第5話 San Francisco

 確かに治療が進めば進むほど、ぼくは穏やかになっていき、同時に頭は空っぽになっていきました。詰め込まれた膨大な記憶はタイルとして焼き固められて貼りつけられ、つるつるできれいな水色の壁となっていったのです。

 英語の本を何冊も読まされながら、アラスカからサンフランシスコへ。名物の霧に浮かぶゴールデンゲイトブリッジを見ることのできる部屋に閉じ込められ、女性、男性、白人、黒人、インディアン、日系、中国系などさまざまな人たちがやってきては、ぼくに話しかけてくるのです。

「The African Queenって映画、見た? あれは、Cecil Scott Foresterの原作なんだよ。Hornblowerって英国海軍の船長を描いたシリーズがおもしろいからそっちも読んでごらんよ」

「James Deanの映画はどう? 六、七年ぐらい前に亡くなってね。あれはショックだったよね」

「1960年以降の新球団を全部言えるかな? Los Angelesは? そうAngels。Houstonは? うん。Colt .45sだね。西部劇に出てくるコルト45って拳銃だよな。かっこいいよね。バンバン! じゃ、New Yorkは? うん、Mets。じゃ、その前にNew Yorkからほかに移った球団、知ってる? 知らない? Giantsじゃないか。San Franciscoに来たんだよ、Giantsがさ。もう一つはLos Angelesに来たDodgersだ。今年、ワールドシリーズで優勝した強いチームだ。知ってるよね。そもそもDodgersはNew YorkのBrooklynの住人たちのことで、あそこも路面電車があってね、それをひらりひらりとかわして歩いている連中って意味だよ。Los Angelesに行ったことある? 昔は路面電車があったんだよ、いまじゃみんなバスになっちゃってるけどね。え? あ、ほかの新球団だな。そう、WashingtonのSenatorsだ。あんなところに球団作ってどうするのかね。だいたいWashingtonにはSenatorsがあったんだけど、Minneapolisに行ってしまってTwinsって名になってたんだよ。だから今度また新しいSenatorsが誕生したわけだけど、いつまで保つかな」

 そんな話。

 十代、二十代、三十代、四十代、五十代。年代もさまざまな彼らや彼女たちは、英語しか話しません。みな、どこか訛りのある英語で馴染むまで数分かかります。

 重要なことはなんにも話しませんが、映画のほかはお天気とかニュースとか新聞記事や新聞の連載マンガの話をあれこれするのです。

 ぼくは彼らの会話に反応し、英語で対応し続けて、そのたびに発音や単語の間違いを指摘されて直しながら、彼らを撃退していくのです。

「うん、すごいね、それだけ話せれば大丈夫だよ」とか「おお、そんなことも知ってるのか、えらいね」とか「いつそんな本を読んだんだね」とか褒められて終わります。

 奇妙なゲームです。でも、いつも怖い顔で部屋に入ってくる彼らや彼女たちも、帰っていくときは笑顔になっているので、ぼくはそれがうれしくて続けられたのです。

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