第22話 誰かが得るべきだったもの

「さて、じゃあそろそろ墓参りにいくとするかの」

 一通り話し終えて、僕とツカサが出された茶菓子を平らげた辺りで司の祖父は腰を上げた。

 司の祖母を除いた三人で玄関から出ると、表で待っているようにと言って司の祖父は納屋へと入っていった。支度をするらしい。

「いよいよって感じだな」

 ツカサが判決を待つ囚人のような面持ちでそう言った。

「お前、酷い顔してるぞ」

「ここにいる間中ずっと、お前は違うって事実を突きつけられてるみたいだ。さっきの話もそうだし、目に見えるもの全てが初めてって感覚を俺に与えてきやがる。そりゃ酷い顔にもなるさ」

 ツカサは頭痛を堪えるように眉間の皺を揉む。

「辛いのなら、無理せずに帰ってもいいんじゃないか」

 僕の言葉にツカサは頭を横に振る。

「それはできないな。どんな判断をするにしても、佐々部風に言うならどういう形で区切りをつけるにしても、ちゃんと向き合ってからでないと」

 それが強さなのか強がりなのか、青い顔のツカサからは判断できなかった。

 こんなところまで連れてきておきながら、僕には何もわからない。エイリアンハンドに区切りを付けたからといって、僕自身が劇的に成長したわけではない。今更ながら痛切にそう感じた。

 だからこそ僕は言う。

「歩けなくなったら背負ってやる。やるせなくなったら励ましてやる。ムカつくなら殴られてやる。だから一人で抱え込むなよ」

「へ、格好付けんなよ」

 ツカサは苦笑しつつ僕を小突いた。

 そうこうしている内に司の祖父が柄杓と桶を持って戻ってきた。桶には水が並々と注がれているので重そうだ。というか重かった。老人、女子高校生、男子高校生という三人組で誰が荷物持ちをやるかなんて言うまでもないだろう。

「こっちじゃ。たまに蛇が出るけぇ気をつけられ」

 司の祖父は庭の奥から森の中へと先導を始めた。蛇に気をつけるってどうやるんだろう、なんて間の抜けたことを考えている間にも司の祖父はどんどんと森の奥へと歩いて行く。

 実際のところ森とは言っても砂利道があり、草木は手入れされていたので別段歩くのに支障があるというわけではなかった。少し傾斜のきつい坂を登ったところに墓が並んでいた。その墓地は森を切り出したような、無理矢理平らにならしたような場所にあった。坂は墓地よりも先にまだ続いており、途中で曲がっているようで先は見えない。光もあまり当たらない場所では会ったが、そういった場所につきものな不気味さもなかった。静で清らかな、凛とした空気をその場は纏っていた。

「司君の墓は一番奥の新しいやつなんじゃけど、折角じゃけえ皆にも水やってもらえるかの」

 司の祖父が一番近くにあった墓を指差す。

「はい、もちろん」

 そう言って僕は柄杓から水鉢に水を注いだ。ツカサと司の祖父は花立や香炉を綺麗にしていた。

 いくつかの墓に水を注ぎ、全員で手を合わせ終えたとき司の祖父は感慨深げに言った。

「この墓はわしの弟の墓なんじゃ。小さい頃に逝ってしもうたけえもうぼんやりとしか覚えとらんけど、えらい悲しかったのだけは覚えとる」

 司の祖父は墓石にそっと触れる。

「こいつの分もわしは生きてやろうと思って、いつの間にかこんな年寄りになった。じゃけど、それも今思えば的外れなことを考えとった気がすりゃあな。弟の分もなんてな、できもせんことをよう言うたもんじゃ」

「若造の僕が言うのも何ですが、立派なことだと思います。できもしないだなんて、そんなことは」

「できんさ、できるわけがなかろ。そいつの人生はそいつしか生きられん。わしが誰かの代わりになんてなってやれんようにじゃ。もしもできるつもりでおるんならそりゃ冒涜っちゅうもんじゃ」

 花立の榊についた虫を払い、司の祖父は墓石に背を向けた。

 そして話をしていた僕ではなく、ツカサを見つめる。

「わしの弟は十五歳で逝ってしもうた。それが弟の人生でそれが弟の全てじゃ。あいつはたった十五年間の人生をそれでも充分に生きた。そしてちゃんと終わった。残されたもんがどう受け取ろうがそれは変わらん。そいつの分も背負うなんて聞こえのいい言葉で、終わりを引き伸ばすようなことはしたらおえん」

「……。」

 ツカサは何も答えず、ただ司の祖父から目線を外し空を仰いだ。

 木々の切れ間からこぼれる光にツカサが何を重ねて見ていたのか、やはりそれも僕にはわからない。

 そこから三人は口を開くことなく粛々と墓参りを続けた。

 僕が水を注ぎ、ツカサが枯葉を取り除き、そして司の祖父が仏花を整える。ゆっくりと、歩みを確かめるように一つずつ墓に手を合わせていく。

 そして残るは最後の一つとなった。

「これが司君の墓じゃ」

他と何も変わらない、少なくとも外観上は。あるとすればやはり年月の差だろうか、伏見司の名前が彫られた墓石には白さが目立っていた。

僕が水鉢に水を注ぐと、ツカサは墓石に付いていた枯葉を手に取り、少しだけほんの一瞬それを握り締めた。僕が何かを口にしようと思ったときにはもうその葉は地面へと落とされていた。

