二十四 悲劇

 高橋興光が、高橋家の菩提寺から戻ると、深刻な顔をした高橋盛光と対峙する破目になった。


「御当主、興光さま、義妹をいずこへ?」


「叔父上、落ち着き召されよ」


 一番の難題である、高橋重光への説得を父・高橋弘厚に頼んだ以上、この盛光の説得は己の仕事と定めた興光である。

 腰を据えてかからんとばかりに、では城主の間へと盛光を導こうとした。

 ……が、盛光がとんでもないことを言い出した。


「重光兄上も、探しておられたぞ」


「……重光? 重光叔父上か?」


 何で今その名が、と訝しむ興光に、盛光は先刻城下で重光に会った旨を話した。


「……え? で、重光叔父上は何と?」


「いや、何も言わなかったのだが……」


 胸騒ぎがする興光は、盛光に、重光との会話を何でもいいから聞かせてくれと言った。盛光は困ったような顔をしたが、興光の重ねての懇望に根負けし、ついに兜を脱いだ。


「分かった、分かり申した……けれども、けして拙者が義妹を付け回したなどと……」


「お願いします」


 話すことは少ししかない。

 娘が髪を切ったのではないかということだ。

 盛光が歎息する一方で、興光は血相を変えた。


「一大事だ」


 何が、と問う盛光を置き去りにして、興光は城主の間を飛び出した。急ぎ高橋家の菩提寺へ、と厩に向かおうとしたところで、侍女に声をかけられた。


「興光さま」


「なんだ」


 たしかこの侍女は、毛利の娘付きの侍女。

 胸騒ぎを押さえながら、興光は再度聞いた。


「なんだ」


「ひ、姫さまが」


 この場合、姫とは毛利の娘のことである。


「姫さまが、どうしたのだ」


「重光さまが、お寺に見えられて……」


 しまった。

 興光は臍を噛んだ。

 そして馬に乗ろうとすると、今度は盛光が追って来て「何ゆえ寺へ」と言い、興光につかみかかろうとする。今更ながら、髪を切ることの意味を悟ったらしい。


「ご当主さまのご命令か。それにしたところで、何故拙者にひと言……」


「誤解だ、誤解。それより叔父上、行かせてくれ。今、行かないと……」


「行かないと、何だ? 得度を受けられないのか?」


 半狂乱の盛光に、興光は舌を打つ。

 しかし、誤解での行動ゆえに、興光としても手打ちにもできずに揉み合うことしかできない。

 しかも、その毛利の娘の申し出による出家だと言おうものなら、盛光は今度こそ狂ってしまうかもしれない。

 やむを得ぬ。

 しばらくの取っ組み合いののち、そう思った興光に救いがやって来た。

 先ほどの侍女が、興光の弟である本城常光を連れて戻ってきたのだ。


「兄上!」


「常光! すまぬ! 盛光叔父を押さえてくれ!」


「うけたまわった」


 本城常光。

 高橋興光の弟であり、のちに石見の国人でありながら尼子の直臣と同等に扱われ、毛利に何度も苦汁をなめさせることになる猛将である。

 その常光が、盛光の背後から忍びより、羽交い絞めにした。


「……がっ、常光かっ! は、離せ。離せ離せ! わが妻となる娘が……」


「聞く耳持つな、常光! 叔父上も、仔細はのちほど!」


 興光は脱兎の如く、愛馬に飛び乗った。

 目指すは高橋家の菩提寺。

 ことは一刻を争う。

 常光としては、唾を垂らさんばかりに怒り狂う盛光より、兄であり主君である興光の方が信を置けるので、当然離すつもりはなく、逆に落ち着いて侍女に下がるように言いつけた。


「あとな、家臣や近習を来させよ。盛光叔父を引き渡したのち、おれも兄上を追う!」


 興光についていかないと、何かが危ないと察した常光は、もはや羽交い絞めにしている盛光から、半ば関心を失っていた。そのため、盛光が涎とともに垂らした言葉に気づけなかった。


