第61話 さくらとモモ――軍馬徴発③
それから どれほどの 年月が 過ぎ去った でしょう 🌠
ここは 中国大陸の東北部 「満洲」と 呼ばれていた 広大な 地方です
やけつくような 真夏の 太陽の もと 荒涼たる 砂漠を 進む 日本軍
髭面の ひとりの 兵士が ふっと ため息を ついて 顔を あげました
その やさしそうな 面影は……そうです あの たかし 兄さん でした
あんなに さくらに 約束 したのに モモちゃんを のこして 出征した
それは 悲しい 別れの 朝から 半年も 経たない ころの ことでした
*
――ダン ダ ダ ダ~ン!
バギュン バギュ~ン!
弾丸が とびかい 火焔が 立ち のぼり 土けむりが 舞い あがります
仲間の 兵隊たちが たかし兄さんの 前で ばたばた 倒れて いきます
――ひとを 殺す なんて
それだけは いやだ!
赤紙が とどいてから ひそかに ねがっていた たかし兄さん でしたが
――うりゃあ!
おりゃあ!
けものの ような 叫び声を あげながら 敵陣 目がけて つき進みます
そして 何度目かの 戦いの まっさいちゅうの ことです
敵の 弾が 当たった 上官の 馬が どうとばかりに 倒れました
涼しい まなざしが さくらに よく似た 「やまと号」 という 馬です
たかし兄さんは 自分の 身の 危険も わすれ 馬に 駆けより ました
「おい、しっかりしろ!」
でも あおむけに 倒れた 馬は 苦しそうな あえぎを もらす ばかり
腹の あたりから あふれた 血が 見る見る 地面に しみて いきます
――どうしよう
どうすればいい
どうすれば 助けられる
混乱する たかし兄さんの 頭上から 上官の 声が ふって きました
「捨てて おけ 負傷した 馬は 捨てて いく それが 戦場の 鉄則だ」
*
部隊が 立ち去った あとに
うすれて いく 意識の もと 馬の 目は なにを 見て いたでしょう
目の底 まで 染まる ほど 真っ青に 晴れ上がった 大陸の空
もえながら 西の 空を ころがり おちて いく 巨大な 太陽
それとも 焦げくさい 匂いが ただよう 戦いの あと……
いいえ 真っ赤に うるんだ 馬の ひとみに 映って いたのは
なつかしい 母さんの やさしい まなざし
のこして きた 仔馬の あどけない 仕草
かわいがって くれた 家族の 顔 顔 顔
ともに 暮らした 犬や 猫や 山羊や 豚
そんな なつかしい もの ばかり だったのです 🐕🐈🐐🐖
*
どれほどの 時間が 経ったのでしょう――
馬は もう すっかり 弱って 首を もちあげる ことも できません
苦しげに 目を つぶり 物の ように 地べたに 横たわって います
とそのとき 信じられない ことが おこりました
馬の 口から 笛の ような ほそい 声が もれ出た のです
気をつけて いないと 聞き取れない ほど 小さな声でしたが
――ヒ ヒ~ン……
馬は たしかに そう いなないた のです
幸せそうな 笑みが ゆっくり ひろがります
馬の 耳は たしかに とらえて いたのです
地の底を 伝わって くる あの なつかしい 日本語を
ザッザッザッと 軍靴の ひびきが もどって くるのを
馬は もう一度 いななこうと 試みて みた ようですが
今度は ヒュウ という 風の ような 音が もれ出た だけでした
*
動かなくなった 馬の たてがみを 風が やさしく 撫でて います
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