二十六 交錯
出雲。
月山富田城。
亀井秀綱が、大内家との「和睦」の意志を伝えに、山口へと発ったあと。
尼子経久の下に、その凶報がもたらされた。
――高橋家に預けられし毛利の娘、死す。
それだけならまだいい。
この戦国乱世、人質の死は、有り得べきことだ。
問題は、その死の有り様である。
「何? 興久が手引きをして――高橋家から毛利の娘を? その折り、その娘が墜死だと?」
塩冶興久が、高橋重光を調略し、高橋家から毛利の娘を連れ出し、その受け渡しの山中で起きたこと。
それを知った経久は激怒した。
調略するのはいい。
毛利の娘を奪うのもいい。
だが、死なせるとは何事か。
毛利との交渉決裂の上で殺すならともかく、墜死とは。
「急ぎ、興久を召喚せよ」
だが興久は、月山富田城へとやって来なかった。
「何をしているのか」
興久は何かを察したのか、再三再四に渡る経久の書状や使いを無視した。
こういう場合、亀井秀綱がいれば、興久の元へと派して、問責なり話を聞くなり任せられるものを。
歯噛みする経久は、ついに自らが行くかと腰を上げた。
驚いたのは、経久の弟、武における腹心である尼子久幸である。
「兄者、不用心に過ぎるぞ」
「久幸、さようなことを言うても、息子に会うだけではないか」
「これはしたり」
久幸は、彼らしくもなく、人の悪い笑みをした。
「兄者、他ならぬ兄者が、興久を臣下と呼んだ。忘れたか、息子を他人と、臣下と呼んだのは、兄者だ」
「…………」
久幸もまた、同じ尼子の一族として、当時の塩冶興久に同情的な向きであった。久幸は何も言わなかったが、それでも、蟄居していた亀井秀綱を経久の元へと連れて来た。弁の立たない自分より、秀綱の口舌に任せたのである。
「思えば、それが、兄者の言葉が、今を招いたのではないか」
弁は立たないが、思惟思考は秀綱や経久に匹敵する頭脳の持ち主である。ましてや一族のこと。久幸はその機微を察した。
「……では、どうすれば良い?」
雲州の狼と呼ばれて久しい経久であるが、この時ばかりは、ほんの少し弱気に見えた。弟である久幸でないと、分からないぐらいであるが。
「ここは……おれが参ろう。兄者では、向こうもは会いたくなかろうし、興久の兄の国久や、ましてや
次期の尼子の首脳陣である詮久と国久が行っては、なお反発しようというもの。
そこは、当主の弟であり、叔父として親しんできた久幸なら、一目くらいは会ってくれるだろう。
そう、久幸は読んでいた。
「よかろう」
経久は、久幸の肩を叩いた。
「委細、任せる」
久幸は、経久の手を握って答えた。
「うけたまわった」
尼子久幸としては、これで尼子経久と塩冶興久の父子の決裂を阻止するつもりでいた。
相剋の謀略を得意とする経久が、父子で争う。これほどの悲劇が、いや喜劇があろうか。
「他人事ならそれも良い。だが、わが兄と甥のこと。おれが、何とかせねば」
……しかし、塩冶興久としては、もはや追い詰められた獣と化していた。
尼子久幸は、そこまでは考えていなかった。父子げんかをこじらせたものだろうと考えていたからだ。
尼子経久もまた、そういう想いでいた。ただ、経久がもう少し冷静に、塩冶興久という男と、周囲の情勢を考えればそれが分かったかもしれないが、やはり父子ということで、その目が曇らされていたことを、誰が責められるであろう……。
*
亀井秀綱は、その時、聞いたことのない獅子の咆哮を聞いたような気がした。
山口にて。
この
秀綱は、大内家当主・大内義興への面会を求め、待たされること数日、年の瀬も迫り、さすがにこれ以上留め置かれることになるならば、出雲へ帰るかと考えていた頃。
「ご逝去?」
「さよう」
沈鬱な表情をしている陶興房を前に、さしもの秀綱も恐縮して悔やみを述べるのみである。
信じがたいことに陶興房は自ら秀綱の居る宿に足を運んでやって来て、これまで待たせたことを詫び、大内義興の死を告げた。
大内義興、この時五十二歳。
上洛して天下人となり、そして今、中国地方に大内ありと覇を唱えている最中であった。
その生涯、生き様はまさに、獅子とも言えた。
「和睦の件は」
興房がそれとなく問うて来るが、秀綱もさるもので「出雲へ帰国後改めて」と答えた。
そして興房は去った。
去り際に「いつお帰りで」と聞いてきたので、この後すぐである旨答えると「では誰かに送らせる」と言い置いて、馬上の人となった。
大内家は代々、当主が代わる時に、家督争いや権臣の座を巡ってのいざこざが生じる。
興房は、秀綱がそれに巻き込まれないよう、気を遣ったのである。
「さすが、大内の宰相」
己もまた尼子の宰相であるが、そこまで大度になれるのであろうかと秀綱はひとりごちた。
やがて、興房の周旋で、弘中興勝と名乗る武将が来たので、共に山口を出た。
*
弘中興勝は、周防と安芸の国境まで送ってくれた。
「御免」
と簡素に挨拶を告げると、興勝は馬を飛ばして行った。
さすがに主の葬儀等々があるであろうから、それもむべなるかなと思い、秀綱としても頭を下げるのみにとどめ、すぐに振り返って、安芸に入った。
佐東銀山城を訪れ、安芸武田家の武田光和及び、安芸の国人諸将との面会を求めた。すると、奇妙なことに気がついた。
「武田どの」
「何でござる」
「武田どののみでござるか? 他の方は……」
ああ、と言って、光和は説明した。
「それぞれの領地に戻られておる」
「な、なにゆえ」
「亀井どのが大内に行かれた旨を知り、毛利どのが」
「毛利どのが?」
毛利元就は、尼子家重臣筆頭・亀井秀綱が山口へと向かったことを知り、安芸国人軍の一時的な解散を提案した。
「亀井どのという、尼子の宰相ともいうべき方が山口に居るのに、そうおいそれと攻めまい、と。攻むるのなら、少なくとも、亀井どのを返してから、と」
「…………」
たしかに、大内家は、秀綱に対し、陶興房を自ら挨拶に寄越すほどの扱いだった。
まあそれも、陶興房自身の意志が反映されていると思うが。
「……賢明な亀井どのなら、それを察しておろう、と」
「……さようか」
そのあたりの動きも含め、おそらく尼子経久は秀綱に対して動けと言っていたろうに、秀綱の落ち度となるところを、毛利は救ってくれたと言えばいいのだろうか。
あの佐東銀山城の戦いにおいて、毛利にすっかり
光和は仰天しつつも、即座に早馬を出す、と自ら厩へ向かって行った。
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