三十 侵略

 備後の和智豊郷との繋ぎは、実は大内家による周旋である。

 毛利元就は、陶興房の去りし後、その興房の依頼による、として、和智豊郷本人がやって来た。

 備後北部、安芸北部、石見北部は近接している。ゆえに、備後の豪族である和智家の合力は、理にかなっていると言えた。


「問題は、時期でござる」


 和智豊郷は、尼子家が備後の多賀山家に食指を動かしていると述べた。

 それは、元就も承知していた。尼子家の動静は、大内家との繋がりを持つと決めた以上、これまでより深く探るようにしていた。

 そして、だからこそ元就は、高橋攻めの時期を、その尼子の備後攻めの時期にと、見定めていた。


「何ゆえ」


 豊郷の驚きに、まあまあと元就は落ち着くように仕向け、それから言った。


「尼子の、尼子経久自身が備後に傾注している隙を狙いたい」


 多賀山家の蔀城は堅城と聞く。おいそれとは陥ちまい。備後の他の豪族も、固唾を飲んで見守っていよう。


「それこそ、好機」


「とはおっしゃるものの……」


 豊郷としては、元就の言に一定の理解を示したが、まだ不安があった。


「尼子が、高橋を守らんとすれば……」


「石見には銀山がある」


 大内家の過剰ともいえる防衛反応に、尼子が、それも他国を攻めている最中に、対応できるものだろうか。

 ここまでは、尼子家の亀井秀綱が看破していたところである。

 そして、元就には、さらなる策があった。元就が陶興房に手を回して、確約を得ておいた策が。

 豊郷は、それを知ってか知らずか、問いを重ねる。


「しかれども、では拙者と毛利どのが高橋を攻めるとして、どれほどの月日が……」


「奇襲する」


「奇襲」


 その隙はあるのか、という目で豊郷が凝視してきた。

 そこで、元就は懐中から書状を取り出す。


「これなるは、大内家中、弘中興勝どのからのものでござる」


「弘中」


「さよう。石見にて、これより、高橋をかき回す、とのことでござる」



 尼子家の備後遠征が始まってしばらくして、というか、毛利元就の書状が亀井秀綱の元へ届けれられた直後に、石見に待機していた大内家の家臣・弘中興勝は行動を開始した。

 興勝は手勢を率い、高橋家の藤根城へと攻め寄せる。

 高橋家の当主、高橋興光は、毛利家の攻撃を予想していたところ、まったくの逆方向からの痛撃に仰天した。


「すわ、何事」


 たしかに高橋は尼子方である。だからといって、こうも急に突然に、大内家から攻められるいわれは、無いように思われていた。

 しかし、腐っても石見に覇を唱えた高橋家の当主として、当然ながら、反撃に出た。


「藤根城には、おれ自身が行く」


 弘中家は、大内家重臣の家柄。それ相応の支度と規模の兵が来ていると見た。

 毛利の側、安芸の方は、高橋重光が行方不明であるが、父・高橋弘厚が居る。

 毛利に動きあらば、弘厚が対応してくれよう。

 そう判じた興光は、弟である本城常光に後を託し、一路、藤根城へと軍を進めるのであった。

 ……その軍勢の中に、密かに、叔父・盛光が紛れていることも知らずに。



 一方で、安芸の高橋家の牙城・松尾城は、毛利と和智の両軍勢に攻め立てられ、落城の危機に瀕していた。

 高橋弘厚は無能ではないが、さすがに毛利のみでなく、和智の軍までいるとは予想できず、二正面作戦を強いられ消耗し、たまらず石見にいる高橋家当主にして実子である高橋興光への援軍を依頼した。

 しかし、返ってきたのは次子である本城常光からの、興光が藤根城にて大内家との攻防の最中であり援兵は無理との返答であった。


「これはまずい」


 弘厚は、毛利と和智の二正面作戦から、さらに大規模の、大内と毛利の二正面作戦を連想した。


「急ぎ、尼子へ助力を依頼せよ」


 弘厚は書状を書き、それを忍びに託したものの、尼子からの返答は無かった。

 再三再四、書状を発したものの、やはり返事はなく、とうとう弘厚自らが行くしかないと決意した。


「しかし、誰に留守を託すか」


 毛利と和智の攻勢はただならぬものがあり、また、藤根城の方も、弘中興勝の苛烈な攻めに、興光がたじたじとなっていると聞く。

 そうこうするうちに、近侍が、高橋重光が忍んでやって来たとの知らせを持ってきた。


「いかがいたしましょうか」


 重光の凶行により、毛利家の攻撃が直接に始まったというのは、高橋家においては周知の事実である。

 だが、弘厚はさすがに重光の兄ということもあり、同情的な向きもあった。それで、とにかく、会ってみるだけでも、という気持ちになった。


「よかろう、通せ」


「はっ」



 重光は髪も乱れ、無精ひげを生やし、着物もぼろぼろという有様であった。


「兄上」


 そう言って目に涙をためた重光を見ると、弘厚としては、やはり気の毒という思いが湧いた。

 近侍や家臣たちは、いわば叛賊ともいうべき重光に対する警戒を怠っていなかったため、掻き抱くわけにはいかなかったが、会話はした。

 そうして話すうちに、尼子への援兵依頼についての話になった。


「兄上、では拙者が」


 重光は、名誉挽回の機会を与えてくれと、切に訴えた。

 家臣たちは難色を示した。今さら重光に、高橋家の代表として尼子家へ行ったとして、何になろう、と。


「拙者には、塩冶興久どのに伝手がござる」


 重光は言った。たしかに毛利の娘については不手際はあった。あったが、その「共犯」とも言うべき塩冶興久ならば、重光の願いも無下にはできまい、と。


「重光の言、一理ある」


 弘厚は重光の願いを聞き届けることにした。なおも否定的な家臣たちには、なら重光を城に残して、この弘厚が行くというと、押し黙った。

 さすがに城を乗っ取られるまではいかないが、何か不穏なことを仕出かすやもしれぬ重光を、弘厚のいない城に置いておくことは躊躇われたのである。


 ……こうして、高橋重光は、兄・弘厚からの書状を預かり、尼子家――塩冶興久からの援軍あらば導く役割を与えられ、来た時と同じように、忍んで、松尾城を出て行った。



 数日後。

 毛利、和智、毛利……と交互に攻め立てられる松尾城にて。


「今日は和智か」


「いや毛利の日だぞ」


 という苦い冗談が交わされる城壁にて。

 毛利でも和智でもない旗印の集団が見えた。


「花輪違の旗印」


「尼子……いや、塩冶だ」


 松尾の城兵は沸いた。

 元・城主である重光は、やはりわれらを見捨てなかったか。

 見ると、今日の攻め番であった和智が退いていく姿が。


「やった」


「弘厚さまに知らせよ」


「いや城門を開けるのが先だ。もう来るぞ」


 早く入れなければ、援軍の塩冶興久を、むざむざ和智と毛利の攻撃にさらすことになる。

 戦場ならではの、現場優先の判断。

 だがそれが、仇となった。


「開門、開門!」


 先頭に立つ、高橋重光が叫ぶ。

 それっとばかりに城兵が門を開け、重光につづいて「その軍勢」が城内に入った。

 入ってしまった。


「かかれ!」


 軍勢が花輪違の旗を捨て、本来の旗を掲げる。

 一文字、三ツ星の旗印を。


「毛利……!」


 駆け付けた弘厚は臍を噛んだ。

 それにしても、まさかあれほど毛利憎しだった重光が、高橋を裏切るとは。

 怒り心頭の弘厚は、激昂しながら、毛利の兵を導く重光に斬ってかかった。


「おのれ重光! わが信頼を裏切るとは!」


「黙れ! 高橋家を壟断する兄上と興光、除いてくれる!」


 重光は手痛い失敗から立ち直れず、歪み、そしてとうとう毛利に身売りしてまで、高橋家に返り咲くという、最悪の選択肢を採用した。

 狂い笑う重光の目には、もはや兄の弘厚をまともに見ようとする力は無い。いや、まともに見たら、それこそ更に狂いを増してしまうであろう。

 弘厚は是非もなしと刀を振るい、重光もまた凶刃を走らせる。

 閃光。

 瞬間。

 弘厚と重光は、互いの腹部を刺し合っていた。

 口中から血をほとばしらせながら、重光は叫ぶ。


「やった! 兄上をやった! これで……高橋は……おれの……も……の……」


「……愚かな」


 重光の断末魔を聞いてなお、弘厚は弟に対する憐れみを感じ、そして自らもまた逝くのであった。


 享禄二年五月二日。

 安芸・松尾城、落城。

 そしてその落城の報を聞いた高橋興光は、籠城していた藤根城から出撃し、大内家の包囲を脱しようとした。

 しかし、その出撃中。

 興光の背後から、忍び寄る足軽がいた。


「わが妻となるべき娘の遺恨、思い知れ」


「盛光叔父……まさか……!?」


 毛利の娘と昵懇にしていた高橋盛光の手により、興光は果てた。

 しかしその盛光も、周囲にいた興光の近侍たちにより串刺しにされ、討たれた。


 高橋重光も、高橋盛光も、毛利元就の策謀により、己が一族の者を殺し、そして殺されたと伝えられる。


 ……かつて妻に、相剋を乗り越えると語った毛利元就であったが、その彼が、高橋家の相剋を誘った上での侵略征服であった。

 

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