二十九 策動

 陶興房が山口へと戻っていったあと。

 元就は、私室で妻・妙玖と暫しの時間を共にした。

 娘の死の真相。

 元就は、訥々と話し、妙玖は黙って聞いていた。

 最後に妙玖は問うた。


「それでわが君は、いかがなさるおつもりで」


「高橋を攻める」


「さようなことを為されて、あの子が戻るとでも……」


「思っていない。思っていないが、あの子は墜死を選んだ。なら、その意を汲むことが、親として最大限できることだと思う」


「…………」


 妙玖の無言の抗議は、こたえた。

 高橋を滅ぼすこと。

 それは結局、毛利の、元就の野望であって、それは娘の遺志なのか、と。


「そう思われても、構わん」


 あの日。

 相合元綱が死んだ日の夜に、妙玖と契りを交わして誓ったことだが、尼子の相剋を乗り越えること、未だ、かなわず。

 しかし、人質として生き、人質として死んだ娘が遺したのが、毛利を、元就と妙玖の意によるものとしたいということであるならば。

 それが元就の野望と重なることであろうとも。


「為そうと思う。それが悪であり、罪であり、業であるならば、私が背負う」


 妙玖が飽くまで、ひたぶるに娘の死を悼むのなら、それでいい。


「それもまた、菩提を弔うということであろう。仇を討とうとする私より、ずっといい」


 俯いていた妙玖だが、その言葉を聞いて、決然と面を上げた。


「いえ」


 そこで少し間を置いたが、だが妙玖は言葉をつづける


「わたくしも共に、それを為します」


 頬を涙に濡らす妙玖を、元就は抱きしめた。



 出雲の亀井秀綱の元に、安芸の毛利元就から書状が届いた。


「高橋を攻める、か……」


 予想が出来ていたことだ。高橋家の対処を諮られた時から、それは分かっていたことだし、主君である尼子経久には報告していた。

 ましてや、尼子家の塩冶興久がその高橋家に預けた毛利の娘の死に責任がある以上、尼子家としては、もはや何も言えぬ。

 だが書状を読み進めていくと、予想もつかないことが記されていた。


「……しかるに、備後の和智豊郷と共に、高橋を攻めるだと?」


 実は、備後にて、尼子経久が多賀山氏の蔀山城を攻撃している最中である。

 その備後の国人の助力を得て、石見に攻めかかるとは。


「……何か裏があるのか」


 たしかに、毛利の高橋征伐について、それに伴う他家とのいろいろについては任せると言質を与えた。

 それにしても、備後とは。

 しかも、他ならぬ尼子経久がその備後に出征している折りに。


「だとしても、もはや何も言えぬ」


 経久もまた、毛利の高橋征伐について、ある理由を考慮して、手出し無用との言葉を秀綱に与えている。それも、塩冶興久の不手際の前の時点でだ。

 秀綱は、経久へ向けて報告と静観する旨の書状を書き、このことへの対応は済ませた、と考えることにした。


 しかし、意外なところから反論が出た。


「高橋家は、尼子の石見における藩屏。唇亡びて歯寒しと言う。このまま、手をつかねているのは如何いかがなものか」


 その反論を唱えたのは、塩冶興久である。

 父・尼子経久の出陣中である今、さすがに「宰相」である亀井秀綱がいる手前、大きな顔をして留守居役を気取ることはできないが、ここぞとばかりに反応を示したのである。

 叔父である尼子久幸のしにより、毛利の娘の一件は、不問というか有耶無耶にされた。大内義興の死去が、それほどまでに大きかったためである。

 そして今、当の久幸も備後遠征に従事している。


「この塩冶興久、先の高橋家との失態を雪ぎたいという一念もある。是非是非、援兵として、拙者を」


 ぬけぬけと「失態を雪ぐ」という名目を掲げるところが、面憎いと言うか、親譲りの智嚢ちのうと言うべきか。

 いずれにしろ、秀綱としては、毛利に手を出すなとしか言えない。


「何ゆえに、亀井どのはそう、毛利を恐れるのか」


 そこまで言ってくる興久に、秀綱は怒りではなく、むしろ憐憫の情が湧いてきた。


「では塩冶どのなら、五倍の敵の将を討ち取ったり、夜襲により敗勢を覆したりできるのか如何いかん?」


「…………」


「ここだけの話、大内が影で動いているとの噂もあり申す。ここで派手に大内との戦端を開くのは、如何なものか」


 皮肉なことに、興久の最初の発言をなぞるような発言になる秀綱である。興久がそれに気づき、片頬をぴくりと動かした。


「大内との戦を恐れるのか」


「では申し上げる」


 秀綱としては、事ここに至っては、話し合いでの決着がつかないと判じた。それゆえ、伝家の宝刀である、主・経久の言を借りることにした。


「大内が石見の銀山を自家薬籠中の物としていることは、つとに知られておる。その石見に、うかうかと尼子の兵を入れてみよ……相応の覚悟が必要となる」


 ましてや今、尼子の将兵の主力は、備後へと傾注している。大内との全面対決は、できうることなら万全の状態で臨みたい。少なくとも、尼子経久自身の親征であるべきだ。

 そう秀綱は補足すると、興久は今度は完全に怒りを露わにした。


「父上の言葉を借りるとは何事だ。仮にも尼子の宰相であろう、秀綱は。それが、何じゃ」


「何じゃと言われましても。いずれにせよ、拙者を怒らせて、興久どのは何をしたいのです」


 底知れぬ、心中をうかがい知ろうとする目。

 亀井秀綱は、尼子経久の謀臣である。宰相と言われるのは、老境に入り、文治行政も任されるようになってからの話であり、そもそもは謀臣である。

 その謀臣が、胡乱な目をして、興久を睨んでいる。

 興久もまた、父・経久の血か、牙をかんばかりの凄絶な笑みを浮かべた。


「……よかろう。秀綱が父の名の下に、そこまで言うのなら、こたびは退こう。だが、後悔するなよ。父の帰国後、あるいは毛利の高橋征伐が終わったあとに、どちらが正しかったか、分かることになる」


 その捨て台詞と共に、興久はその場を辞した。

 そしてそのまま居城へと帰り、引きこもってしまった。

 こればかりは、秀綱も自身にも責があるとし、それ以上興久に対してとやかく言うつもりもなく、主・経久に対しても、事実のみの報告で済ませた。


 どうせまた、ほとぼりが冷めるまでの振りであろう。


 ……この時は、誰もがそう思った。

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