廻 二日目の困惑

「殺せ」

 俺の話を聞き終えるや否や、冴島さえじまさんは躊躇なくそう言い放った。

「えっ」

「殺せと言った」

「……」

 何かの聞き間違いかと思った。……そうであってほしかったのだが、生憎冴島さんは俺のそんな勝手な願望を汲んでおもんぱかってくれるような相手ではない。

「まぁ聞け。お前の話を聞く限りじゃ、そいつはだ」

「はぁ」

 俺の間の抜けた返事も意に介さずに、彼女は続ける。

「お前の観測によれば、そいつは昨日死んだ。しかしその死は何故だか事実としては残っていないようで、死んだはずのそいつが何事もなかったかのように生きていた。……ここまではいいな?」

「はい」

「加えてお前は昨日を──六月二十五日を幾度となく繰り返していて、おそらくはそいつの死がトリガーとなる形で昨日のループから抜け出した。お前だけでなく、昨日死んだそいつ自身もループのことを認識していて、それどころか『自分が死ななければ明日は来ない』と言ってきているわけだ」

「まぁ……そうですね」

 それについては、特に訂正すべき点もない。

「……と思うか?」

「……

「だよな」

 冴島さんは水煙草を嗜みつつ、横目で俺を見遣る。

「お前は昨日──六月二十五日にあたしとループの件で話をしたと主張しているが。。確かにこの部屋にいたが、誰のおとないもなかった。初対面なのに何を言ってるんだこの不審者は、と思ったぞ」

「はは……」


 網代木あじろぎ かなでと名乗る女を前に、文字通り死んだはずの人間との遭遇に気が動転した俺は、一時撤退を選択した。

 動揺しながらも、どうやら心理学部の学生であるらしいという情報と、連絡先だけはどうにか入手して、『冷静に考える時間がほしい』とだけ告げてその場を立ち去った。

 そして、一時限目の講義を終えた後、四時限目までは講義が入っていなかったので、念のためとオカルト科学研究会を覗いたところ、冴島さんがいたものだから、俺はいたく安堵したのだが。

 ループしていないはずなのに、次の日に進んだはずなのに。昨日の俺と冴島さんの接触は、

 世界がループしているのは、奏が奏にとっての最善の一日を手にするまで粘り、最善と思った時に死を以て確定させているから……との想像は、どうも誤りであるらしい。


「それにしても命拾いしたな、があって」

 そう言いながら彼女は円柱状の小粒のチョコレートをケースからじゃらじゃらと手に出して頬張った。……ちなみにその傍らには激辛カレースープが入ったマグカップも置かれている。

 昨日の彼女から言われていた、手土産だ。

「お前の話だけなら半信半疑──暖かくなってきて季節の変わり目で少しばかり頭がおかしくなった奴の妄言かと思うところなんだがな。こうなると信じざるを得ない。昨日お前があたしに会ったというのは本当で、そのあたしも確かに本物なんだろう。流石あたし、なかなかに気が利いている」

 自画自賛しながらうんうんと頷く冴島さん。……最後の一言にはツッコミを入れたほうがいいのだろうか?

「……で、だ。あたしとお前の認識の相違──これはそいつの自殺がのとよく似ている」

 それは薄々俺自身も感じていたことだった。

「お前は昨日あたしと会っていて、その日にそいつが自殺したと、そう認識している。あたしは昨日お前には会っていないし、そいつの自殺騒ぎにも全くと言っていいほど心当たりがない。お前が言う時間、あたしは大学敷地内オカ研サークル室にいたにもかかわらず、だ」

 激辛カレースープを真顔で飲む冴島さん。……心なしか、コーヒーを飲んでいるはずの俺の舌がヒリヒリしてきた。

「お前とそいつにとっての昨日と、お前とそいつ以外──あたしやその他大勢──にとっての昨日は、別物なんだろうな。認識に決定的な隔絶がある」

 冴島さんはそこまで言うと、またチョコレートをじゃらじゃらと出して頬張った。……話の重要性は重々承知しているが、彼女の舌が大丈夫なのかも同じぐらい気がかりになってきた。

