第19話 小さなヒーロー

 夜中に案の定熱が出た。うなされていたようで、心配した母が冷やしたタオルを額に置いてくれた。朝方には熱は引いていたが、今日は大事を取って休むようにと母に言われ、仕方なしにベッドで二度寝をする。

確かに全身の痛みはまだ残っていたし、こんな顔では司が心配するかもしれない。何より今は何も考えずに寝ていたかった。

そうだ、司はどうしたのだろうか。あの後、神社の境内で別れてから司からの連絡は来ていない。

「司、か」

 その呼称もまた正しいのかどうか。

 何も考えずに、などと思いながらも頭は勝手に思考している。

 二度寝にも飽き、特にやることもないのでベッドで寝転がっていると、丁度正午を回った辺りで玄関の鍵を開く音がした。

 母が帰宅する時間には遥かに早いので泥棒かと一瞬身構えたが、どたどたとした足音で誰かはわかった。真が帰ってきたのだ。

 手洗いとうがいをする音が聞こえ、そのまま元気よく階段を駆け上がってくる。てっきり自分の部屋に入るのかと思ったが、そのまま僕の部屋へと入ってきた。

「あれー、兄ちゃんだ!」

 ドアを開けるや目を丸く見開く真。

僕はと言えば気付かれなきゃそれでいいやと思っていたので、何となくばつが悪い。

僕は取り繕うように言う。

「漫画取りに来たのか?」

 真はよく僕の部屋の漫画を持ち出すのでそう訊いた。

「え、うん。そうだけど、それより何で兄ちゃんいるの?学校は?サボり?」

 矢継ぎ早に質問してくる。

 どう答えたものかと暫し考えて、

「熱がでたからお休みしたんだよ」

 と答えた。嘘は言っていない。

「病気なの?大丈夫?」

「ああ、大丈夫。もう熱は引いてるし、風邪とかと違って移ったりしないから気にするな。それより、お泊りは楽しかったか」

「うん。滅茶苦茶面白かった。ムラ君がまどかちゃんに告白することになったし」

 真は本棚から漫画を抜き取って、ベッドにいる僕の横に転がって読みながら言った。

「・・・何の話?ムラ君てのは確か真の友達で背の高い子だったよな」

「そう、そのムラ君。対戦で五回負けたから、ムラ君が好きな子に告白することになったんだ」

「ああ、罰ゲームな」

 僕も子供の頃そういえばそんなことをやった記憶がある。ゲームや球技等で負けた奴が好きな子に告白するという、定番といえば定番のやつだ。

「やめといた方がいいと思うけど」

 あまりいい思い出はない。皆がやんわりと傷ついただけだ。

 ふむ、ということは。

「そのゲームやったってことは、真も好きな子がいるのか」

 僕のときは意中の相手がいない奴はそのゲームに参加できなかった。じゃないと罰が成り立たないからだ。今もそう変わってはいないだろう。

「・・・・・・いないよ?」

 僕の方を見もせず真はそう答えたが、耳は真っ赤だった。

 わかりやすい奴である。

「ま・こ・とー、嘘は──」

 よくないと言いかけて、途端に頭が冷えた。

 嘘つきがどの口で言えるのか。

「兄ちゃん?」

 急に口を噤んだ僕を真は心配そうに見てくる。

 言わなきゃいけない。でなければ僕は真に心配される価値なんてない。

「真、話がある」

 僕の真剣な声色に真は手に持っていた漫画を置き、体ごと正面に向く。

「僕の左手の病気は知ってるな」

 真は驚いたように目を見開く。我が家では父の話と僕の左手の話はいつからか禁句になっていたので、まさか僕からそんな話が出てくるとは思わなかったのだろう。

「エイリアン何とかのことだよね。勝手に動いたりするっていう」

「そうだ。エイリアンハンドシンドローム。僕の意思とは無関係に手が動く精神症だ。二年前のあの日、真を傷つけた日に発症した」

 言葉を一つ出すたびに心臓の鼓動が早くなる。部屋の中なのに体が震える。

「うん。知ってる」

 真は自分の左肩に手を置きながら頷いた。

 真の右手が触れている部分には傷跡の先端がある。

「母さんから聞いたか?」

「うん。二年前に一回だけ、病院で聞いたよ。そのせいでこの傷ができちゃったんだろ」

 きっと母さんのことだから全ては病気の責任だと、そう説明しているのだろう。

「真は僕のエイリアンハンドがお前を傷付けたと聞かされたかもしれないけれど、それは違うんだ」

「え?」

 逃げ出したい気持ちを力の限り抑えて、僕は言う。

「僕なんだ。僕の意思で、でも、真だとは思わなくて、別の何かに見えて、それで、だけどそうじゃなくて、お前で!」

 言葉になっていなかった。ぐちゃぐちゃとした情けない言葉が溢れてくる。

「落ち着いて、兄ちゃん」

 真は僕の左手に手を伸ばし、両手で優しく包む。その温かさで、また涙が出そうになった。

 しかし次いで真の口から出た言葉にそれも引っ込んだ。

「兄ちゃん、それは──あの日遊園地に父さんが居たことと関係あるの?」

 完全に意表を突いたその言葉に、僕はただ呆けたように口を開いて固まった。

 一瞬何もかも吹き飛んでしまったが、慌てて頭を回転させる。

「・・・お前、気付いて──」

「気付いてたよ。そりゃわかるよ、大した思い出はないけど父親だもん。同じ店にいればわかるって。そっかそっか、やっぱり兄ちゃんもあの時気付いてたのか」

 あの日あの場に父がいたことは母にしか伝えていない。それも伝えるつもりはなかったのだが、二年前にエイリアンハンドシンドロームの原因を突き止めるために病院を転々としていた際、心的ストレスの要因として喋らざるをえなかったのだ。そのことは真には伝えていない。母からも口止めされていたくらいだ。

