二人の少女が描いた悲劇
一話:長いお別れ
海達が二十歳になる年の、11月21日の夜。海はあの日もここで、月子と帆波と共にギムレットで乾杯をした。
古市に頼んで、店を貸し切って、三人だけで。
「……カクテルにはカクテル言葉っていうのがあるんだ」
「へぇ。花言葉みたいなやつ?」
「そう。……ギムレットのカクテル言葉は『遠い人を想う』それともう一つ『長いお別れ』」
「……長いお別れか」
「友人の門出にはぴったりだろう?」
海は、二人の計画の全てを知っていた。知っていて、止めなかった。止められなかった。二人の決意は、あまりにも固かったから。何を言ってももう止まらないと、悟ってしまったから。
『ねぇ月子。良い夫婦の日をさ、ふうふになれない私達の命日に塗り替えてやろうよ』
死のうと思っているとは思えないほど無邪気に笑って、帆波が月子にそう提案したのは、海が高校を中退してすぐのことだった。
月子は、最初こそは断った。しかし、帆波は彼女を説得した。『どうせいつかは死ぬんだから、私は最期まで、月子と一緒が良い。この世で結ばれることが許されないなら、二人で一緒に二人だけの世界に行きたい』と。
帆波が月子に心中の提案をする前日、帆波は姉の結婚式に出席していた。純白のドレスを着て、親族と友人達に祝福されながら、最愛の人と神の前で永遠の愛を誓い合う姉の幸せと希望に満ち溢れた姿は、帆波にはあまりにも眩しすぎた。その眩さが、帆波の心に燻っていた世の中の不平等さに対する不満を大きくしてしまったのだ。
『お姉ちゃん。おめでとう。凄く綺麗だよ』
帆波は不満を必死に抑えて、姉を祝福した。すると姉は嬉しそうに笑ってこう返した。『あんたもいつか着る日が来るよ』と。
『……想像出来ないなぁ。私には』
『そう?あたしには出来るけど』
『……そう。想像する花嫁姿の私の隣には、どんな人が立ってる?』
『どんな人だろうね。そこまでは想像つかないけど、きっと良い男なんだろうね』
姉は知らなかった。帆波が同性愛者であることも、月子と付き合っていることも。
何も知らなかった。
何も知らないが故に放った何気ない一言がきっかけで、帆波の心は闇で包まれてしまったことも。
そして、帆波の心を染めた真っ黒な闇はやがて、月子にも影響を与えてしまった。
「……今日まで協力してくれてありがとね。海」
「本当、助かったよ。ありがとう。海」
静かな月子とは対照的に、帆波は明るく笑う。これから起こることが楽しみだと言わんばかりに上機嫌だった。
月子の声は少し震えており、そこにはまだ多少の恐怖や怯えの感情が見えたが、帆波には一切それがなかった。むしろ、これから遊園地に遊びに行く子供のようにご機嫌に足を揺らしていたが、その瞳には、一切光が差さなかった。
静寂の中、時計の針の音が店内に大きく響く。
二人があらかじめ決めた最期の日が、刻一刻と近づく。
「……ねぇ、海。この国の法律が変わるのって、何年後になるかな」
ギムレットを一口飲み、一呼吸置いて、帆波は海に問う。
「……僕が生きている間には変わる。そう信じているから……僕にあのビデオメッセージを託したんだろ?」
「……うん」
月子と帆波は、ビデオメッセージを一つ、海に託した。三人の共通の友人であり、海の恋人である美夜へのメッセージを。いつか女性と結婚する、未来の美夜へのメッセージを。帆波の提案だった。帆波の中には、一縷の希望が残っていた。いつかそのビデオメッセージが流されることを信じていた。
それを撮ったのは海だ。
「……あ、そうだ、海。これもお願いね」
帆波はそう言って、カバンから二通の手紙を渡した。差出人はそれぞれ、月子と帆波。宛先は美夜。
「……預かっておく」
「ありがとう。……ごめんね。こんな辛い役やらせちゃって」
「……僕はあの日、死ぬはずだった。いや、死んだ。今ここに居る僕は……ただ単に、寿命を迎えるまで死ねない呪いに操られてる屍だ。だから……辛いとか、そういう気持ちも、もう無いんだ。その証拠に、君達がこれから死ぬっていうのに——もう一生会えなくなるってのに、涙一つ流れない」
海はそう静かに語り、空になったカクテルグラスにウィスキー注ぎ、一気に流し込んだ。そして一呼吸置いて、こう締めくくった。
「だから、罪悪感を覚える必要はない。僕は二人の選択を責めたりしないから」
「……相変わらず優しいね。海は」
「……優しくないよ。大切な人を大切に出来ないクズだ」
「大切な人って、美夜のこと?」
「……さぁね」
カチッ、カチッ、カチッ……時計の針が、二人の命日へのカウントダウンをする。三人は黙って、時計を見つめる。
「……輪廻転生の周期って、どれくらいなんだっけ」
帆波が海に問う。
「百年から二百年くらいだって言われてるよ」
「……そっか。じゃあ、またいつか、向こうで会えそうだね」
「……あぁ」
時計の長針が、カチッと音を立てて、一歩先にいた短針に追いつき、重なる。
「……変わったね。日付け」
海がぽつりと呟いた。
「……うん。行こっか。月子」
帆波が立ち上がり、月子に手を差し伸べる。
月子は俯き、ふーと長いため息を吐いて、顔を上げた。そして、震える手を、恐る恐る帆波に伸ばす。帆波はその手を握って、優しく笑った。そして月子を抱きしめ、これから死ぬとは思えないほど優しい声で、彼女は囁く。
「大丈夫。一緒だよ。月子」
「……うん。……じゃあ、海。またね」
「……あぁ。……また」
二人は手を取り合い、店を出て行く。海は二人の方を見ずに、背を向けて手を振った。
カランカランと、バーの玄関の鈴が音を鳴した。まるで、二人の門出を祝うように。
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