二十 退陣
「どうだ小早川の。おれも海賊とは言わず、山賊ぐらいは務められそうだろ」
「無駄口叩いてないで、とっとと運ぶぞ、
……小早川弘平と、吉川家の宮庄経友は、毛利元就の懇望により、大内軍の荷駄を襲撃し、物の見事に強奪したところだった。
「荷駄さえ奪ってしまえば、大内は立ち行かなくなる」
それは、元就の弁である。そして、大内軍が「現地調達」に走ろうとしても、それは安芸国人衆が妨害してしまえば、やがて大内軍は口に
「一番大事な仕事だ」
「……なら、
「宮庄どのが、熊谷どのと香川どのを連れて、陶興房とやり合うつもりがあれば」
「それも面白そうだが……やっぱいいか」
経友は臆病でもなく、むしろ猛将として名高いが、それでも直接に、父や伯父を討った熊谷と香川と、
「いや、いざ尋常に勝負といわれれば、いつでも勝負してやるがなあ」
経友は頭を掻いた。
元就はその様子を見て「経友に譲ってもらった」と熊谷と香川には話すと言った。
「余計な気遣いだ、と言いたいところだが……」
「だが、少なくとも、この戦においては、彼らの隔意を減じておきたい」
「だな」
経友は決して頭の悪い男ではない。面倒くさいから考えないだけで、いざとなれば頭も鼻も
しかし、この義理の弟がいれば、そういう面倒事はやってくれるので、多少の反駁はするが、結局は従うことにしていた。
それを横で見ていた小早川弘平は、くすくすと笑った。
「……ああいや、小早川も異は唱えん。それにむしろ、こっちの兵糧盗りの方が、手柄じゃと思うておる」
「ではよろしゅう……」
陶興房が出て行った直後に荷駄を襲っているところを、杉と出くわしたが、経友がひと睨みすると、杉は泡を食って、大内義隆の寝所へと目指して急行していった。
経友もまた、有田中井手の勇者として、その名を轟かせていたからである。
「大内の連中、みんな義隆の寝所へ向かっていくぞ。小早川の」
「分かったから、手を貸せ! われらも引っ張らんと、手が足らん!」
こうして、弘平と経友、ふたりの将も自ら荷駄を引いて、大内軍の兵糧は全て持ち去られてしまったわけである。
*
大内義隆は、寝所から出る危険を
その義隆の考えは正しく、やがて戸外で激しい刀槍の響きや、矢の飛び交う音が聞こえ、興房の怒鳴り声も聞こえ、その尋常ならざることが知れた。
「……ふむ。これは出ぬ方が良かろう」
そう決めると義隆は、甲冑をつけたまま座し、静かに読経し始めた。このあたり、さすがは名家の貴公子というべき落ち着きである。
そうこうするうちに、戸を敲く音が聞こえてきた。
とんとん。
かんかん。
「その拍子は陶じゃ。開けてやってくれ」
近侍が誰何の声を発する前に、義隆は戸を敲く主を言い当てた。
興房が開かれた戸から、転がり込む。
「わ、若、ご無事で」
「お蔭様でのう」
皮肉でもなく、素直に言っている様子に、興房は胸をなでおろした。
「……して」
義隆が問うと、興房はかしこまって答えた。
「はっ。敵、安芸国人ども、夜襲に及び、われら力戦奮闘いたしましたが、
「兵糧」
「さよう。ここ安芸は、いわば敵地。兵糧を盗られれば、われらまともに調達する術がござらん」
まともに、という言葉の意味するところを義隆は理解した。掠奪という手段を使わなければ、という意味だ。
義隆が片方の眉を上げると、興房は言葉をつづけた。
「しかるに、まともでない手段を採ればどうなるか……敵はこの安芸の国人でござる。奪おうとしたところで、妨げられるは必定」
今や不世出の名将と認めざるを得ない、毛利元就が敵に回っているのだ。そうおいそれと米や麦を強奪できると思えない。そもそも、地の利はあちらにあるのだ。
「では爺よ」
義隆は扇子を取り出して扇いだ。暑くてかなわんと言いたげである。
「爺よ……
苦渋の決断であるが、このまま撤退するほかないと興房は告げた。
「ふむ」
義隆は暫し扇子を
「それが良かろう」
「申し訳ございませぬ」
「いやいや」
義隆は、自分が半ば飾りの大将である、この別動隊の本旨は、陽動にあるということを理解していた。それゆえに、成功不成功は、実は埒外だと父・大内義興が考えていることも。
「それ故、じゃ……とりあえずは厳島へ退こう。父上と合流あるいは挟み撃ちじゃ」
厳島の友田家・桜尾城はこの頃、大内義興の猛攻に遭っており、二ノ丸まで陥落していた。
「それしか道は無さそうですな」
興房としてもそう考えていた。そして、義隆もまた同じ道が見えていたことで喜びもひとしおであったが、主君・大内義興の激怒を考えると、気が重くなるのだった。
「……父上には、
「……よろしいので?」
「それが大将の仕事だ。それぐらいは
義隆は、では撤退の作業は任せると、そのまま甲冑のまま横になった。
合戦のことは苦手だ。
なら、得意な家臣に任せるが良い。
そう考えている義隆であった。
「……では」
立ち去ろうとする興房に、義隆はふと思い出したように声をかけた。
「ああ、そういえば」
「何でござる」
「この夜襲、そも
「ああ……」
興房は
「……毛利元就でござる。かの、有田中井手の戦いの勝者の」
「そうか」
淡々とした返しに、義隆の興味のほどが知れる。
興房は単にそう思っていたが、その実、義隆の関心は、かなり元就に傾いていたことを、後の歴史が証明している。
大永四年(一五二四年)八月十日。
大内義隆率いる大内軍別動隊は退陣した。
過日の夜襲により、五百二十余名が討たれ、これ以上の犠牲を避けるためと言われる。
一方で、毛利の方の犠牲者は二十余名。
命を多寡で述べることは不遜の極みだが、その差は歴然たるものであった、と当事者たちは認識していたものと思う。
……いずれにせよ、こうして、佐東銀山城の戦いは、幕を閉じたのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます