二十二 高橋
石見の高橋家の現在の当主は、高橋興光といい、毛利幸松丸の祖父であった高橋久光の次男・弘厚の子である。
ところが、石見から安芸へと勢威を広げ、毛利家を牛耳った久光は、永正十八年に戦死してしまい、その折り、興光は、父・弘厚の後見の下、高橋家を継いだ。
そこが、けちのつけ始めだった。
そう、高橋興光は感じていた。
まず、叔父である高橋重光がことあるごとに不満を示すようになった。
「何ゆえに、われら高橋は大内から尼子へとついたのか。これでは――毛利への物言いができぬ」
高橋興光は、その「興」の字を、大内義興から一字賜って名乗りとしていることから、高橋家は大内の側として、周囲に睨みを利かせていた。
しかし、度重なる尼子の石見への攻勢により、そして英傑であった祖父・久光の死により、それに抗するべくもなく、興光は、尼子に屈した。
「尼子に従えば、何もせん」
そう尼子経久は言い、事実、特に干渉はなかった。なかったが、尼子の側についたということは、同じく尼子方である、毛利家に対して影響力を働かすことも、できなくなってしまった。少なくとも、表向きは。
そこに感づいたのが、毛利元就である。元就は、幸松丸の死後、自身の娘こそ人質に出したものの、ことあるごとに「尼子にお伺いを立てねば」と言って、高橋家の要求や強要を巧みに退けるようになった。
「これでは、意味がない」
それが高橋重光の言い分である。
重光は、高橋家の勢力圏の内、安芸の部分、高宮郡の松尾城の城主である。それゆえに、毛利家との折衝を直接に担当しており、時日と共に憤懣は募るばかりであった。
そこへもって、大内家の安芸侵攻である。重光は、この機に大内家に鞍替えし、尼子家に対して叛旗をひるがえし、なおかつ、毛利家に対しても従来通り、強く出るべしと訴えた。
「ならば叔父上――叔父上が、戦ってくれるのか? かの雲州の狼と」
興光の反論は直截的であった。
重光が何も言えないでいる様子を見ると、興光はさらに言葉を重ねた。
「しかも、そうすると、嬉々として攻めて来よう――有田中井手の英雄が」
毛利、と言わずに有田中井手と言うあたりに、興光の意図が感じられる。
尼子経久。
毛利元就。
この、生き馬の目を抜く戦国乱世の中で、合戦で名を上げた両雄を同時に相手できるのか。
高橋興光は、そう言いたいのだ。
「しかし、大内とて将がいる。陶興房どののような」
重光のかろうじての反駁は、興光の冷笑をもって報いられた。
「陶のような重臣を、たかが高橋のために動かすか? 裏切って尼子どのについて、しかもまたいつ尼子どのにつくとも限らないのに」
陶が出てきたとしても、それは高橋を併呑するためだろうよ、と興光は自嘲した。高橋家の勢威は落ちている。そもそも、久光の戦死が急過ぎたのだ。さらにいうと、その久光の嫡子であった元光も戦死を遂げている。元光は、彼さえいれば、高橋はもっと大きくなれたという逸材であった。
「毛利が言うことを聞かない? 別に構わないではないか。尼子どのに睨まれてはかなわん。そも、その毛利の娘を、われら人質に取っているではないか」
高橋としては、毛利より上位であるという証が、その人質だ。この中国地方は、少なくとも山陰地方は、尼子経久を頂点とする秩序が形成されている。その中で、高橋家は、序列として毛利家より上に位置するという証である。
「それで充分ではないか」
興光としては、重光に、毛利への強硬姿勢を止めて欲しいと思っている。仮に、毛利元就が、娘について踏ん切りをつけたとしたら、どうするのか。毛利と高橋が対峙したとしたら、尼子はどう出るのか。
「……のう、叔父上。有田中井手の勝者と、落ち目の高橋……尼子の経久どのは、どちらを取ると思う?」
「……しかしっ、毛利はっ……鏡城で、尼子経久にしてやられたと……」
経久どのと言え、と興光は小言する。
「してやられたから、何だ? 別に潰されたわけではない。今もこうして、安芸の守りとして期待され、佐東銀山へ向かっていると聞く」
猟犬を躾けるのと同じだ、そんなのは……と言わんばかりの興光の言である。
重光としては押し黙るほか無かった。論破されたつもりはない。ただ、興光がこの話題について譲るつもりはないということを悟ったからだ。
だが興光はそれを重光の屈服と見て取り、命令した。
「……では叔父上、そんなことより、大内の安芸攻めへの備え、してもらおうかの。にっくき毛利が、大内の陶興房の前に一敗地に塗れれば、われら高橋の出番だろうしの」
さすれば叔父上のお望みどおり、毛利へいくらでも米でも金でも出させればよい、と興光はうそぶいた。
*
ところが、佐東銀山城の戦いにおいて、毛利元就の活躍は目ざましく、元就の敢闘により、尼子は大内と引き分け、安芸本土への侵攻を辛くも防げたという結果に終わった。
尼子の重臣・亀井秀綱は、元就に対して借りを作ってしまうかたちとなり、元就は裁量を黙認されるようになった。
そこへもって、毛利家は高橋家に対して要求に出た。
娘を返せ――と。
「断じて認められん」
高橋重光は強硬に主張した。これでは、当主・高橋興光の述べた、毛利の上位者である所以が、根本から覆されてしまう。
「それもやむを得ないのではないか」
これは、興光の父であり、重光の兄である高橋弘厚の言である。弘厚は、興光の後見であり、また、石見の睨みの利かせ役でもあった。
弘厚としては、もはや高橋に力はなく、力を背景に出させた人質に頼るようでは、それこそ高橋は終わりだと思うと述べた。
「兄上はそれで良いのか」
「叔父上」
凄む重光に、興光は冷めた視線をくれた。
「なら、断ったとして、どう戦う? 言っておくが、毛利の娘を盾に毛利の攻めを防ぐ、などと世迷言を言うなよ」
台詞の最後のあたりに、重光への感情が濃く含まれている。重光にはそう感じられた。
「…………」
沈黙する重光に、興光は言い募る。
「……大体、尼子家の重臣筆頭である亀井秀綱さまにしてからが、毛利に対しては手出し無用、の観がある。であるのに、その意に背いて何となる?」
「……っ、それは……」
「叔父上、しっかりなされ」
一転して、今度は興光は、憐れむように重光を見た。
「父上が、敢えて安芸の松尾城に叔父上を置くようにされた理由を、思い出されよ」
弘厚が、弟である重光を心配するように見つめていた。
「安芸は……かつて安芸武田家の先代、武田元繁のように、大乱を起こして他家を併呑するような輩が出る魔境。尼子と大内と、角逐の場となるがゆえに、魔境。その魔境から出でし毛利。それに対処するために……敢えて叔父上を安芸に置いているのに。そう毛利を敵視し、虐めるばかりでは、困るではないか」
「…………」
「対処とは、責めるばかりではないわ。かの毛利を見すえ、どのようにすればわが高橋が良いのかを見定め、時に毛利との……」
「もう……良いッ! いや……良うございますッ! 御当主どのッ!」
重光は唾を飛ばして叫び、そのまま退室してしまった。
あとに残された興光は、父・弘厚を顧みた。
「……まだ、話は途中だったんだが、父上」
「おそらく毛利に従う、と言われるのが嫌だったんだろう」
父・久光に可愛がられ、その覇業を目の当たりにしていた重光だ、むべもない……とも言った。
「……いや、毛利との和睦を、と言おうとしたのだ。娘を返し、それを条件に改めて和を結んでおこうと」
「……それを言ったところで同じだ。詮無きことだ」
有能で勇敢な弟だが、誇り高き高橋家という認識から逃れられないと、弘厚は判じていた。
「ことここに至った以上、何か口実を設けて、私が安芸の松尾城へ行こう。それで毛利との折衝を私がする」
「頼みます。それなら、こちらとしては、父上の代わりに、叔父上に石見の睨みの利かせ役になってもらうよう、家中に働きかけますので」
これで、何とかなる。
そう弘厚と興光は胸をなでおろす。
……だが、重光は、その二人の思わぬ手段に打って出る。
そしてそれは、高橋家のみならず、尼子家をも魔境に引きずり込む悪手だった。
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