第21話 支払うべき対価
到着した駅は現代にもこんなのが残っているのかというような木造の趣ある建物だった。サイズはとても小さい。自動改札はないのに電子通貨の認識機だけはちゃんとあるのが物凄くアンバランスだ。
駅員さん奥でテレビ見てるし。
とりあえず回収箱──だと思われるもの──に切符を入れて外に出た。
さてと周りを見渡すと、道に停めてあった軽トラがクラクションを鳴らした。僕達が顔を向けると軽トラから一人の老人が降りてくる。
「あんたらが電話の人らかね?」
訛りの混じる良く通る声で訊いてきた。
「はいそうです。伏見さんでしょうか?」
「おおそうじゃ。よう来られたの」
どうやら快活に笑うこの老人が伏見司の祖父のようだ。
伏見家の墓は一般の集合墓地ではなく司の祖父が持つ土地にあるらしく、勝手に入ることはできない。断られたらどうしようかと思いつつ電話してみたところ、司の祖父は昨日の今日にも関わらず快諾してくれた。
ちなみに祖父宅の電話番号はツカサが記憶していた。小さいころの司はおじいちゃん子だったらしく、頻繁に訪ねていたらしい。
その話をしたときツカサは、
「まあそれも実体験じゃなくて共有した記憶の中での話なんだろうけどさ」
と寂しげに呟いていた。
ともあれ祖父宅は駅から離れており、更にバスも乗り継げないということなので司の祖父が迎えに来てくれることになった。
「せめえけどまあ乗られ。三人乗りじゃけえ真ん中に女の子が乗ってくれ。そしたらワシも楽しゅう運転できりゃあ」
何言っているかわからない部分もあったが、何となくニュアンスは伝わった。促されるまま車に乗る。要望どおりツカサは真ん中に。
「今日はよろしくお願いします」
「若えんにしっかりしとんな」
僕とツカサが挨拶すると司の祖父はそう言って笑った。
「それにしてもよく僕達だってわかりましたね」
「時間も聞いとったし、こんな日の昼間にあの駅降りよんはそうおらんけぇ。特に若えんはひさしゅう見んわ」
まあいないだろうな、というのはグッと堪える。しかしその事を実感するのには充分な程の田舎だった。
山に囲まれた川沿いの道を上流へと向かって軽トラは走り出す。対向車はなし。目をつぶっていても無事故で進めそうだ。
「君が司君のお友達だったいう杏子ちゃんかの?」
司の祖父は前を向いたまま横に話しかけた。
「はい、鳥茅杏子です。司君とは一時期よく遊んでました」
「杏子ちゃんの事はワシも司君から聞いとったんよ。えらい仲ようしとる子がおる言うて、嬉しそうに言うとったけえ」
司の祖父は昨日のことのように話す。
「一度会うてみたいとは思うとったけど、まさか司君が逝った後になるとは流石にワシも予想外じゃったわ」
楽しそうに司の祖父は笑う。
隣でツカサは曖昧に笑っていた。今、何を思っているのだろう。
「急なお願いをしてしまって」
間を取るように僕がそう言うと司の祖父は手をひらひらとさせて言った。
「ええよ、気にせられな。司君のことを偲んでくれる人がおるいうだけでワシは嬉しいけえの」
「そう言っていただけると助かります」
「はは、ほんまにようできた子らじゃわ」
司の祖父はギアを一段挙げる。メーターを見ると制限速度に三十キロ程時速が上乗せされていた。周囲には車も民家も見当たらないので事故を起こすことはそうそうないだろうが、逆に単身事故を起こせば発見されるのは数時間後になるんじゃないか。
進むにつれて少しずつ道は開けていき、二十分もすると集落と呼べるような場所に入った。民家は頑張れば数え切れる位にしかないけれども、それなりに大きな建物もあった。役所だろうか。
ここが伏見司が眠る土地。
道は傾斜しており、坂の途中には田畑と百メートル程の間隔で民家がある。
「あの坂の上に見えよんがワシの家じゃ」
司の祖父は坂の中ほど、森林との境目に建つ木造の一軒家を指差した。遠目で見ても趣のある家だ。
「ワシと婆さんしか住んどらんけど、犬はおるぞ」
「犬!」
ツカサがピクリと反応した。
「お、杏子ちゃんは犬が好きなんか?司君と一緒じゃの。司君も家に来たときはよう犬の散歩に出かけよったわ。家におるんは柴犬でハムいう名前なんじゃけどな、小さい司君はよう振り回されよったんじゃ」
「ちなみに猫はいません?」
猫好きの僕としての対抗心がそう質問をさせた。
「猫もおるよ。ただあいつは夜になるまで帰らんから、佐々部君は会えんじゃろうな」
「そうですか」
ここに来た動機を忘れて落胆する僕。
そんな話をしている内に、三人を乗せた軽トラは車両一台分の道を通って司の祖父宅へと到着した。
