第68話 舞鶴への旅――引揚線①
これで何度目になるかねえ、山陰本線に乗るのは……。
あたしら北の地方とちがって、こちらはあったかいから
ほら、ごらん、桜のつぼみが、あんなにふくらんで……。
長い戦争が終わって、日本中どこもかしこも、春爛漫になった。
相変わらず冬のままなのは、あたしら待ちつづける家族だけさ。
おまえが帰って来ない限り、わが家に春はやって来ないんだよ。
おや、そろそろ
そこから舞鶴線にかわり、五つ目の東舞鶴が終点だよ。
さあ、明朝の引揚船におまえを見つけられるかどうか。
神さま、帰りはどうかふたり旅になれなすように……。
*
先だっての夜、お風呂に入っていたら、だれかが外に立っているんだよ。
「けんいち、おまえかい?」って呼ばわったんだけど、なにも答えがない。
もう一度「帰って来てくれたんだね?」と言っても、やはり答えがない。
で、よくよく見てみたら、柿の木に洗濯ものが引っかかっていたんだよ。
おかしいかい? かあさん、近ごろ、よくそんなことがあってねえ……。
おまえのことだから、ぺこんと片えくぼをへこませて、お腹をよじって
笑っているだろうね。いやだよ、またかあさんを泣かせないておくれよ。
*
おまえの首の黒子、そうそう、右の耳のうしろの、その小さな黒子だよ。
生まれたばかりのおまえをだっこしたら、真っ先に目に飛びこんできた。
――この子を守ってくれる、幸せの黒子だ!
うれしくてならなかったよ。ふふふふ、かあさんの勘さ。
だから、おまえは生まれついての強運の持ち主なんだよ。
こんな戦争に、むざむざ命を奪われるはずがないんだよ。
*
あ、そうそう、おまえ、子どものころ、夏になると川あそびに行ったよね。
向こう岸の大岩の下に「河童の住処」と言われる、伝説の淵がえぐられて
いて、むかしから何人もの子どもがそこに引きずりこまれていた……。💦
ある年、斜向かいのてっちゃんが度胸試しに行ったとき、おまえひとりで
助けに行ったよね。まさかおまえ、戦地でもあんな無鉄砲をしておくれで
ないだろうね。卑怯者と言われてもいいから、無事に帰って来ておくれよ。
*
とうさんを戦争に取られてから、おまえ、本当によくがんばってくれたね。
田畑はむろん、牛、山羊、豚の世話まで、身を粉にして働いてくれたっけ。
なかでも、ほら、冬に備えての薪わり、かあさんの手に負えなかったから
秋の夕日に照らされて一心に斧をふるうすがた、目の底にしまってあるよ。
そういえば、おまえ、鶏飼いの名人でもあったよね。🐓
ふだんは猛々しい鶏どもが、おとなしくおまえのあとをついて歩いたっけ。
五郎兵衛だの、龍王青丸だの、寅吉郎だの、そうかと思えば、最中姫だの、
黄粉姫だの、団子姫だの 金鍔姫だの、へんてこな名前をつけていたよね。
あの鶏たちも、かあさんの知らない間に、みんないなくなってしまったよ。
いまは、がらんとした鶏小屋に、置き土産の羽がふわふわしているだけさ。
*
かあさんの一番の楽しみはね、戦地から届く軍事郵便だったんだよ。
そう何度もというわけじゃない、全部合わせても6通だったけどね、
検閲がきびしいなか、どれほどの心をこめた書いてくれたろう……。
そのはがきの配達もぷっつりと絶えてどのくらいになるだろうねえ。
今日もほら、肌身はなさずに持っているよ、6通のおまえのはがき。
*
ゴローがねえ、おまえに会いたがってね、おまえの部屋の窓の下に
行っては「キューン、キューン」とせつなげに鳴きつづけるんだよ。
おまえが出征してから、門の前でお座りをして待つようになってね、
「ゴロー、ビクターの犬になっている」なんて近所の人に言われたよ。
雨の日も雪の日も、毎朝、門の前に出勤して、1日中すわりつづけ、
日が暮れると、スゴスゴもどって来る。1年もそうしていたかねえ。
そのゴローもめっきり老いて、うしろ足がへたりこんでしまってね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます