積乱雲は見ていた/語り継ぐ戦争 🎆

上月くるを

第1話 プロローグ




 番組の冒頭で、ザーザーという激しい濁音が何秒間かつづいたとき、防水ラジオの電池切れ、または、いわゆる放送事故かな……湯船に浸かりながらヨウコは思った。


 と、とつぜん男声が流れて、凄まじい濁音は降りしきる雨音だったことが分かる。

 県知事のスピーチにつづき、次代を担うウチナーンチュの代表として中学二年生の少女がこれ以上はないほどの魂魄の籠もった自作の叙事詩の朗読をスタートさせる。


 ウォーキングのあと温浴でくつろいでいたヨウコは湯船の背筋をしゃんと伸ばす。聡明な少女の平和への訴えは、太平洋戦争を経験せず二〇二一年六月二三日が七十六年目の沖縄「慰霊の日」であることをも失念していたヤマトンチュを動かしたのだ。


 

 ――月桃ゆれて花咲けば 夏のたよりは南風 

   緑は萌える うりずんの ふるさとの夏


 

 県民に歌い継がれる『月桃の花』の斉唱もふくめ、一分のゆるぎもない緊張が保持された朗読のつぎは、通り一遍を絵に描いたような首相のビデオメッセージだった。


 なんだろうね、この差異は?!((((oノ´3`)ノ 

 戦後のいやなことをすべて沖縄に押しつけている、日本政府の代表であるならば、だれの目にも営利主義の大義なき五輪になどしがみついていないで自分の足を現地へ運びなさいよ! 自分の不見識を棚に上げ、ヨウコは心底からの憤りを感じていた。


 むかし沖縄を訪ねたとき、ガイドさんが説明してくれた民間人の犠牲の傷ましさが思い出される。苛烈をきわめた沖縄戦の最後、逃げ惑う民間人や兵士の生命がサトウキビ畑に向けられた火炎放射器に消えた。その遺骨はいまも野辺に放置されている。


 番組冒頭の凄まじいまでの雨音は、戦後七十六年を経てなお家や故郷に帰ることを許されず、無惨に荒野に打ち捨てられたままの老若男女の慟哭に違いなかった。💧



 

      *

 



 美貌とか頭脳とか特技とかはさておいて(笑)、気丈にだけは自信があったヨウコがとつぜんパニック障害を発症したのは、いまからちょうど四年前の夏のことだった。


 時代の波に抗しきれずに小さな会社を閉じたとき、わが子同然に産み育てた会社をほかならぬ自分のこの手で消滅させたことへの贖罪&喪失感がどっと押し寄せて来て過信していたほどではなかったヨウコのキャパシティを決壊させたかたちになった。


 呼吸ができない原因不明の苦痛に半月間苛まれたヨウコは、心療内科医に救われてからも極端な臆病に陥り、過去を思い出させる人間関係のことごとくを断ちきった。

 表札も出さない平屋にかたく閉じこもり、玄関チャイムや電話、ファックスの音に怯え、仙人のような生活でなんとか時を凌ぐしか、生きる方途が見つからなかった。


 独りで籠っていると、思考はどうしても負の方向へ雪崩れていく。心療内科医には取り返しのつかない過去を悔いたり、起こりもしない未来への不安に怯えたりするのではなく、今日このときだけを見て、自分の好きなことに意識を集中させ、せっかくの後半生を楽しむように繰り返し説諭されたが、簡単そうで、これがなかなか……。


 やがて、治療の一環として好きな文芸、ことに俳句や小説の執筆を勧められ、幸いにもそこから快復の糸口が見つかったのだが、皮肉にも、治りかけて来るとヨウコの頭と心はほとんど反動的によりいっそう過去の自分を忌避するようになっていった。


 意識して断ちきっていた友人知人との交流も少しずつ復活させ始めると、かつての仕事の業績を持ち出して勇気づけてくれようとする人たちもいたが、当時のヨウコにとって、過去は汚点以外のなにものでもなかったので、そういう話には耳を塞いだ。できれば純白の絵の具で塗りつぶしてしまいたい、何もなかったことにしたい……。



 

      *



 

 入浴時のラジオ放送に衝撃を受けた日の夕方のことだった。仕事時代にはまったく観る余裕がなかったNHK連続テレビ小説『花子とアン』の再放送の視聴で、戦時下の「犬の献納」の場面を観たヨウコのなかに、パチンと音立ててスイッチが入った。



 🔷こんな理不尽がまかり通るような社会に、絶対に逆もどりさせてはいけない。

 🔷いつの世にも儲け追求の芽を隠している軍需産業への野望を阻止しなければ。

 🔷それは、次代のために何もしてやれなかったわれわれ世代の役目ではないか。



 モニターを見詰めるヨウコの胸を忘れようとしていた一冊の絵本が過ぎってゆく。

 家族として親友として可愛がっていた犬を戦争の犠牲にされた小さな女の子の愛の物語。ヨウコ自身の、そして会社の良心そのものであったあの絵本まで過去のものとして忘れ去って、本当によいのか。気づくとパニック症状は起こらなくなっていた。


 不思議な出来事はさらにつづいた。

 翌朝、連載中の小説を更新しようと開いたパソコンに懐かしいメールを発見した。

 上記の「犬の献納」をはじめ、無謀な太平洋戦争が生んだ物語を三十余巻発行していた絵本シリーズに着目してくださり、都庁の近くのビルでパネルディスカッションと原画の展示会を開いてくださった平和団体の学芸員さんからのメッセージだった。


 このたび、そのうちの一巻の原画を画家から寄贈されたので、全国の関連の施設で展示会を開催しようと考えているが、版元ならびに著者として異存はないでしょうかという問い合わせで、会社解散以来ご無沙汰している画家さんも連絡を取りたいそうなのでメルアドを知らせても大丈夫ですか? と丁寧な添え書きが加えられていた。


 カチカチに凍結していたヨウコの気持ちがゆるやかに溶け出ていったのは、先述の事情の積み重なりが自然な流れを導き出してくれたことに加え、若い女性学芸員さんの真心と熱意のこもった文章に打たれたこと、ふたつの理由によるものと思われた。


 さっそく送信されて来た女性画家の行き届いたメールにも力づけられたヨウコは、あんなにいやで仕方がなかった過去を、展示というかたちで公にすることに、むしろ誇りや使命感を抱き始めている自分に驚いた。うつ病とパニック障害の完治にはまだまだ時間を要するようだが、とりあえずひとつの節目を迎えたことはたしかだろう。


 ヨウコの娘たちほどの学芸員さんのメールには「ヨウコさんが積み上げて来られたものをこれからはわたしたち世代が大切に語り継いでまいります」と記されていた。


 身勝手に真っ白に塗りつぶしたいと思っていた過去は、ずっと生き長らえるのだ。

 考えてみれば当たり前のことなのかも知れないが、吸う息吐く息ひとつにも怯えていた期間は呼吸のことしか念頭になく、怖くて仕方がない長い夜の苦しみから逃れるために、いっさいの記憶を封じこめようとしていたのだろう……といまにして思う。



 

      *



 

 なんだかすっきりと吹っきれた気持ちになって散歩に出かけると、梅雨の晴れ間の五月晴れで、高原都市の山も街も、どこもかしこも輝いている。西方の山並みの中腹から湧き出した雲が急速に盛り上がり、真夏の積乱雲のように大きく成長していた。


 いくつもの夏。

 ときどきの積乱雲はすべてを見て来たのだ。


 戦争の過酷な実態も、戦後社会のだれそれたちの秘密裏の営為も、あの愚昧を二度と繰り返してはならないという切実な思いに駆られたヨウコや若い学芸員さんたちの活動も、のちの世代への語り継ぎの胎動も……いままでもこれからも積乱雲は黙って見ている。ヨウコひとりが喘ごうがもがこうが、事実の積み上げがものを言うのだ。

 そう思うと、ウォーキングの歩幅も自ずから広くなるような気がするのだった。


 


      *

 



 IOCと世論の狭間で揉めに揉めた末、無観客でオリンピック&パラリンピックを終了させたものの、国外からの選手や関係者から持ちこまれた変異株ウィルスの感染急増の対応に追われていた首都圏にも、ようやく静かな初秋が訪れようとしていた。


 若い学芸員さんからの懇切な案内メールを受け取ったヨウコはほぼ五年ぶりで都会に足を運んだ。企画を知らされた当初は、ひっそり遠くから見守るつもりだったが、この目で展示を見ておくのは、版元として著者としてのつとめだと思い直して……。


 いまだマスクは必須ではあるものの、ニュースで観たときより落ち着きがもどって来たように見受けられる街の会場には思いがけないほどの来場者が詰めかけていた。

 老人ばかりだろうと思っていたが、むしろ若い世代のほうが熱心のようだ。

 学芸員さんが言うところの「語り継ぐ」活動は着実に受け継がれるらしい。


 文と絵を観てまわるヨウコのまなうらに、あの五月晴れの積乱雲が広がっていた。

 いまは鰯雲に変わっている首都圏の空にも敗戦記念日をふくむ夏の積乱雲は輝き、若い学芸員さんたちの地道な活動を黙って、温かく見守っていてくれたことだろう。




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