6




 差し入れが届けられた。

 コンビニの袋を持った彼。


 私のこと、気に入ってくれたのかしら。


 家も近くて時間もお金もかからない。

 求めれば応える都合のいい女。

 いやらしくて汚い女。


 それでも、私は彼と交わりたい。

 ずっと探していた終の匂いを持っている人。

 欠けた私にぴたりと収まるパズルのピース。


 私たちの間にきれいごとはない。

 気持ちいい。心地いい。

 たったひと時でも満たされる。


 罪と身体を重ねて、刹那の快感を与えては奪い続ける。

 なんて不潔なのだろう。

 なんて汚らわしいのだろう。




 腰かけるソファーベッドがいつになく湿っている。

 喉が渇いたから差し入れのペットボトルを開けて飲んだ。

 ストレートティーのボトルは昨日の麦茶と同じく汗をかいていた。

 私も彼も、差し入れも。全部、湿っている。


「飲みますか?」

「もらいます」


 今日の彼は震えていない。

 差し出したボトルを受け取り、迷いなく口へ運ぶ。

 もう長い間そうしてきたかのように自然な仕草だった。

 喉を鳴らして美味しそうに飲んだ後、ボトルが返される。

 キャップを閉めてテーブルに置いたら、彼の身体にもたれかかった。

 長い腕が肩に回されて彼も身体を寄せる。

 会話はない。ただ、窓から見える景色を二人で眺めていた。

 太陽は西の山々に向かい、色の変わりつつある空を雲が流れていく。


 力尽きた私たちは黙して、規則正しい呼吸を繰り返す。

 この沈黙は苦痛ではない。

 肌を寄せ合い、流れる時を楽しんでいるのだ。

 生まれてからずっと一緒だったみたいに理解していた。


 ふと、彼の顔を見上げた。

 彼の瞼から雫がこぼれ、陽の光を受けてキラキラと輝いていた。

 声の伴わない静寂の涙。

 人差し指を伸ばして、雫をそっと拭ってみた。

 そうしたら、もう一つ雫が流れてきた。

 涙の理由は考えなかった。知っている気がした。


 治りかけのかさぶたを剥がして、再び開いた傷口。

 こぼれる涙の雫は止まらない血。


 彼の胸を頬ずりした。機嫌を伺う猫のように。

 大丈夫。私はあなたを裏切ったりはしない。

 全部私に任せて。

 あなたの傷は私が癒す。

 あなたに仇なす人は私が殺す。

 だから、泣かないで――。






 ある日の午後、弁護士から電話がかかってきた。

 書類一式を送るという内容だった。

 到着次第、私はその書類に諸々記入し、返送する。

 それで一区切りつく。

 事務的なやり取りを終えてから書斎に戻り、

 本棚から青い背表紙の重い本を手に取った。

 私が過ごした青い時代の卒業アルバム。

 全く笑顔のない私と、眩しい笑顔のあの人が映っている。

 緩慢にページをめくり続けると、将来の夢とメッセージが寄せ書きされていた。


――本を出したいです。遠城美月

――理想郷を作る!!君崎 篤人あつと


 対照的だった。

 本を出したい私と、抽象的な夢を掲げるあの人。

 告白の言葉は覚えている。


『男女はいつか結ばれ、共に未来へ向かうもの』


 そういうものなのだろうと、青い私は思い、受け入れた。

 理想郷に私が必要なのかもしれないとも考えた。

 自分の夢を追いながら理想郷を目指すあの人に寄り添った。


 気づくのが遅すぎた。

 私自身が虚像だったのだと。


 やがて、彼はディストピアの頂点に立った。




 小さなポリタンクと卒業アルバムを持って庭に来た。

 剥き出しの地面に投げ捨てると思いのほか大きな音を立てた。

 アルバムを満遍なく油で濡らしたら、マッチを擦って火をつけた。

 灯油の臭いと焼け焦げる臭い。青い思い出が煙となって空へ上っていく。


「燃えてしまえ」


 返した足が、いつになく軽かった。

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