5
「ありがとうございましたー」
コンビニでペットボトルの飲み物を数本、お菓子をいくつか買った。
俺一人にはちょっと多い量。二人なら、ちょうどいい量。
先生に会いたかった。
下心があるのは認める。それでも会いたかったんだ。
俺とあまり歳が変わらなそうな彼女には旦那がいた。
でも「一緒にいる必要がない」と、一人で田舎へ引っ越してきた。
そして俺と出会い、誘い、誘われ、関係を持ったんだ。
最初からそれが目的だったみたいに近づいてきた。俺も期待した。
柔らかい身体、吐息、声。
行為を終えた後、自分の犯した罪に怯えて震えた。
怖かった。
怖かったけど、幸せだった。
震える俺を包み込んでくれた。
先生が与えてくれる何もかもが俺を癒してくれた。
今まで生きてきた中のどんな瞬間よりも、間違いなく幸せだった。
――嬉しい。
甘い声が耳から離れない。
嬉しいのは、俺も一緒だ。
庭に車を停めて、自宅には入らずログハウスに向かう。
玄関のインターホンに話している来客の姿があり、慌てて家の陰に隠れた。
道路に白い軽トラが停車している。その荷台にはオレンジ色の工具箱。
オレンジ色の工具箱を乗せた軽トラは、近所に一台しかいない。
おしゃべりで厚かましい町内会長の佐竹さんだ。
「失礼しましたぁ~。……あばずれが偉そうに」
毒を漏らしながら軽トラに乗り込み、ゆっくりと道路を進んでいく。
「クソジジイ」
先生を「あばずれ」と呼んだのが気に入らなかった。
あの老人と周囲の人間は非常に厚かましく、他人の気持ちを考えない。
彼らと活動するのが窮屈だった我が家は今年の春に町内会を辞めた。
佐竹さんが原因で県外に引っ越した家族もいる。
聞けば、勝手にポストを開けて郵便物を確認している姿を見たという。
本人は否定し続け、警察にも弁解したというが、
あの家族が県外に引っ越したことが何よりの証明だと思っている。
何の用で訪ねたのか知らないが、あいつが危ない老人だと伝えなくては。
軽トラは見えない。周囲に誰もいないことを確認しながら玄関に向かう。
呼び鈴を鳴らしたらすぐに扉が開いた。
「こんにちは」
相変わらず、冷たいというか、涼しい声に聴こえた。
黄昏の光を浴びながら、彼女の乱れる姿が脳裏に瞬いた。
――先生を見たらすぐそれか。
また、自己嫌悪した。
改まった話はせず、ただぶっきらぼうに返事をした。
「こんちわ。差し入れです」
ビニール袋を差し出す。
可憐な声が「ありがとうございます」と返事をして、
ビニール袋を持つ手ごと家の中に引き入れた。
素早く扉を閉めて鍵もかける。
「ちょうど差し入れが欲しかったところです」
先生の手は俺と結ばれたままだった。
結ぶ手の力は強い。
苛立っているのか。
インターホン越しに話していたから何かされたわけではないと思うが。
老父に恋人を傷つけられたような気がして腹がうずいた。
フローリングにビニール袋を投げ捨てて先生を抱き寄せる。
柔らかい身体が何の抵抗もなく腕の中に収まった。
「何かされましたか」
「何も。玄関、開けなかったから」
「あの爺さんの用件は?」
「町内会の勧誘です。前も断ったのに、しつこくて」
ひとまず、大事ではなくて安心した。
先生の気持ちが落ち着くように、黒髪をゆっくり、何度も撫でてあげた。
言葉は交わさず、静かになだめつづける。
憧れる先生の救いになりたい。
休職中でみじめな俺でも役に立ちたかった。
「……差し入れ、いただいてもいいですか」
しばらく沈黙を楽しんでいたら胸の中で先生が聞いてきた。
もちろんだ。
先生に会う口実とはいえ、俺を欲してくれたお礼も兼ねて用意したものだ。
「いいですよ」
腕の力は緩めずに、先生の耳元で囁く。
すると、先生は顔を上げて俺の首に両腕を回してきた。
「いただきます」
唇を重ねられる。
口づけをしながら、ああそうか、と理解した。
先生が欲しかった差し入れは、俺自身だったんだ。
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