第2話 Chris

 たくさんの記憶を持っているはずなのに、それは似たような薄い水色のタイルのよう。マキガイの中、ガウディという人がスペインで作っている奇妙な教会の中のように、うねり波打つタイルの壁と床に囲まれています。

 退屈だろうと、知らない軍人がぼくに大判の写真の多い雑誌をくれて、飛行機の中でパラパラと眺めていたら、その教会の写真があったのです。

 これは、ぼくだ、と感じました。

 天井は見えません。どこまでも高くタイルの壁がくねりながらそびえているのです。

 このタイルの意味を知るにはなにかヒントが必要ではないでしょうか。すべてを覚えているはずなのに、まったく手掛かりが見つからないのです。

「俊君。こっちはどう?」

 一緒にいる青年は、昔ケガをしたとかで左足を引きずる癖があります。手助けの必要なほど悪いわけではないものの、妙に気になる歩き方をします。英語は堪能。この地方のクセのある会話でも平気で大人たちの輪に入ってやりあえるぐらい。

「このビルの中で、日本人の子どもは君ぐらいかもしれないね」

 青年はクリスと名乗っていました。日系人と思われたくないそうです。オーストリアからの移民である父親と日系移民の母の間に生まれたと言っていました。

「これがおじいちゃん。ウィーンでパン屋をやっていたんだ。そしてこれが父」

 二人の男の人が石畳みの町を背景に肩を組んでいる茶色く変色した写真を見せてくれたことがありました。アラスカの基地で彼はぼくの担当になったのです。

「お母さんの写真は?」

「ない」

 クリスの祖父も父もすでに亡く、母親は行方不明だそうです。

 日本のことは大して知らないようですが、それでいて日本語はとてもよく理解できるのです。ぼくの英語は急速に上達していたものの、まだ十歳の誕生日を祝ってもいない日本から来た子どもにしては、なんとか話せるだけのことでした。

 ただ大人達はみなそれで満足しているらしく、クリスでさえ「日系二世レベルだね」と言うのです。それは彼としては褒めているようでした。

「クリス。空港到着は十一時半を過ぎてしまうようだ」

 空気入れで膨らませたような腹をした大男が声をかけてきました。真っ白な歯で笑いながらぼくを見下ろします。アラスカではそんなことはありませんでしたが、サンフランシスコからは、大人たちがみなぼくを見てそんな笑顔を見せます。

 そしてここにいる大人たちは、誰もが歯が真っ白です。ぼくの記憶している大人の歯は、みんな黄色か黒かった気がしてなりません。

 たとえば、あのコウ……。コウイチとかいう男の人はタバコが好きだったので、歯がとても汚かった気がしています。その人といつどこで会ったのかは定かではないのですが。

 誰だろう、コウイチ……。

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