「思うに、複数の事象──複数の異常事態が重なり合う形で進行していて、お前の言う六月二十五日のループはその一側面に過ぎないんだろう。認識の隔絶から鑑みるに、異常事態は今も進行中と考えていい」

 これについては俺も同意見だった。

 きっと、


「……そうだな、今日一日ぐらいは様子を見てもいいだろう。無事に明日が来るのならそれでいいだろうし、その場合も今日のような認識の隔絶が起こるのかは重要な確認事項になる。だがな、様子見した結果──六月二十六日今日が繰り返すようなことがあれば。奏とか言ったか、そいつを殺してみろ。本当にそいつが死ぬことで明日が来るのか、再現性のあることなのか、検証してみろ」

「うぅ……」

「なんだ、抵抗があるのか?」

 項垂れる俺に発破をかけようと思ったのかもしれないが、彼女は更なる追い討ちをかけてきた。

「お前、仮にも医学部なんだろ。殺しの事実の残らない殺しってのは、ある意味いい勉強にもなるんじゃないのか」

「医学生をなんだと思ってるんですか……」

「何って、そりゃ学生だが。なんだ、医師になれば合法的に人を解剖できるから、生かすも殺すも自分の手にかかっているというスリルがたまらないから、という動機で医学部を志望する輩も一定数いると聞いていたが、お前は違うのか」

「……志望動機は人それぞれなので、いなくはないんでしょうが。ごく限定的なケースですよね、それ」

「ふぅん? オカ研所属ウチの医学生がそんなことを言っていたんでな。あいつなら、お前と同じ状況に置かれたらむしろ嬉々としてをやるんじゃないか。……うん。その事実が明日に引き継がれないなら、社会的な不利益がないのなら。知的好奇心の赴くまま、趣味と実益を兼ねて、あいつはるだろうな」

「……」

 恐ろしい人間もいたものだ。

「確かに将来的には生きた人間──法医学医の方面ならご遺体が中心になりますが──にメスを入れることになる立場です。極端な話、医療とは言っても、切った貼ったの行為は、ある意味いわゆると紙一重の行為だというのも確かなんでしょう。人体の皮膚や肉を切ること……その感触や流れる血にいちいち怯んでいては、きっと仕事にならない。そういう意味では、それぐらい躊躇なく人を殺せる人のほうが、案外外科医や法医学医としては大成するんでしょうね」

 俺自身、確かに実際の遺体──献体を解剖する実習は経験している。必要なこととはいえ、ある意味では死体損壊と言えないこともない。実際、相応の忌避感も伴った。それが生きた人間相手の手術ともなれば、ある意味で殺しにも通じるというのも、なんとなく肌で感じていた。

 勿論、こと医療ともなれば、単なる殺人とは違って専門的な知識と繊細な作業が必要になってくるし、死なせてしまっては元も子もないのだが。遺体相手であれ生体相手であれ、躊躇や忌避感なしに作業に集中できたほうが、作業の正確さも自身の精神的な負荷もマシになるのではないかと、そう思ったことは一度や二度ではなかった。

 ふっくくっと笑う冴島さん。

「『お医者様は皆、使命感に燃え、人命を何より尊ぶ、道徳的な人格者だ』なんていう幻想に浸っているような奴らは、躍起になって否定するか、そもそも認識しようとすらしないんだろうが。ある分野で有能であることと、そこから想起されがちな『真っ当な』人物像イメージに見合う人間性を実際に有しているかどうかは別の問題で、必ずしも相関するわけではない」

「勿論、世間の理想を形にしたような、善性と使命感とバイタリティの塊みたいな医師や医学生も相当数いますよ。……念のため言っておきますが、外科や法医学だって、別に猟奇趣味の魑魅魍魎が跋扈しているということはなくて、それこそ相当に有能で信念がある人でなければやっていけない領域なんですからね」

 そう釘を刺しておく。

「あぁ、わかっているさ。その上で、だ。快楽殺人者シリアルキラーすれすれの猟奇的な性質の持ち主であっても、医学の道に進み、社会の枠組みの中でやっていこうとしているのなら、その時点でご立派で、敬意を表するに値すると思うんだが。どうも世間というやつは自体、想像するのもおぞましいと感じるらしいな」

「……まぁ、理屈はわからなくもないですが。あまり一般的に受け入れられる思想でも、声高に主張するべきことでもないでしょうね。それこそ、そういう猟奇趣味の医師の存在自体は、漠然と観念的に受け入れているような人でも、いざ自分が手術を受ける段になったら医師に担当されたいと──快楽殺人者シリアルキラーまがいの医師に担当されるなんて御免だと思うんじゃないですか? 一般的には」

「そういうものか? 思想だけはご立派なヘタクソに切られるぐらいなら、快楽殺人者シリアルキラーの素養を別の形で活かしている腕の確かな医師に仕事してもらったほうが安心できると思うんだがな」

「そういうものなんだと思いますよ。快楽殺人者シリアルキラーまがいの猟奇趣味の人間が、手術中に変な気を起こさないという確証はないでしょう。得体の知れない異常者を、そう易々とは信頼できない」

「はん。反社会的な特性を持っている、手術中に変な気を起こす、ね。それこそヘタクソが手術ミスするのと、どちらのほうがより可能性が高く、より危険なのやら。崇高な理念や善意だけでは命は救えない。『手術中に猟奇趣味が顔を出すかもしれない医師に担当されるより、手術ミスを起こす可能性の高い善意のヘタクソに担当されるほうがマシ、だって悪意はなくて善意なんだから』とは、あたしには思えないな。善意のヘタクソだって、疲れで錯乱するなり魔が差すなりすれば次の瞬間滅多刺しの凶行に及ぶ可能性だってゼロじゃあない」

 を気にするというのはそういうことだろう、と冴島さん。

「まぁ思想や素行がどうであれ、誰しも狂う時は一瞬ですよね。結局は何を選んでも、確かなものなんて何もないんでしょう。それでも選ばないとどうにもなりませんから、天秤にかけていかないといけないんですよね。世の中、何をどう諦めるかの判断の連続ですから」

 ……何を諦めるか、か。

 自分でそう言いながら、俺は思案した。


 俺は彼女を──網代木奏を殺せるか?


 流石に、高所から転落した奏の遺体──と言うべきほどに、それは原形をとどめていなかったが──は正視に耐えなかったものの、それでもその場で昏倒する羽目にはならずに済んでいた。……もしあの場で昏倒していたら、絵面だけはあたかも後追いや心中であるかのように、時計塔から転落することになっていただろう。

 そうならない程度のはある。

 しかし、いくらなんでも自分の手で意図的に人を死に至らしめるとなると話は変わってくる。流石に──倫理的にも生理的にも──抵抗感があった。

 それに、その日限りで翌日に引き継がれない可能性が高い、というだけで、少なくともその日の間は立派な犯罪者、人殺しである。

 ……できれば、やりたくない。


 だからといって、この異常な日々からの脱出を諦めるべきなのだろうか?

 それとも、人としての何か大切なものを諦めて、彼女を殺すべきなのだろうか?

 答えは、すぐには出せそうもなかった。


「まぁなんだ、殺せというのは極論だ。嫌なら最終手段ということでいいだろうが、ともかくその女──奏は重要人物だ。少なくともお前よりは事情を理解しているようだし、ここで油を売っていないで話をしてきたほうがいいんじゃないか」

「冴島さん……」

 いつの間にか、彼女はチョコレートと激辛カレースープを完食していた。怖い。

「ひとつの連続した世界に異変が起こっていて、何らかの修正力が働いた結果としてお前たち以外には異変が感知できないようになっている可能性。お前たち二人だけが並行世界を移動している可能性。それ以外の可能性。この現象の始まり、その原因。奏の死の意味。見極めるべきことは、まだまだあるはずだ」

 奏の死の意味? と俺は首を傾げた。

 冴島さんは滔々と語る。

「何故そいつが死なないと明日が来ないのか。奏はいつ、どのようにしてその仕掛けに初めて気付いたのか? 本当に奏の死以外に方法はないのか? その死が何かの対価だとするなら、一体それは何に関する対価だ? 単に明日に進むためだけというより、もっと他の要因も絡んでいるんじゃないのか? 死んだはずのそいつが翌日生きているのは何故だ? 世界の修正力によるものか、そもそも世界の異変と関係なしに元々そいつが不死なのか、現状それすらもわからないだろう」

「……」

 いいか、まずは話してこい、と念押しされてしまった。

「あたし個人としても、そいつには興味がある。もし機会があれば連れて来るといい。なんなら今からでも──」

 冴島さんが何かを言いかけた瞬間。

「──あ、杏華さんいた」

 ガチャ、と開いたドアから、人の良さそうな男性が顔を出した。

「あ? なんだ姉崎あねさき

百村ももむらが探してたぞ、研究室に顔を出さないからって」

「それでなんでお前が来るんだよ」

 闖入者ちんにゅうしゃの出現に、ちっ、と露骨に舌打ちする冴島さん。

 やはり態度が悪いが、男性はさして気を悪くする風もない。

「そりゃあ学部同期のよしみってやつじゃないか。百村とはさっきたまたま、ばったり会ってさ。話を聞いて、ここかなって思ったんだ。彼、オカ研会員じゃないからわからなかったんだろうね」

 姉崎というらしいややせ型の男性を一言で表すなら、柔和な優男といった印象だ。ハイネックの服もパーマのかかった髪も、総じて淡めの色調で纏まっている中にあって、鼈甲べっこうの太フレームの丸眼鏡が一際目を引いた。

「そこの君は、新しく入った子?」

「あ、いえ。ちょっと色々あって、冴島さんに個人的に相談に乗っていただいていました」

「そっか。や、ごめんね。あんまり顔を出せてないから、どうも区別がつかなくて。僕は姉崎あねさき 橙爾とうじと言います」

「あ、どうも」

 思わぬ丁寧な応対に、俺は若干たじろぐ。オカルト科学研究会のメンバーの皆が皆、冴島さんのように傍若無人な奇人変人というわけではないらしい。

 そう認識を改めつつ、俺は慌てて頭を下げる。

「学部二年の南雲蒼です。よろしくお願いします」

「うん、よろしくね。……もしかして、タイミング悪かった? 相談、邪魔しちゃったかな」

 そう気遣われて、俺は首を振った。

「いえ、そんなことは。もう出るところだったので」

「そう?」

 それなら良かった、とにこにこしている姉崎さんとは対照的に、冴島さんは不服そうだ。

「相談、オカルト絡みなんだよね? 杏華さん、無愛想だし威圧的だし性格キツいけど、なんだかんだ言いつつ話を聞いてくれるしブレないから、ある意味安心していいよ」

「おい。さっきから黙って聞いていれば、なんだその言いぐさは。お前、あたしに借りがあるのを忘れちゃいないだろうな」

「え、これでも褒めてるのに。社会不適合者なだけで、知的好奇心も探究心も一級品。なまじ傾倒しているのがオカルトだから理解を得にくいけれど、興味がある物事に向き合う姿勢はむしろ真面目。ね?」

 おそらく事実なのだろうが、褒めているかは微妙なところだ。

 それに、と姉崎さん。

「貸し借りの話を言い出したらキリがないよ。そりゃあ杏華さんには色々と感謝してるけど、僕も君に貸しはあるよ。黙っていてあげているアレコレ、忘れたとは言わせないよ? 僕じゃなかったら今頃どうなっていたのやら」

 冴島さんは、はぁ、と大きく嘆息した。

「……もういい。帰れ姉崎」

「生憎そういうわけにもいかないんだ。百村たちが困ってるからね」

「けっ」

 遠慮のない応酬は、彼らが単なる同期ではなく……それなりの修羅場を共にくぐり抜けた戦友に近い関係性を想起させた。

「……あれ、というかどこかで見かけたことがあるような。もしかして医学部の子?」

 姉崎さんからまじまじと眺められ、おずおずと肯定する。

「はい」

「そっかそっか。僕は五年生だから、臨床実習であまり学内にはいないんだけど、聞きたいことがあったらいつでも捕まえてくれていいからね。勉強も、場合によってはオカルトのほうも、ね」

