【2】トカゲの尻尾切り(編集中)


***1***


「愛菜先輩、おはようございます。どうでした?」

 伊丹教室について、事務室のパソコンを立ち上げていると、トイレ掃除終わりの上村美希がニヤニヤしながら近づいてきた。

 朝の平原からの急な呼び出しの後、教室の掃除業務と朝礼の取りまとめを代わってもらうよう頼んだからか、その見返りをくれと言わんばかりに情報を欲してくる。

「私の仕事が増えただけ。事務作業が3倍になるって。」

「それは、誰のせいですか?やっぱり、あの脇さんの変更届の件で?」

「そう。美希がニヤニヤしてられるのも今のうちやからな。私、本部の仕事が多くなるから、教室の仕事これまで以上に任せていくから。私がいなくても教室を回してもらわないとな。」

「先輩、あたし、もう結構仕事覚えてますよ!任せてください!」

 20代前半の美希は胸を張って、そう答えた。

 美希は丸井のいた大学のサークルの後輩で、OB戦で母校を訪れたときに、就職の相談を受け、ぜひ自分の勤める会社に入りたいということで、丸井が引き入れたのだ。

 根っからの体育会系の美希は入社後、丸井の腹心として頭角を表し、現場の業務だけでなく、多少の事務作業なら任せられるようになっていた。

「朝の申し送りはしっかりやった?」

「もちろんです!みんなもう送迎出てて、30分もすれば戻ってきますよ。」

「そっか、じゃあ、戻ってくるまで来月の外出予定作っておいてくれる?私は、脇くんに電話するから。」

 丸井は美希にパソコンを譲ると、電話帳で脇の名前を探し、発信ボタンを押して、自分の車へと向かった。


***2***


 エクストレイルの運転席のドアを開けると同時に脇が電話口に出た。

「お疲れ様です。脇です。丸井さん、ちょうど電話しようと思ってました。」

「脇くん、ちょっと待ってな。」ドアを閉めてエンジンをつけ、暑くなった車内を冷ますために冷房をマックスにして話し始める。「お疲れ様。ちょっとクーラー音でうるさいかもしれないけど、ごめんね。」

「いえ。こちらこそ、すみません。丸井さんの仕事を増やしてしまって。」

「いやいや、私は大丈夫だけど。それより、平原常務と話した?」

「はい。当分、僕ではなく、丸井さんに大阪の教室の手続を任せると。」

「そっか。まあ、一時的な処置かもしれないし、平原常務の気が済むまでの我慢やね。」

 これまで平原に都合よく使われてきた脇がそれを好んでやっていたわけではなくとも、急に職務を取り上げられれば悲しいのかもしれない。

 そう感じた丸井は脇を慰めた。しかし、月末まで後1週間に迫っているため、慰めてばかりもいられない。人員配置の現状を確認するため、丸井は脇に大阪の管理者を集めて、一度打ち合わせをしたいと申し出た。

「じゃあ、今日の大阪の管理者みんなに勤務後、箕面教室に集まるように言っておきます。20時集合で大丈夫ですか?」

「うん、それでいいよ。じゃあ、20時に箕面で。」


***3***


 その日の業務が終わり、箕面教室に着くと大阪の管理者5人が既に集まっていた。

「丸井ちゃん、お疲れ様ー!」

 江坂教室の管理者でサブマネージャーの塩谷滋子がハイテンションで声をかけてきた。

 塩谷は神経質な皺を顔に蓄えた細身の50代の女性で、丸井への敵意からか、親しげに話しかけて来ているように見えても目の奥が笑っていないのがわかる。

「塩谷さん、すみません。急に呼び出してしまいまして。」

「いいのよ〜。真也くんの尻拭いでしょ〜?丸井ちゃんも大変やね〜。」

 本来はお前の仕事だろと心で悪態をつきながら、「脇くん、ほんまやで。私、兵庫の教室の管理者やで。」と、本来は大阪の教室の人間がやるべきことであると塩谷に向けて暗に言ったつもりだったが、伝わってはいなさそうだ。

「丸井さん、本当にすみません。塩谷さん、皆さんもお集まりいただき、本当にありがとうございます。」

 脇が上手くその場にいた皆の注意を引きつけたあと、千里丘教室の管理者である道端祐二が「そして、今日はどんな話?」と合いの手を入れた。

「ご存知のとおり、夏休みの異常な稼働のせいで、僕が帝塚山教室と阿波座教室の人員配置の変更届を15日までに出さないといけないことを忘れており、平原常務から大目玉をくらいまして、僕がやっていた変更手続など一切の手続業務を今後、丸井さんに引き継ぐことになりました。」