司の祖父が仏花を整え、そしてもう十回以上繰り返してきたように三人揃って一歩下がった。

これが伏見司の墓。

十歳でこの世を去った少年の墓。

先ほど司の祖父は弟が十五歳で亡くなったと言っていたけれど、それに比してもまだなお早い。たった十年限りの人生だ。その最後、この少年は一体何を思っただろうか。

目を閉じ、手を合わせる。

そのとき頭に浮かんだのは取りとめもないどうでもいいようなことばかりだった。

僕は伏見司を知らないということ。伏見司はこの世にもういないということ。僕が出会ったツカサは司とは違うということ。ツカサの中に生きていた司と祖父母の中に残る司は別物だったということ。そんな今更確認するまでもないような当たり前が、手を合わせて目を閉じてからの数秒間、僕の中で浮かんでは消えていた。

深く息を吸って、僕は瞼を開く。数瞬遅れてツカサも目を開いた。

司の祖父は僕達を見て、

「さて、それじゃそろそろ戻らにゃな。婆さんが昼飯作って待っとろう」

 と言ってここに来るときと同じように先導を始め、ツカサは何も言わずにその後ろに付いて行った。

 空になった桶の中で柄杓が乾いた音を立てた。



森から祖父母宅の裏手へ戻ると家屋から芳しい匂いが漂ってきた。

 司の祖父が桶と杓子を片付けている間に僕とツカサは庭の水道で手を洗う。その間、ツカサは何も言わなかった。それに墓から森を抜けている間もツカサは口を噤んだままだった。

 何か言葉を掛けるべきだろうか。そう思いもするがしかし掛ける言葉が見当たらない。地面を見ても答えなど落ちていない、蛇口の水が滴るばかりだ。

 すぐに司の祖父が納屋から戻って来たので、結局のところ僕は何も言えず三人で玄関に入る。建物の中に入ると先ほどの匂いが寄り一層香ってきた。

 焼魚の匂い、それに米の炊ける匂いもした。つられて僕のお腹は空腹を音で訴える。

「はは、若えもんの好みに合うかはわかりゃせんが、婆さんの飯は年季が入っとるけぇ、まあ不味いいうことはねえじゃろ」

 司の祖父はそういってけらけらと笑う。

 ご相伴に与るのに何もしないというわけにはいかないので、

「配膳の手伝いを」

 と言いさしたところ、台所から顔を除かせた司の祖母が、

「ええよ、お客さんは座っとられな」

 と言った。

 無理に手伝いをするというのもかえって失礼だろうと考え、お言葉に甘えさせてもらうことにする。

 僕とツカサそして司の祖父が大きな円卓を囲って腰を落ち着けた。来たばかりの時はここの畳も座布団も何となく座り心地が悪い気がしたのだけれど、二度目はそうでもなかった。ここに来たのはほんの二時間ほど前だというのに。

 墓参りを行った影響だろうか。僕の中でこの家が、少しだけ身近に感じられるテリトリーに変わったのかもしれない。もっとも、僕の心境が変わろうが変わるまいが現状にとっては何の意味もないのだけれど。

 大事なのはツカサだ。

 ツカサに、その心に何か影響はあったのだろうか。あったとして、それはツカサにとって意味のあるもなのか。

 この場所でできることは恐らくもうないだろう。だとしたら次はどうする。ツカサが現状に区切りを付けられるように、そのために、僕は何ができる。

「難しい顔をしよるな」

 司の祖父が言う。てっきり僕のことかと思ったが、どうやら声を掛けた相手はツカサのようだった。

「何を思ってそんな顔をしとるかはわからんけどの、とりあえず飯食うときは何も考えんのが一番じゃわ。なんもかんも空っぽにして、頭も腹も空にして飯食うてみられ。ちょっとだけ幸せになろうもんじゃ」