「あ、ありがとうございます」

 なるほど同じ学部の先輩か。

 冴島さんより話しやすいし、面倒見も良さそうだ。仲良くなれたらいいな。

 そう思う一方で、俺はどこか引っかかるものを感じながらもカップを片付けて、部屋を出る準備を整える。

 どうやら姉崎さんは冴島さんが研究室へ向かうところを見届けるまで帰るつもりはないらしく、駄々をこねる冴島さんに毅然と「施錠は僕がやるから、ほら早く出て」と催促していた。

「では、俺はこれで失礼しますね。冴島さん、姉崎さん。よろしくお願いします」

「うん。またね」

 別れ際、穏やかに微笑む姉崎さんに会釈した瞬間。

「あ」

 ──

 もしかして、と思いながら冴島さんの様子を窺うと、彼女はにやりと唇の端を吊り上げた。

「おそらくは、だよ。ちなみに姉崎は心臓外科医志望だ」

「……」

 本当に、人は見かけによらないものだ。


   ◆


「や、ごめん。待たせちゃったかな」

 そう気さくに、しかしどこかよそよそしく声をかけてきた奏に、俺は些か緊張しながらも「ううん、大丈夫」と応じる。

 冴島さんのあの様子では、当分の間は研究室に行っていて、奏も交えて話すのは難しいだろうと思われた。

「三時限目、空いてるんだよね? 構内で話すのもなんだから、どこか駅前のお店にでも入らない?」

 そう問われ、「それじゃ、メビウスっていう古民家カフェはどうかな。昨日初めて行ったんだけど居心地良かったし、駅まで行くより近いじゃない?」と返答したのだが、何故か奏の表情は明確に曇った。

「あの……奏、さん?」

「奏でいいよ。ぼくも蒼って呼ぶから。……昨日、確かに来てたね」

「来てたねって、もしかして」

「うん」

 奏は頷いた。

「ぼく、あそこでバイトしてるから」

 そうなのか。

 昨日行った時にはそれらしい姿は見当たらなかった気がするが、バックヤードにでもいたのだろうか。

「それじゃ、別のお店のほうがいいかな」

「……うん、できれば」


 とりあえず葉桜ようおう大学最寄りの枝垂しだる駅に向けて歩くことになったのだが。

「……」

 気まずい。

 何から話せばいいものか、うまく思考が纏まらない。

 自然、ぽつりぽつりとした会話になる。

「その、さ。どれぐらい前から、繰り返してきたの」

 そう言ってから、俺は後悔した。

「どれぐらい前から、か。……どうだろう」

 奏の反応は、その表情は、ひどく老成したものに思えた。

 終わりの見えない繰り返しループの中にある俺たちにとって、時間経過の概念は曖昧だ。俺自身、不意にそれを意識する度に、世界から弾き出されたような孤独感を味わってきた。

 まして彼女は、きっと俺よりも時間の牢獄に囚われている。そして、『死ななければ明日を迎えられない』ことを自覚している彼女は、世界のことわりの外で、誰にも知覚されない、悼まれることのない死を繰り返している──。……そんな彼女の無数の死の上に、がある。

 続けてデリカシーのない質問を重ねることを内心で詫びながら、それでも俺は訊くしかなかった。

「これまでも、……その、死んできたの」

「うん」

「痛くは、……怖くは、なかったの」

 ふふ、と彼女は静かに笑った。

「そりゃあ怖いし、痛みだってあるよ」

 なんでもないことのように、彼女はそう言ってのけた。

「だったら、どうして──」

「どうして、なんだろうね」

 彼女はそこで、言葉を切って俺の顔を見上げた。

「ぼく自身、どうしたらいいのか、もうわからないんだ」

 寂しそうな、眩しそうな、そんな哀切を含んだ笑顔だった。

「……あぁ。どうして。──どうして、こんなことになってしまったんだろう」

 そう独白する彼女に、

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