第4話 Movie

 日本からハワイまでの記憶はとてもあやふやで、思い出せないのです。日本でぼくがなにをしていたのかも……。

 ハワイには何週間かいたはずです。少しずつ自分がハワイで生きている感じが掴めてきた頃、大型の軍用飛行機に乗せられました。知らない大人たちと。

 めちゃくちゃ揺れて気持ち悪くなっていっぱい吐いて……。貨物用の飛行機よりも小さくて、操縦も荒くて、天候も悪くて。何度も吐きました。

 気付いたらアラスカにいました。壁に貼られた大きな世界地図を見ると、世界は真っ白な氷の世界からしだいに広がっていき、最後はまた白い世界に辿り着くのです。いまぼくは白い世界の端っこにいました。

 アラスカでも数か月過ごしました。寒くて暇でした。クリスがやってきてくれました。どこか温かみがあって懐かしさもある彼のおかげで、やっとぼくは一人ではないと思えるようになりました。

 彼から英語を教わり、たくさんのテキストを読みました。Movieも観ました。カタカタと鳴る映写機で暗い部屋で見る映画には、英語の字幕がついていました。英語の映画もあればイタリア語、フランス語の映画もありました。どれも大人の見るタイプのもので、内容はよくわかりません。有名な映画だそうで「見ておいた方がいいよ」とクリスは言うのですが、それがどういいのかもわからないままでした。

 モノクロの地下水路。やたら大きな階段を落下する乳母車。傘をさした人のたくさん並ぶ階段で倒れる人。チョビヒゲと山高帽の人が出てきたり。どこまでも続く鉄道の線路。みんなが馬に乗って荒野を走り回って。どこかわからない町のバーで黒人がピアノを弾いて。ロボットが出てきたり。デラックスカラーの映画になると、歌って踊る人たちが大勢町に繰り出したり、プールに飛び込んだり。石畳みの町でスクーターに乗ったり。そしてアニメもいろいろ見ました。お姫様。飛ぶ子象。踊るカバ。町に住むスパゲティを食べる犬たち……。

 少しずつぼくが笑ったり拍手するようになっていくとクリスたちも喜んでくれました。

 もうすぐ夏がやってくるというのに窓の外は暗く、ぼくの未来はまったくわからない状態でした。不思議と日本に帰りたいとか、誰かに会いたいといった気持ちが起きないのは、、記憶がないからでもあり、治療を受けていたからでもあったのでしょう。

 白衣の人たち。クリス。そればっかり。

 立派なホテルのような部屋にいたのに、ずっと震えていました。

「たぶん、薬の服作用かもしれない」とクリスはぼくを医者に診せてくれて、別の薬を飲んだりしながら過ごしました。

「俊君は繊細だね」

 日本からずっとぼくは薬物の影響下にあったのです。いつから薬を使われていたのかもわかりません。ただ、大人たちはすべてを知っているようでした。たぶん、クリスも。「俊君が発狂しないように、処置しているんだからね。安心して」と言うものの、「なにも思い出せない」と訴えても、クリスは「どうしてだろうね。でも、安心して」と言うばかり。

「知っていることを教えて」と頼んでも肩をすくめて「会ったばかりだし」と誤魔化します。

 本当にぼくはアラスカで彼にはじめて会ったのでしょうか。それにしては、妙に親しく思えるのです。

「それはね、唯一、いま俊君が頼れるのがぼくだけだから、そう感じてしまうんだよ」

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