悲劇と希望

三郎

プロローグ:遠い人を想う

 日本という国において、結婚は異性間だけの特権だった。

 恋愛は異性間で行われるもの。それが世界の常識だった。

 しかし、そんな常識は少しずつ変わり、様々な国で、同性同士の婚姻が認められるようになっていった。

 そして、20xx年某日。

 ついに、日本の法律も変わった。

 その日から、同性同士の婚姻が可能になった。


「……これでようやく、天龍てんりゅうさんと水元みずもとさんも報われるかな」


 速報を見て呟いた夫の麗音れおんに、かいは黙って頭をもたせかける。麗音はそんな彼女の頭をぽんぽんと撫でた。

 二人の中学時代の同級生である天龍てんりゅう月子つきこ水元みずもと帆波ほなみは、20歳になる年の11月22日に、二人揃って天国へと旅立った。突然の死ではなく、二人はあらかじめその日に心中すると決めていた。決意は固く、二年以上かけて念入りな計画を立てていた。


「……後悔してる?って、聞かないの?」


「もう聞かない。君が妥協で俺を選んだわけじゃないことは、ちゃんと分かってる」


 彼女は同性愛者として生きてきた。異性愛主義の世界を憎んでいた。

 そんな彼女が最終的に人生の伴侶に選んだのは、彼女の隣に並ぶこの男。つまり、異性だった。

 妥協で選んだわけではない。偽装結婚でもない。彼女は彼を、心から愛した。

 しかし、仲間達からは理解されず「逃げた」だの「裏切った」だの罵られることも少なくなかった。彼女自身も葛藤していた。自分が異性愛者の特権を利用して良いのかと。異性を愛したことに罪悪感と嫌悪感を抱えながら、それでも彼を愛して生きてきた。


「……僕みたいな人も、裏切ったって言われなくなるかな」


「……そうなると良いよね」


両性愛者バイセクシャルは、最終的には異性を選ぶ』マイノリティのコミュニティの中にも、そんな偏見があった。海も同じ偏見を持っていた。

 男性を愛した彼女が頑なにバイセクシャルを自称せず『レズビアンだけど夫は例外』という言い方をするのは、男性でも恋愛対象になると思われたくないからだが、バイセクシャルに対する嫌悪や憎悪の影響が全くないとは言えないかもしれない。

 かつて彼女も、愛した女性を責めた。自分を捨て、男性と恋愛することを選択したことを理由に。裏切ったと、泣きながら責めた。

 夫を愛して、その件で仲間から責められ、その時ようやく、当時彼女を罵倒したことを反省した。


「……ただね、思わない日はないんだ。あの頃から同性同士の結婚が認められていたら、僕は君に恋をする前に、別の人と結婚していただろうって。同性愛を頑なに否定する世界が、僕らを結びつけた。皮肉な話だよね」


「……そうだね」


「……だけど、後悔しているとは言いたく無い。誰にもそんなこと思わせたくない。僕は、自分の意思で君を選んだんだ。妥協なんて一切していない。君が男だったからじゃない。君だったから、人生の伴侶に選んだ」


「ん。分かってるよ。今はちゃんと、分かってる」


「……僕を信じてくれて、僕の選択を肯定してくれて、ありがとう」


「こちらこそ。俺を愛してくれてありがとう。自分の心に素直になってくれてありがとう。これからも、最期まで、よろしくね」


「……うん。こちらこそよろしく」


 結婚は異性間だけの特権。そんな時代はもう終わった。ようやく、過去のことになったのだ。

 そしてその日の夕方、二人の元に一本の電話がかかってきた。相手は、二人の娘からだった。話の内容は結婚式の日程についてだった。結婚相手は高校生の頃から付き合っていた女の子。

 かつて海が見た夢は、四半世紀以上の時を経て、娘が叶えたのだった。


「ちょっと出かけてくる」


「天龍さん達のところ?」


「……いや、そっちは明日にするよ。今日は誰か居そうだし。今から行くのは古市ふるいちさんとこ」


 古市ふるいち幸治こうじ。海が若い頃にお世話になったバーテンダーだ。歳は海より十歳上。今も現役で、カサブランカという名前のバーのオーナーをしている。


「いらっしゃ——お」


「久しぶり。おっさん」


「海ちゃんじゃないの。元気してた?」


「……うん。元気」


「何飲む?」


「ギムレット」


「ギムレットね」


 時刻は八時過ぎ。開店してから時間が経っているのにもかかわらず、店内は誰もいなかった。まるで貸切りにされているかのように。


「いつもこんなガラガラなの?」


「ううん、昼間、ニュース見て、海ちゃん来るかなぁと思ってさ、今日は貸切りにしたのよ」


「……来なかったらどうしてたの」


「その時はまぁ、休めてラッキー」


「……相変わらず適当だなぁ」


「人生なんて適当で良いんだよ。人はどうせ、いつか必ず死ぬんだから。真面目すぎると疲れちゃう」


『人はどうせいつか必ず死ぬ』古市の口癖だ。海が初めて会った日も、彼はそう言っていた。

 その日、海は死ぬために電車に飛び込もうとした。そこを古市に阻止され、こう言われた。

『まだ若いのに、今死ぬなんてもったいない。急がなくたって死は必ずいつか向こうからやってくるんだから』と。

 海は言い返した。

『いつか死ぬなら、死ぬ日を自分で決めたって良いだろ。邪魔するなよ』と。

 すると古市はこう返した。

『たしかにそれも一理ある。けど、やっぱり勿体無いし、どうせなら捨てる命なら、俺に少しだけ使わせてくれないか』と。

 そして、一ヵ月という短い期間を設けて、自身の経営するバーで働かないかと提案したのだ。海は渋々その誘いに乗った。

 一ヵ月後、古市はもう一度彼女に提案をした。

『いつか来る死を待つまでの間、うちで働く気はないか』と。


「……おっさん」


「ん。何?」


「……今度、結婚するんだ」


「お。えっ。何?再婚?」


「あぁ、いや。僕じゃなくて、娘が。……娘が、同性と結婚するんだ。この国で」


「……それを報告しに来てくれたの?」


「……そう」


「へー。おめでとう」


「ありがと」


「どう?生きててよかった?」


「……まぁ、そうだね。けど、あそこで死を選んでいたら不幸だったとは言わない。いつか死ぬなら、自分で最期を決めるのもありだと、今でもそう思ってるよ」


「……そっか。はい、ギムレット」


「……ありがとう」


 カクテルグラスに入ったギムレットをちびちび飲みながら、海は、亡き友人達との最期の日に想いを馳せた。

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