終わる頃、少し、腹が減ってきた。
時計を見ると、もう午後の二時を回っている。
近くのレストランで、遅い朝食、兼昼食をとる事にする。
近所の小さなレストランは安くて旨い。
マスターと女将さんの二人のお店なのでいつも少し待つ。
女将さんの客への接し方も繁盛している一因である。
「いらっしゃい、あ、いつもどうも」
女将さんがいつものように、ニコヤカに向かえてくれる。
僕はここの浅くかまってもらえる、接客が気持ちよかった。
無理に店の人と話さなくても本や携帯を見ながら、少し時間がかかる料理の出来上がりを待つ、そんな時間が心地よかった。
今日も混雑していたが、一席が空いていて、丁度良く座ることが出来た。
ポケットから、充電が終わった紅いスマートフォンを取り出す。
滑らかな手触り、そして優雅の曲線を描く、そのデザインは美しかった。
しばらく、そのボディを触ってから、電源をオンしてみる。
電源ランプも紅い美しい色、ルビーのような輝きを放つ。
「高級感があるな、原価高そうだけど、本当に5、6万で売りに出ているとは」
獏はフリマでこれを見つけたが、購入価格は5万円、ラッキーだった。
起動が終わり、OSのバージョンが画面に表示されている。”ケルブバージョン1.0”
「ケルブ? 聞いたことのないOSだな、バージョン1.0って、試作機なのか? 起動はスムーズだけど」
メールの設定、ネットへの接続モードを選択して、インターネットへ接続する。
接続は簡単に終わり、見慣れた検索エンジンが表示された。一安心した僕の前に、注文した生姜焼き定食が、運ばれて来た。
「お客さんの携帯カッコイイですね。スマートフォン、紅の色」
店の女将さんが昌治の手元を見つめ、微笑みを返して調理場の方に戻っていく。
残された僕と生姜焼き、美味そうだ。
そういえば、バイトで良く僕に話しかけてくる、同僚の女の子が、この店に興味を持っていた。
バイトで珍しく自分の事を話した時に、この小さなレストランの話題が出た。
決して普段は行わないであろう、料理の写真を撮る行動。新しいスマートフォンが、今日来たばかり、その興奮も、少し僕を変えていたのだろう。
カシャリ、店とランチの写真を撮った。
その二度の音を聞いた時、僕はいつもの状態に戻った。
「ばかばかしい、こんなのを撮って、バイト先で女の子に見せる? ただの社交辞令を話す女に、自分から好意を見せる……滑稽だな」
功も罪もない僕には、予想出来ない状況は好ましくないもの。
相手の本当の気持ちも解らずに、好意と、とられそうな態度を見せるなんて……当然会話が増え、色々と聞かれるだろう。
「休日は何してます? 今度、お店に連れていってくれませんか?」
ゾッとする話だ。僕は首を振り、一度開けた、スマホのメールのアドレス帳を閉じた。
料理はいつもように旨かった。料理を食べ終わり、支払いする為に入り口のレジの前に進む。
すぐに店の女将さんが、気づいて走って来て、生姜焼きの金額を伝えてきた。
千円を差し出すと、それを受け取り、レジに打ち込んで、おつりを昌治に渡した。
「ありがとうございました。また来て下さいね」
軽く頷いて店を出る昌治に、微かに聞こえた言葉。
「かわいい彼女が出来てよかったですね。でも血の香りがする……気をつけて」
振り返った昌治の目に、調理場に急ぐ、店の女将さんの忙しい後ろ姿見えた。
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