「……おのれぇ……よくもぉ……かならぁず……ころ、してぇ……」



 矢のような早さで駆けつけたにもかかわらず、高橋家の菩提寺に毛利の娘の姿は無く、住職に問いただすと、案の定、高橋重光が到り、毛利の娘はいないかと聞き、連れて行ったという。


「何故、連れて行かせたのだ」


 住職が、重光が安芸松尾城主として、毛利との交渉に必要と言われたと答えられればそれまでだが、高橋興光としては聞かずにはいられなかった。

 だが、住職の返答は想像を絶した。


「重光さまがおっしゃるには、出家するならするで、その前に、ひと目、ご両親や弟御に顔を見せた方が、と」


「……何だと」


「……安芸の松尾城主として、伝手があるから、こっそりと、対面させてやろう、と」


「……何だと!」


 興光の怒気に、住職は色を失ってお許し下されお許し下されと、わけも分からずに謝る始末。興光はその住職を捨て置き、本城へと戻る。

 事ここに至っては、是非も無し。

 叔父、否、高橋重光は、高橋家当主に逆らった叛賊として、討ち取るしかない。

 だがその前に。


「重光叔父……毛利の娘を……いずこに遣るおつもりか?」


 殺すのなら簡単だ。

 寺から少し離れた原でもどこでも殺せばよい。

 だが、追いついた常光に探させたが、そんな気配はない。

 攫って、一体、どこへ。

 いや……誰へ。


 毛利の娘、否、重光の行方が分からぬまま、興光は悄然と城へ戻り、そこでまた血走った目をした盛光に掴みかかられ、閉口しつつも取り押さえ、常光に連行するように命ずるのであった。



 高橋重光は、父であり英傑である高橋久光から、激戦地・安芸の松尾城を任されるだけあって、有能であった。

 今、その有能さを遺憾なく発揮し、本城から煙と消えて、義妹である毛利の娘を連れて、とある山中を急いでいた。


「義兄上、義兄上」


「なんだ」


 会話する暇すら惜しいとばかりに、重光は、振り向かずに答える。元々、親近感など抱いていない。ゆえに、これから為すことにおいても、何の感情も感慨もなく、遂行してみせると思い込んでいた。


「……これでは、安芸に向かっていないのでは」


 毛利の娘は、安芸から石見へ連れて行かれる時、いつかは帰る道と、深く記憶に刻んでいた。


「…………」


「義兄上、聞いておられますか」


「……聞いておる!」


 いちいちうるさい奴だ、高橋家に来た時から、こういうところが気に食わなかった。

 盛光あたりは、なんと気の利く娘だと頬を赤くしていたが。

 だが……もういいだろう。

 この、こまっしゃくれた餓鬼に、己が所詮は人質ということを、教えてやる。


「……そちの言うとおりだ」


「なんと言われる」


「そちの言うとおりと言うておる!」


 こんな時だけ、とぼけたことを言いおって、と重光は次第に苛つきを覚え始めた。


「いい加減、気づけ! かような山道、安芸でなければ、どこを目指しておるかぐらい、分かろうに」


 娘は、すでに夜の帳の落ちた天を見上げる。

 そして、己が生家の家紋でもある、三ツ星を見た。

 うしろに。


「……ああ」


「そうよ、北よ。出雲に向かっておるのよ」


「な、なぜ」


「出雲、で分からんか?」


 重光が言いつのろうとすると、山と山の間の吊り橋が見えた。

 吊り橋の向こうにいる人影も。


「とうとう来たか、ここまで」


 重光は馬を降り、義妹である毛利の娘も強引に下ろす。

 娘は勢いのあまり、山道から落ちそうになる。

 重光が後ろから抱えたので落ちずに済んだが、そこは断崖絶壁。

 山と山の狭間に、小さく水の流れが見えた。


「おっと……危ない危ない。折角の人質に、死なれてはかなわん、かなわん」


 嘲るように重光が言う。

 吊り橋の向こうから声がかかる。


「高橋重光か」


「さよう」


「その娘は、例の」


「いかにも」


 人影が笑ったような気がした。

 娘は、人影をよく見ようと目を凝らす。

 そして見た。

 人影の家紋を。


「花輪違……」


「知らせてなかったのか、重光どの」


「これはしたり。安芸への道行きと語ってござれば」


「…………」


 娘が家紋に目を見開いたことにより、人影――塩冶興久は、重光が娘に、誰に引き渡すか教えていないことを悟った。

 それゆえの問いであった。


「困るではないか」


「困る、とは。塩冶どの」


「納得尽くの上で連れて来られねば、今後のおれの腹積もりに障りが生じる」


「しかし、こうでもせぬと……」


 塩冶興久と高橋重光は、娘のことを話しながらも、それは童女か何かについて扱うように話していた。

 おそらく、先ほどの「納得尽く」も理詰めではなく、気持ちと言うか、感情面でのことを言っている。

 馬鹿にしている。

 菓子か人形で、塩冶に良いものがあるとでも、誘われた方が良かったのか。

 こちらとしては、さすがに出家までするとあらば、両親や弟にもひと言あった方が良いと思い、重光に従っただけだ。

 ……いや、心が動いたことは事実だ。

 会いたい。

 おそらく、今生の別れになることであろうからこそ、会いたい。

 その隙を付け込まれたのだ、重光に。


「……それも、かなわぬか」


 それだけは、分かった。

 この塩冶興久に、尼子家に連れ去られたら、それこそ安芸に戻る可能性は皆無になる。

 それどころか。


「だから! これから親父相手に国盗りしようとしているというのに、毛利を従わせるその娘が言うことを聞かないでどうする!」


 塩冶興久が吼えた。


「こちらとて、甥相手に国盗りよ。しかるに、言われた通りに、生かしたまま連れて来たと言うに、やれ納得尽くだのなんだの、片腹痛いわ!」


 高橋重光も叫んだ。

 つまるところ、塩冶興久は父・尼子経久に謀叛を起こす気であり、それには毛利の力が欲しい。高橋重光は、甥・高橋興光相手に叛乱を起こすつもりであり、それには尼子の力を必要としている。


「尼子経久に……敵する?」


 無謀な話だと思う。塩冶興久はやり手だと思うが、だからといって、付き従った国人らが尼子経久を相手取って、どこまでやれるのか。下手に、経久の矛先が毛利に向いたりしたら、どうなる。

 また、高橋重光が高橋家を乗っ取るというのもいただけない。敬して扱ってくれた、高橋弘厚・興光親子や、それになによりも、将来を約束しようとまで考えた、盛光。


「きっと……盛光は、死ぬ」


 奇妙な予感があった。

 塩冶と高橋は滅亡する。

 それに盛光は巻き込まれる。

 そして……毛利は。


「……このままでは」


 吊り橋をはさんで、唾を飛ばし合って怒鳴り合う興久と重光。

 今なら気づかれずに逃げられるかもしれない。


「…………」


 娘は、そっと馬を下りた。


「……どこへ行く」


 だが、さすがに感づかれた。

 重光が胡乱な目で見ている。

 やはり、駄目か。

 駄目なら、せめて。

 こいつらだけでも。


「おい、待て」


 今しかない……今しか。

 塩冶興久の手に渡ったら、こんな真似は許されないし、きっと隠されるであろう。

 高橋重光の手に捕まったら、それ以前に、そうなったとしても、塩冶に行ったと誤魔化されるであろう。


「ま、まさか」


「義兄上、おさらばです」


「ちょ、ちょっと待て」


「もし心あらばお伝えください、高橋家の方々に感謝を」


 感謝、と言葉のあたりで、娘は飛んだ。

 宙空へ。

 眼下に、谷底。

 浮遊感は、それはそれは心地よく。

 だが、一瞬後には、奈落へ。

 天の情けか、娘の意識は、そのまま落ちていく。


「ば、ばかな」


「身投げとな」


 娘の耳に、最後に届くのは、重光か興久か、それともこの場にいない盛光か……あるいは、遠く離れた父のものか、男の、悲痛な叫び声だった。

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