 ツカサは声に出して返事をすることはなかったが、それでも頷いていた。

 空っぽに、か。折角いただくご飯を難しい顔で食べるというのも確かに失礼だ。僕も実践してみようじゃないか。

 暫くして、司の祖母がお盆に料理を乗せて運んできてくれた。

 味噌汁に焼魚──これは鮎だ──漬物とほうれん草のお浸し、そして芋の煮っ転がし。湯気の立つ煮物から食欲を誘う匂いが漂う、そして光立つ白米。

 頭を空に、お腹はすでに空っぽだ。

 四人が揃って手を合わせる。

「いただきます」

 このときはツカサもはっきりと声に出していた。

 それからご馳走さまを言うまでの事は覚えていない。僕は本当に頭を空っぽにして楽しんでいたようだ。気付けば三杯目のおかわりを平らげ、手を合わせて箸を置いていた。

 おいしかった。そして確かに幸せな気分になれた。

 横目でツカサを見てみると、心なしかその表情はさっきよりも和らいでいるように見えた。

「美味しかったです、本当に。ありがとうございます」

「こんなおばあの料理でよけりゃいつでも食べんさい」

 司の祖母は嬉しそうに笑って食器を洗うために台所へ行く。片付けくらいはと思い、半ば強引に手伝わせてもらうことにした。

 二人で充分な作業だったので司の祖母と僕で食器を洗う。ツカサも台所まで来たが下がってもらった。僕が洗った器を司の祖母が拭いて棚にしまうという分担で行う。

「あの子は何か抱えとるんかね?」

 司の祖母が他の二人には聞こえないように抑えた声で僕に訊いてきた。夫婦揃ってよく人を見てる。僕は皿を洗う手を止めて言う。

「抱えては……いるんでしょうね。それが何なのかはいまいち説明しづらいものなんですが。すみません」

「心道君が謝ることじゃなかろう」

「それはまあ、そうなんですが」

「今日来たのはそのためかい?」

 司の祖父と似ている。目のあわせ方がそっくりだ。

 老獪な眼差しから逃れるように手元の食器に目を落とす。

「そうです。ちょっとでも助けになれたらと思って。ごめんなさい、司君のためじゃなくて」

「それも謝らんでええことじゃ。ほれ、手がとまっとる」

 そう言って司の祖母は食器を棚に戻し始めた。話はこれで終わりということだろう。

 事情を聞くわけでもなく、ただ確認をしたかっただけなのか。それとも、何のために来たのかを僕に思い出させたかったのだろうか。なんて、流石にそれは勘ぐりすぎだろう。

 食器を洗い終えてツカサの元に戻ると、司の祖父の姿が見当たらなかった。

 てっきり話でもしているのかと思ったのだけれど。

「お爺さんは?」

「何か取りにいったよ」

「何かって何だよ」

「さあ、ちょっと待ってるようにとしか言ってなかったから」

 話していると司の祖父が戻ってきた。

「待たせたの。おお、心道君手伝いありがとうな」

 司の祖父の手には小さな箱が納まっていた。

「何ですかそれ?」

「鍵入れじゃ。家の鍵やら車の鍵やらいれとる。そんで……。」

 手の中の箱を目を細めながら見て、一本の鍵を取り出した。

「あった、これじゃ。ほれ」

 円卓の上にその鍵を置く。くすみがかった銀色の鍵だった。

 手に取るとそれなりに重みがあった。スケルトンキーなので家屋の鍵ではないだろう。

「これは……?」

「二階にある本棚の鍵じゃわ。そん中に司君の遺品を入れとる」

 伏見司の遺品。残っているとは考えもしていなかった。

「でもどうして僕達にそれを」

「何ぞ役に立つかと思うての。事情は知らんが事情があるいうんはわかるもんじゃ。好きに見てくれ。わしらは食休みしとるけぇ」

 その言葉に司の祖母も頷く。

 どうしようかとツカサが僕を見たときには、既に行動に移っていた。

「ありがとうございます」

 僕はそう言ってすぐにツカサの手を引く。二階へ、階段は家に入ってすぐのところにあったはずだ。

「おい、佐々部、見てどうするんだよ」

「わかんねえよ、わかんねえけど何もしないよりはいいかも知れないだろ。後で見とけばって後悔しないためにさ」

 何となく予感がした。その本棚にこの状況のターニングポイントがある、そんな予感が。

 左手に鍵を右手にツカサの手を引きながら階段を上る。

二階に上がってすぐ目の前に本棚があった。木造の本棚で天井までの高さがある。辞典が難なく収められる高さの棚が六段、ガラス扉で閉じられていた。そのガラス窓の中心に鍵穴がある。

僕はツカサに鍵を手渡す。

 ツカサは無言でそれを受け取ると、僅かにためらった後鍵を穴に挿し込んだ。軋む音が聞こえ、ゆっくりと鍵は回される。

 かちゃん、と乾いた音と共にガラス扉が手前に開く。

 中から匂ってきたのはこの家とはまた別の匂いだった。これはきっと伏見司の匂いだ。

 本棚には様々なものが納められていた。児童書、漫画、勉強ノート、教科書に図鑑。書籍だけじゃない、ゲームのハードに怪獣の人形、時計や筆記用具なんかもあった。

薄く埃を被っているバインダーを手に取る。アルバムだろうか、男の子の写真が詰まっていた。内一枚には見覚えのある写真があった。鳥茅杏子の部屋で見た、写真立てに入っていたものと同じ写真。一通り見て本棚に戻す。

その時、僕と一緒に中の物を手に取っていたツカサの動きが止まった。

「佐々部、これ……」

 か細い声でツカサは手に持つものを指差した。最初はA5サイズの文庫本かと思ったが違う。表紙に『diary Tsukasa』と書いてあった。

「──伏見司の日記」

 ターニングポイントが姿を見せた。

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