二十七 動揺
亀井秀綱が、佐東銀山城を辞している頃。
出雲では、塩冶興久が尼子久幸の訪問を受け、その心中を吐露している最中であった。
「じゃから……俺は……尼子に……それを……」
興久としては、毛利の娘を死なせてしまったのは痛恨事である。痛恨事であるが、起きてしまったことは、止められない。それは理解しているので、興久としては、その心中の「奥」の部分を吐露し、「表」の部分は触れないという策に出た。
「尼子というのに……塩冶……臣下だと……」
それこそが、興久の、父・尼子経久に対する不満をひと言で表していた。
久幸としては、言い分はどうあれ、尼子家の内部ではなく、高橋家や毛利家といった外部を巻き込んでいる。そうなった以上、尼子家当主たる尼子経久への弁明が必要だと説いた。
「弁明?」
興久としては、理屈としては分かるが、感情としては納得できない。
あの時、毛利の娘が飛び降りなければ。
高橋家も毛利家も意のままに操って、今頃は父に……いや、今となっては他人である「尼子」経久へ合戦を挑んでいたというに。
いや……まだ目がある。
興久には、まだ切り札があった。
たとえ高橋や毛利が従わなかったとしても、まだ大いなる力を仰ぐことができる。
こうなれば、この目の前の、尼子経久の腹心を……。
「一大事でござる!」
興久が血走った目をして面を上げようとしたとき、その声が飛び込んできた。
その近侍が「御免」と言うや否や、城主の間に急ぎ入り、そして言上した。
「お、大内どの。山口の大内どのが」
「落ち着け」
「どうした」
興久と久幸という、尼子の傑物二人に声をかけられながらも、近侍は己を失わず、しかし辛うじて続きを述べた。
「義興どの……お、お亡くなりとのこと」
「何?」
「なんと」
久幸は、長年の宿敵である大内義興の死に、さすがに驚愕を隠せなかった。
だから、気づけなかった。
興久が、それこそ尋常ではない様子で青い顔をして脂汗をかき、酷く――動揺していることを。
「……う」
「落ち着け、興久」
久幸が自失から戻る時には、興久の様子は、先ほどよりは動揺の度合いが収まっていた。
それゆえ、久幸は興久が自分と同様同種の驚きを味わっていると感じた。
「……事ここに至っては、已む無し。おれは兄者の元に戻る。お前のことは、少なくとも大内家に対してどうするかが決まるまでは、留め置くよう兄者に言っておく」
だから自重しろよと言外に久幸は言い置いて、急ぎ、月山富田城へと戻っていった。
残された塩冶興久は、その久幸の気遣いに何も思うことは無く、むしろ空虚な笑いを浮かべ、やがて哄笑し出した。
「死んだ? 大内義興が死んだと? ははは……当てが外れたが、まあいい。よく死んでくれた。おれは、ついてる、ついてるぞ……ははは、ははは、はっははは……」
*
大内義興、死す。
その凶報が中国地方に激震をもたらす中、毛利元就は一人の客を受けた。
陶興房である。
「かような茅屋へとご訪問いただき、まことに恐懼の至り」
「ああいや、謙遜は無用に」
興房は簡素な平服で吉田郡山へと来て、門番に「陶と申す」とのみ告げた。
すると即座に元就が門までやって来て、陶の手を取らんばかりに、城主の間まで導いた。
このあたり、元就というか、内働きに巧みな妙玖の普段からの仕込みが大きい。
「このたびは、大内義興さまお隠れ遊ばし、まことに残念至極で……」
「……そういう世辞も無用」
興房の眼光が鋭くなり、元就は察して人払いをした。
「お気遣い、痛み入る」
「言葉を返すようであるが……それこそ、無用の言葉では」
元就のその返しに、興房は目を丸くして、そして、笑った。
「ふっふふ……いや、これは失礼。もう少し、酷薄なやり取りになると思うておったに……」
「……戦場でならいざ知らず、いきなりの陶どののご訪問。話を聞いてからではないと、そんな態度は取れぬ」
「さようか」
陶は改めて威儀を正すと、元就に述べた。
「では用件を。高橋家に預け置きし貴殿の娘、これは亡くなられた」
「…………」
その時の元就の心境はというと、実はそれほど動揺していない。
何となく、そんなことではないかという予感はあった。
佐東銀山城外の陣から、城に戻り、妻の妙玖から、高橋家の反応について、
ではと元秀に、ひと目なりとも会わせてくれと言わせると、態度を硬化させた。高橋家を疑うのかと怒り出した。
ここで怒り出しては思う壺である。高橋家と戦端を切るのは容易だ。それにしても、この違和感を解消せねばと、
すると、娘は高橋家の菩提寺に行ったきり、その行方は
寺に入ったきりということは、そのまま……というのが理の当然である。
元就は得た結論を、まず妙玖に伝えた。
妙玖は泣いた。泣いたが、死んだの殺したのであれば、何故言ってこないのか。その不義理を
「不義理というか、そういう事柄ではないと思う」
元就の分析に、妙玖は冷たいと非難したが、そのうち止めた。
「悲しむのは、真相を知ってからだ。それまでは」
そう言う夫こそ、実は今、最も悲しんでいることを知ったからである。
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