二十三 悪手
その日は冬にしてはうららかで、ほのかにあたたかく、過ごしやすい一日であった。
享禄元年(一五二八年)十一月。
高橋弘厚は、安芸・松尾城へ向かっていた。
「あたたかいのう……」
弘厚は「兄・元光の命日のため、松尾城主・高橋重光は石見へ戻ること」という主命を伝えるため、そして重光が城を離れる際は、城代として務めるために、松尾城へ向かっていたのだ。
「……重光が承諾せねば、その時はやむを得ない」
だがその実は、重光を松尾城主の座から外し、石見へと召喚するためである。弘厚の息子であり、高橋家当主の興光としては、重光を側近として扱う旨言っているが、それでも重光当人としては、左遷以外の何物でもないだろう。
「他ならぬ、父・久光より託されし松尾城、そして毛利への取次。外されたくはなかろう」
そこは誠心誠意説得するつもりである弘厚である。彼は、求められれば頭を下げるつもりでいた。
今、毛利との対応を誤れば、高橋家は滅びぬにしても、大損害を被ること必定である。何より、その毛利の娘――高橋久光の養女という形になっていたため、弘厚と重光の義妹からの申し出もある。
「だからこそ、曲げて重光には、石見に行ってもらう」
だが、弘厚は肩透かしを食らうことになる。
松尾城に、当の高橋重光がいなかったのだ。
留守居の者に聞くと、当主・興光の命により、石見に赴いていると言う。
「石見に? 興光が?」
はて、入れ違いかと弘厚は首をかしげる。
「興光も、念のために動いておったか……まあ良い。待たせてもらおう」
ことによると、興光がうまいこと重光を引き留めて、このまま弘厚が松尾城の城代にとの沙汰が下るやもしれない。
弘厚は思い出す。
義妹が、どのような申し出をしたのかを。
*
「尼になる?」
「はい」
渦中の毛利の娘、高橋久光の養女となったので、義妹である娘から、そのような申し出を受け、高橋弘厚は面食らった。
慌てて、当主である興光も呼び、三人で密議のようなかたちで、話し合いを持った。
「おば上が、さような申し出をなさるのは、何故でござるか?」
父の義妹にあたるため、興光は「おば上」と彼女のことを呼んでいた。
「……このままでは」
彼女は語る。
父と母は、自分を高橋家に送り出すにあたって、断言した。必ず毛利へ戻すからそれまで待っているようにと。
そして父・元就は有田中井手に勝ち、鏡城を調略し、佐東銀山城を守り、今、その赫赫たる武勲を背景に、尼子家重臣筆頭・亀井秀綱をも黙らせ、自分を高橋家から取り戻そうとしている。
「しかし、高橋家にこれまで世話になったのは事実」
高橋家の、高橋久光の養女とされ、少なくとも表面上は姫として扱ってくれた。
彼女としては、その恩は忘れられないと言う。
「ゆえに、尼になります」
「……そうか」
興光は腐っても石見の雄・高橋久光の孫である。彼女の言わんとすることを悟った。
彼女が出家して、どこかの寺に入ってしまえば、もはや人質とは言えない。
彼女自身の意思を尊重した、という形にすれば、高橋家としても面子を傷つけられず、毛利家としても、返せとはいえなくなる。
「見事なやり様です、おば上。しかし……」
「盛光どのとのお話は、なかったことにしてくだすって結構です」
高橋盛光とは、弘厚や重光の弟であり、興光の叔父である。毛利の娘であった彼女と盛光は、近しい年齢であることもあり、互いに好いた仲であった。
興光としては、盛光と彼女を娶わせ、人質であり養女である彼女の立場を、一族の者として正式に扱えるようにと考えていた。
しかし、そこへ毛利元就からの娘を返すようとの要求である。この折りに、盛光との婚儀を執り行えば、それこそ高橋家は娘をものにしたと言い張り、烈火のごとく怒ると思われたため、憚っていた。
「…………」
興光は逡巡した。しかし、これ以上の案は無いと思われ、煩悶の末だが、了承することにした。
「申し訳ございませぬ、おば上」
「いえ……」
「では、そうと決まった以上、早めに動こう」
弘厚は腰を上げた。毛利との、安芸との交渉の担当は、松尾城の重光である。重光に対し、毛利からの人質である義妹を出家させるという話をしたら、拒絶されるに決まっている。
「当初の話のとおり、私が松尾城に赴き、重光と交代するかたちで、そのまま城代となり、そして毛利との話をしよう」
……かくして、高橋弘厚は一路、安芸松尾城を目指した。
*
しかし、高橋重光は、高橋興光や高橋弘厚の予想を超えた行動に出ていた。
「尼子の重臣筆頭・亀井秀綱すら手が出せないだと……ふん」
重光はそれならとばかり、秀綱の上に立つ者へと伝手をたどった。
そしてその「上に立つ者」から色好い返事をもらった。
「ではその毛利の娘を連れてこい……か、易いこと、易いこと」
重光は「石見にて火急の用あり」と称して、松尾城を出発し、難なく石見へと戻った。
元々、高橋久光の御曹司として最前線である安芸に出張った男であり、高橋家の家来たちも、重光がやって来て「当主・興光さま以外には内密である」と言われたら、口を閉じて通さざるを得ない。
しかし、さすがに高橋家の居城・本城に入るのは躊躇われた。
「うまく興光が城外に出れば良いが……」
城内にいるはずの毛利の娘を探しているところを、興光に見つかるのはまずい。
思案に暮れる重光に声をかける者がいた。
「兄上!?」
「……盛光か」
重光が自分が本城にいることを口止めしようとする前に、盛光が問うてきた。毛利の娘を見なかったのか、と。
盛光と娘が好き合っているのは知っている。
その盛光が、娘の居場所を探しているとは。
「何でも思いつめた顔をして……しかも、髪を切ったという話も」
盛光は、娘が出家した可能性を否定したがっているのか、それを言いつつも首を振るばかりだ。
だから盛光は気づかなかった。
重光が……ほくそ笑んでいるのを。
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