第7話 Rabbit Boy


 人種とか年齢とか宗教とか肌の色とか髪の毛の色とかちょっとした発音のクセとか、生意気そうな目とか、大人もあまり使わないような言い回しとか単語とか、とにかく、さまざまなことで、人は傷ついたり怒ったり、ぼくを嫌ったりするのです。

「カーヴィー、そんなこと言うもんじゃありませんよ」とか「カーヴィー、おまえ東洋人のニオイがするぞ、臭えな」とか「チビの日本人はさっさと失せろ」とか「そのうちお前も出っ歯でメガネになるんだぜ」とか……。

 それを思えば、ぼくが同じ年代の子たちがいる学校へ行くことは、確かによくない面もあったかもしれません。

 からかわれることはあっても、ぼくが江森さんの教会にいることは知られていて、江森さんはとても尊敬されているからでしょう、ケンカなどに巻き込まれることはありませんでした。

 江森さんとその家族の人たちは、みな親切で優しくて、それでいてとても強いのです。それは宗教からくる強さなのでしょうか。それとも元々そうした人なのでしょうか。

 少なくともぼくにはない強さを持つ人たちに囲まれて、生きて来たのです。

 そんな彼らとは野球もやりましたが、好きなのはただ走ることで、近くの丘などを走り回っていました。自転車に乗れるようになっても、自分の足で走るのが好きでした。お使いはほとんど、走ってすませていたので「ラビット・ボーイ」というあだ名もつけられました。

 ウサギはスピーディーというイメージもありますが、ずる賢い、あるいは早とちりなイメージもあって、皮肉もあったのでしょう。そしてどうやら日本人は出っ歯で吊り目というイメージがあるらしく、それとウサギのイメージがだぶっていたのかもしれません。

 サンフランシスコはぼくにとっては、妙に温かく、それでいて霧が隠すように、なにかをぼくに見せないようにしていたようでした。

「君が、お父さんだと思える人に出会ったら、教えてくれ」とクリスに言われました。

「お父さん?」

 記憶はぼんやりしています。イメージがまったくわきません。

 ぼくにもお父さんがいるのです。理屈としてはわかります。お父さんがいればお母さんもいたでしょう。ますます実感がありません。隙間風のように、不安が心を冷やすと、ぼくは震えがしばらく止まらなくなります。

「落ち着くんだ。君はなんでも知っている。どんなことでも理解できる。あらゆることに精通している。君ならできる」

 クリスは、ビリヤードのポケットの真横に止まった球を簡単に弾き落とす技術があります。ぼくは背が足りないので、簡単ではありません。クリスはぼくの出来ないことを探してやらせます。テニス、野球、フットボール、乗馬、自転車、水泳、登山……。

 サンフランシスコに三週間いた間に、ぼくの肌は褐色になり、筋肉もつきました。

「ラビット・ボーイ、おまえは野性の賢いウサギだな」

 誰かにそう言われたこともあります。過去のわからないぼくは野性なのでしょうか。

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