二 毛利

 尼子家の臣・亀井秀綱が吉田郡山城に参上し、尼子経久の花押の入った文を寄越して、鏡城攻めへの出兵を要請した、そのとき。

 秀綱と引見している毛利幸松丸の背後で、その後見たる多治比元就は何も言葉を発せず、ただじっと秀綱のことを見つめているだけであった。

 秀綱が城を辞する旨伝えると、「ご苦労さまです」と言って、頭を下げて別れた。

 帰途、秀綱はその元就の態度に、ある種の不信感が湧いた。


「もしや、出兵せぬつもりか」


 有田合戦の勝者が鏡城に来ねば、このたびの合戦の裏の目的である、尼子の影響下にある安芸の国人衆を集め、その支配下にあることを内外に印象づけるという策が、骨抜きになる。



 亀井秀綱は雲州に帰ると、早速に主君である尼子経久に、多治比元就の素っ気ない態度を報告した。


「ふむ」


 経久は特段、怒る様子も見せず、恬淡てんたんとしていた。

 秀綱が構わないのかと問うと、


「何、来ぬのなら一戦まじえるまで」


 確かに毛利が来ぬのは痛手ではあるが、来ぬのなら来ぬで、やり様はある。毛利は有田中井手の英雄ではあるが、それをほふれば、尼子は毛利以上の力を持つということを誇示できる。


「毛利が駄目なら、吉川。吉川が駄目なら、小早川、と……いろいろと駒があるではないか」


 まるで将棋の駒をもてあそぶように経久はうそぶく。

 当初、安芸武田を尼子の「代官」に据えようとした。その構想は破られたが、他ならぬ張本人である毛利が尼子に近寄ってきた。


「尼子の意に沿うのならよし。意に沿えぬなら……食ってやるまでよ」


 それはまるで、夕飯が魚でなければ鳥にしろ、という感じで呆気なく聞こえた。


「お館様、では……」


「兵を向ける先が鏡城から吉田郡山城に変わるだけのこと。どちらにせよ、安芸に兵を出す。明朝、出発だ」


「ははっ」


 秀綱は安芸への使いを終えて早々、安芸への戦に付き従うことになった。だが、こういう主君であることは承知で仕えているので、特に不満もなく、居館へ帰り、夕餉もそこそこに寝入るのであった。



「困ったことになった」


 多治比元就としては、こうも早く尼子が安芸へ攻め入って来るとは思っていなかった。元々、安芸へ直接介入できぬからこそ、安芸武田家・武田元繁を煽って、安芸の国盗りをやらせようとしていた尼子である。

 それは石見いわみ備後びんごといった、他国へも侵略の手を回しているからに他ならないが、それゆえに、安芸についてはまた国人の誰かを「後押し」して終わりにすると見込んでいた。

 それならば、その国人に対して口八丁手八丁、調略を駆使して兵を出すことはせず、大内と尼子の双方への繋がりを断たずに有耶無耶にやり過ごそうとしていた。


「それが、これか」


 まさか大内家が、今度は九州へと出兵するとは。従来の京への遠征よりは、遥かにましだが、それにしたところで、相変わらず留守の隙を狙われるということには変わりない。

 元就としては、だからこそ尼子との繋がりを作り、義興不在時の安全を担保したはずであったが、当てが外れた。

 あっさりと尼子経久は出兵を決め、そして安芸の国人に対して、動員を要求した。


「……これでは、矢面に立たされるのは、安芸の国人。そして鏡城を守るのも、安芸の国人」


 鏡城の城将・蔵田房信は、後世の現在、安芸の国人であるらしいと言われている。


「所詮、安芸は、尼子と大内という大魚に食われる、小魚の群れなす瀬に過ぎぬというわけか……」


 西の桶狭間といわれる、有田中井手の戦いを戦い抜いた勝者・多治比元就は、その虚名に甘んじることなく、自らが――毛利が、大魚と大魚のはざまに泳ぐ小魚であるということを、十二分に認識していた。


 沈思黙考する元就に、家臣の粟屋元秀が問うた。


「いかがなさいますか」


 その問いを聞き、元就は思考の沼から這い上がる。


「兵を出す」


「……まことでございますか」


 元秀の確認とも驚きとも取れる台詞に、元就は頷く。


「……断れば、攻められるは毛利だろう」


 元就は尼子経久の意図を正確に理解していた。尼子の安芸国内へ向けての示威のため、そして毛利を膝下しっかに置いていることを強調したいということを。

 そして、その意に反する行為をしたならば、雲州の狼の牙は、間違いなく毛利に向くだろうということも。


「承知いたしました」


 うなだれる粟屋元秀。彼もまた、有田中井手の激戦を潜り抜けた勇者である。それゆえに、大国の意のままにされる虚しさを痛感していた。


「……ただし」


 元就の言葉に、元秀は思わず頭を上げる。

 有田中井手では、猛将としての側面を見せつけた元就ではあるが、その実、戦術や知略にも光るものがあったことも、元秀は見逃がさなかった。

 ――その元就なら、この尼子の出兵強要も、何とかなるのではないか。

 そういう期待感を込めた元秀の思いを知ってか知らずか、元就は両手を袖に入れながら話した。


「ただし、『毛利』としては、幸松丸に鏡城に赴いてもらう。後見は……そうだな、汝だ」


「さてこそ」


 元秀は膝を打った。

 尼子は『毛利』の出陣を求めている。毛利としては、当主である毛利幸松丸を出すことは、理にかなっている。

 ただ、毛利幸松丸はまだ九歳。家督を継承していたものの、あまりにも幼い。かような幼主に戦をせよ攻めよとは言えぬであろう。


「ゆえに、毛利としてはこの戦、後詰めにあたらせてもらう。この戦いで手柄を立てたいのは、平賀であろうし。それで良かろう」


 平賀とは、平賀ひろやすの平賀家のことであり、鏡城にほど近い安芸白山城城主の国人である。


「しかし」


 元秀は賛意を示しておいて、今さらの危惧を感じる。


「やはり……多治比どのが征かれないと、尼子は納得しないのでは」


 多治比どのとは、元就の通り名である。

 元就は肩をすくめて答えた。


「私は留守居だ……もし、大内家が九州から反転してみろ。誰が抑える?」


 有田中井手の敗者である安芸武田家は、新たな当主・光和を戴いて、親尼子派として躍起になっているが、それでも本気になった大内家にはかなうまい。

 そうなれば、有田中井手の勝者である多治比元就が出た方がいい。戦わなくとも、大内家への帰順を交渉材料にして、大内の軍を止めることができるかもしれない。


「……そう、経久どのへ説明しておいてくれ」


「承知つかまつりました」


 元秀は一礼してから辞し、早速に出陣の準備に入るのであった。

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