 脇という男は仕事の面でのズボラさがありながらも、性格は律儀なところがある。自分に都合が悪く、言いにくいことでもこんなぺらぺらと話す彼を見て、丸井は少し滑稽さを覚えた。

「そのため、引き継ぎをしようと、皆さんに集まってもらいました。管理者の皆さんには、各教室の人員状況を丸井さんに説明していただきたいと思います。」

「脇くん、ありがとう。取り敢えず、皆さんに集まってもらったけど、まずは、今回急ぎ申請をしなければいけない玉出教室と新町教室を重点的に聞きたいかな。その後で、他の教室の皆さんに自教室の状況を共有してもらえたらと思います。」

 丸井がこう促すと、「じゃあ、私から。」と、帝塚山教室の管理者の野口修作が話し始めた。

「帝塚山教室は、児童発達管理責任者兼管理者が私、保育士が常勤換算で1人、児童指導員が常勤換算で2人、無資格が常勤換算で2人です。もともと、保育士と児童指導員が常勤換算で1人ずつだったから、加配加算はⅢだったんだけど、7月末で社員の子が1人児童指導員の任用要件を満たしたから、加配加算のIを取れるようになったんです。その子の資格証のコピーと実務経験証明書はもう脇さんが事務所の橋下さんから貰ってるはずです。」

 野口の説明の途中で脇が慇懃に書類を渡してきた。

「そして、今、脇さんが渡してくださったのが帝塚山教室の職員リストです。次回以降、変更があった場合はその都度メールでご連絡します。」

「野口さん、ありがとうございます。では、あとで、運営規定だけ共有いただけますか?それと、脇くん、前回の変更届の提出の時の資料はある?給付体制一覧と勤務形態一覧は前回の資料をもとに作成するから。」

 帝塚山教室が土曜日も営業していることを念頭に置きながら、丸井は職員リストに目を通し、所属職員の資格欄と野口の説明が一致していることを確認した。


「では、次は阿波座教室。糸井くん、よろしくお願いします。」

 脇が次に説明を促したのは糸井大蔵だった。糸井は最近転職してきたばかりの管理者で、3ヶ月前の管理者会議での就任の挨拶で、見た目の恰幅の良さにも拘らず、おどおどしていた印象を受けた。

 丸井は、クーラーの効いた部屋なのに糸井の前髪が汗で額に張り付いているのが気になった。

「はい……。うちは、先月まで非常勤だった言語聴覚士の岸田さんが常勤になりまして、はい。まだ、稼働率は50%で、最低人員での運営だったのですが、加配加算のIを取れるようになります。というか、なりました。」

 脇が再度書類を丸井に渡す。

「岸田さんって、千里丘教室にも臨店して個別支援してたんじゃなかったっけ?」

「もともと外注扱いでしたけど、正社員化したので、所属を新町教室にして、これまでやってもらっていた千里丘教室への個別支援の出張も継続してもらいます。これは、平原常務の指示です。」

 丸井は糸井に聞いたが、脇がすぐに口を挟んできた。常勤でないのに、書類上常勤であるかのようにしろということだ。不正だが何も言わずに言われた通り、書類を作れということなんだろう。

 それよりも丸井は、脇が喋りだすと、糸井が汗ばんだ額をTシャツの袖で忙しなく拭き、自分がこの会話に割り込むつもりがないことをアピールしていたのが気になった。

 糸井の入社後、平原が脇に「マネージャーとして、糸井を育成せよ。」という指示を出し、これまでマネージャーといえども、事務上の統括しかしてこなかった脇は、後任管理者の育成という新たな任務を得たことで、その育成対象である糸井に対しては、いつもの腰の低さを忘れ、嫌味に上司然としているのである。

 そんな経緯もあって、元来おどおどした性格の糸井は、脇に怯えているのだろう。


 その後、脇から箕面教室の、塩谷から江坂教室の、道端から千里丘教室の人員構成について書類をもらい、一頻りの説明を受け、一同帰路へと向かった。


***4***




 

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『濁水に沈む』〜児発管 丸井愛菜の昇進編〜 これでいいのかフクシくん @DirtyFukushi

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