司の祖父宅は二階建ての木造家屋で、僕の住む家の三倍近くは大きかった。一旦僕らを玄関前に降ろし、司の祖父は軽トラを車庫に入れた。
車庫から司の祖父が僕らのところへ来る前に、ツカサが小さな声で「そうか」と言った。
「やっぱり俺は司じゃないんだな」
寂しげに、かみ締めるような声で。
「どうしたんだ急に」
「ここに来るのは初めてだって、体がそう言ってる。あれだけ知識はあったのに、匂いがまったく覚えの無いものだ」
「ツカサ──」
司の祖父が戻ってきたのでそれ以上のことは言えなかった。
腰も落ち着けずに墓参りというのも何なので、僕達は司の祖父宅へと上がらせていただいた。玄関の造りからしても年季のある家屋であることが実感できた。靴脱ぎ石なんて何年ぶりだろうか。
通された和室には少なく見積もっても八十インチは超えているであろうテレビが置いてあり、建物との不具合さが尋常ではなかった。
テレビから離れた位置にお年を召した女性が座っている。僕達を見て笑顔になった。
「どおも、よう来たね」
司の祖父よりも訛りが抑えられた言葉で、司の祖母は僕達に挨拶をする。
「どうも、心道佐々部です」
「鳥茅杏子です」
自己紹介を聞いて、司の祖母はより一層笑顔になった。
「そうかい、貴女が杏子さんか。そりゃそりゃ嬉しいねぇ」
「司君から私のことは聞いていらっしゃるとか」
「爺さんが言うたかね。そうじゃ、よう聞いとったんよ。司君が逝ってしもうたんで、もう会えるとは思うとらんかったけど。ほんとに、よう来てくれたね」
司の祖母は立ち上がり歩み寄ると僕達二人の手を取り、ありがとうと言ってくれた。
ツカサはまた寂しげな顔をした。
「ほれほれ、婆さん。とりあえず座らしたれや」
後ろから司の祖父がせっつく。
「ああそうね。今お茶を持ってくるから、ゆっくりせられ」
司の祖母はそそくさと台所へと消えた。
僕達はとりあえず大きな円卓を囲んで腰を降ろした。
「あの──」
ツカサがおずおずと口を開く。
「お二人はどうして今日の話を引き受けて下さったのですか?私が言うのもなんですが、あまりにも唐突だったと思うのですが」
問われた司の祖父は一度遠くを見るように目を細めた後、息を吐くように「そうじゃなぁ」と呟いた。
「特にどうって理由があるわけでもねえんじゃけど、嬉しかったんじゃわ。なあ佐々部君」
不意に司の祖母は僕に目を向けた。
「若い君はこないな土地をどう思う?」
「どうって・・・趣のある土地だと、思いますが」
「もっと率直に言ってみい、怒りゃあせんから」
「…辺鄙な田舎だと。電車を降りた時は思いました」
「じゃろうな。若え者にとっては、いや年寄りにしたってここは暮らしやすい場所じゃねえわ。人の数は減る一方で出て行ったもんは戻ってくりゃせん。いずれはこの村もなくなるじゃろ」
「それは」
何か言おうとするが、しかしどう取り繕ってもこの翁の言うことは真実だ。この土地は既に限界集落に近い。このまま四半世紀も経ては人口は半減してしまうだろう。
「いやいや、ええんよ。そうなったらそうなったで仕方ねえとわしは思っとるけえ。住みやすい所へ人は流れていく、それは仕方の無い営みじゃろう。そうやって忘れられた土地はいくつもある。人が住んどった痕跡を残して朽ちていくだけになった土地がな」
この家に来る途中にもそういった景色はあった。川向こうの崩れかけている家、雨ざらしになってツタが撒きついていたトラック、錆びた門と光の入らない私道。この翁はそのどれかの、もしかしたら全ての生きていた頃を知っているのかもしれない。
「土地は忘れられてもええ。その土地のもんが区切りをつけた結果じゃ。ワシら老人も同じように、死んだ後に何代か下の奴らが手を合わせてくれるだけでええ。でも司君はそうはできん」
歯噛みするように司の祖父は言った。
「それはどういう意味でしょうか?」
「うちには息子と娘がおってな、まあ息子は知っての通り七年前に交通事故で死んでしもうたが、娘夫婦の方は元気にやっとる。遠いところの嫁に行ったもんでそうそう会うことはねえが、それでもまあ年に数回は顔を見せに来る。しかし娘は息子と折り合いが悪うての、嫁に行く前からお互い関わらんようにしとった。そのせいで娘は司君の事を知らんのじゃわ。名前位は知っとっても会うたことはない」
「他に身内の方は」
「おらん。いやおるにはおるが司君を知るもんは一人もおらん。じゃからわしは心配しとったんよ。わしら夫婦は娘達に手を合わせてもらえる。息子も一応は拝んでもらえるじゃろう。でも司君は違う。顔もわからんような相手に拝むも何もねえわ。わしはそれが嫌じゃったんよ。若えうちに逝って、誰にも偲んでもらえんなんて、あまりにも酷え話じゃ」
「私がいます」
ツカサは自分の胸に手を当ててまるで宣誓するように言う。
「私が司君を知っています」
「ああ。じゃから嬉しいんよ。司君を知る子がここに来てくれたいうだけで、わしらは嬉しいんじゃ。君らの理由は知らんし、それはそれでええと思うとる。じゃけん気兼ねのうおってくれ」
年を重ねた人の度量は計り知れないな。
この土地に来てから感じていた清々しさみたいなものの正体が何となくわかった気がした。単に土地の空気が綺麗ということもあるだろうが、それだけではなく、この土地には嘘が少ないのだ。虚構や虚飾がわめきたてることなく、あるがままを曝け出している。
司の祖父だって、町で出会えば無用心な人だと僕は感じたかもしれない。でもこの土地なら、きっとこの老人のあり方が正解なのだろう。
「司君の事をお話して貰えませんか」
僕は何の含みも持たせずにそう言った。
それを知りたいと思ったからだ。この老人からならきっと、ありのままの司を知ることができる。
「お話と言われても」
「何でもいいんです。僕は半分杏子の付き添いできたようなものなので、少しばかり聞いてはいるんですが司君がどういった子供だったのかを知りません。ただそんな状態で手を合わせるのも何ですし、お爺さんから見た司君がどんな子だったのか、お話していただけませんか」
これから墓を参る人のことなのだから、僕は知っておくべきだろう。ここに来る道中にもツカサから伏見司の話は聞いていたが、語り部が違えばまた見えてくることも変わるかもしれないだろうし。
司の祖父は天井を見上げて物思いに耽った後、口を開いた。
「司君は嘘つきな子じゃったな」
司の祖父は薄く目を開いて笑う。
「嘘つき?」
ツカサが納得が初耳とばかりに老人の言葉を反復した。
「そう、司君はいつも嘘ばかり吐いとったよ。なあ婆さん」
丁度お茶をお盆に載せて来た司の祖母は、
「そう言われればそうだったかも知れんねぇ」
と司の祖父と同じように目を細めて笑った。きっと思い出に残る司を愛でている、僕はそう思った。
しかし、嘘を吐かれたという記憶をこんなに楽しげに思い出せるものなのだろうか。
僕のそんな疑問に気付いたのか、司の祖父は訂正するように言った。
「まあ嘘と言っても、司君の吐く嘘はどうでもいい嘘なんじゃ。心道君、君は嘘を吐くかの?」
「そりゃまあ、場合によっては」
「どんな場合じゃ?」
「恥ずかしい話ですが、都合の悪いことを隠すときや言い逃れするために嘘を使うこともあります」
情けないことを正直に話した。
司の祖父は小さく頷く。
「そうじゃろう、普通嘘というものはそういう風に使うもんじゃ。何、心道君は間違っとらんよ」
僕にフォローの言葉を入れて、司の祖父は「でも」と続けた。
「司君が吐くのはそういう嘘じゃなかった。いや、もちろん言い逃れの嘘を吐くことも人並みにはあったじゃろうけど、それだけじゃなかった。小さい嘘を沢山吐いとったな。わざわざ嘘を吐くことも無かろういうことをじゃ」
「例えばどんな嘘を?」
「そうじゃのう。わしが畑を見に出かけようとする。そん時に司君は言うんじゃ。『お爺ちゃん雨降ってるから傘持って行きなよ』とな。それでわしは雨具を持って出るんじゃけど、玄関開けてみると雨なんぞ降っとりゃせん。そもそも雲がない。そんな嘘じゃ」
「でもそんなの──」
「意味ないじゃろ?それにすぐばれる。でも司君にはそれが楽しかったんじゃろうな。司君はわしや婆さん、それに息子達にもそんな嘘を吐いてはけらけらと笑っとったわ」
司の祖父が話すそれは、想像していた伏見司とは異なるものだった。ツカサが伏見司として行動する際の振る舞いから、実直で粗雑な少年を想像していたのだけれど。司の祖父の話から思い描く司の姿はそれとは違う。年月が経ったことによる違いなのか、それとも──。
「本物と偽者の違いか」
それは誰かに聞かせようという声ではなかった。ぼそりと溢したツカサの声は僕にしか届いていなかっただろう。
僕はその声に何も言わない。
司の祖父は続けて伏見司の生前を話していたが、そこから先の話はツカサから聞いたことのあるものばかりだった。
質問しておいて申し訳ない限りだけれど、僕はあまり司の祖父の話には傾聴せず出されたお茶を啜って相槌を打つだけだった。
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