 真のあっけらかんとしたその態度に僕はますます混乱する。

「だって真そんな素振り少しもしてなかったじゃないか」

「何かさー、兄ちゃんには言っちゃ駄目な気がしてたんだよね。まさか兄ちゃんも気付いてたとは思わなかったし」

 子供の、しかも当時は九歳だった真に僕は気を遣われていたのか。それはそれでまた情けない話ではあるのだけれど。

「俺としては大したことじゃなかったけど、兄ちゃんは違うのかなって。あの日兄ちゃんに何かあったっていうなら、そういうことなんでしょ?」

 本当に聡い子だ。

 僕の弟なのが勿体無いくらいだ。

「うん、そうだよ。あの日の父に関係してる。真は見たか?あの日、父さんの他に女の人と女の子がいたんだけど」

「いたね」

「料理してるとき、自分でもわからないけれど何故か真の姿がその子と重なったんだ。その子だけじゃない、一緒にいた女の人もイメージが重なって、化物みたいに変化していった。物凄く禍々しいものに見えて、倒さなきゃと思ったんだ。退治しなきゃって。だから僕は包丁を──真に──。」

 最後のほうは上手く言葉にならなかった。

 真にとってはただ理不尽なだけの話だ。傷付けられる理由もない。

「しかも、僕はそのことをこの左手のせいにして今日までずっと逃げてきたんだ。さっき思い出させられるまでずっと。卑怯で卑劣で、嘘つきなんだ僕は」

 なんて無様なやつだろう、言葉にする度に思う。真の兄でいる資格なんてないじゃないか。

 だけれど真は「そっか」と頷いて、

「退治できたの?」

 と言った。

 責めるでもなく、ただ心配そうに気遣うように真は僕を見る。

「その怖い奴はいなくなった?」

「ああ・・・。もういない」

 切りつけてすぐにそのイメージは胡散無償した。残ったのは傷ついた真だけだった。

「だったらいいじゃん。エイリアン何とかのせいじゃないとかどうでもいいよ」

「──。」

 言葉が出なかった。

 真は僕の頭を撫でる。

「兄ちゃんが俺のことを嫌いになってやったわけじゃないんだろ。ただ変なものに惑わされただけなんだろ。だったらもういいじゃん」

「僕は、お前に取り返しのつかないことをしたんだぞ。その傷だってそうだ」

 背中に大きく残る傷。学校生活で人目に触れないはずはない。その度に好奇の目線に晒されることになるはずだ。人と違うというのは、子供時代には大きな枷になりかねない。

「そうだなー・・・。」

 真は暫し考え込むと本棚の前に移動し、数冊の漫画を持ってきた。その中から漫画を一冊選んで開く。

「ほら見てよこれ」

 キャラクターが大きく画かれているページを見せる。

「これなんかもそうだ」

 また別の漫画を開く。

「これも、これも、あったこれもだ」

 何冊も何冊も真は僕に漫画を見せる。

 五冊目を過ぎて、僕は気付いた。

「傷跡が・・・。」

「そうだよ。漫画の主人公なんて皆、傷跡持ってる人たちがほとんどじゃん。俺はそれカッコいいって思う。学校の皆だってそう言うぜ」

 真は自分の背中を指差して笑った。

 本当に、本当になんて弟なのだろう。僕はこいつにどれほどのことがしてやれるのだろう。

「こんな嘘つきな兄ちゃんを許してくれるのか?」

「許すとかじゃないんだって。そりゃ嘘吐いてたことはちょっとかっこ悪いなって思うからマイナスだけど。でも、俺兄ちゃん大好きだし。へへ、大好きだよ」

「真・・・。」

 言葉にできなかったから、力の限り抱きしめた。

 こいつは僕のヒーローだ。こんなにも簡単に僕を救ってくれた。

 されるがまま、真は胸の中で言う。

「兄ちゃんも俺のこと好き?」

「ああ、ああ。もちろんだ」

「よかった。でも兄ちゃん、嘘は駄目だよ」

 普通に叱られた。

「そうだな」

 頷いて僕は思う。もう一人、嘘に悩み苦しんでいる友人のことを。

「ごめん真、兄ちゃん学校にいかないと。留守番頼めるか?」

「今日は休みじゃなかったの?」

「もう一人いるんだ。本当じゃないことで苦しんでいる奴が。一人きりでいる奴が。僕はあいつの傍にいてやりたい」

 虚構で作られた状況に苦しんでいるはずなのだ。あの少女と少年の狭間に立たされた友達は、きっと心細いに違いない。さっきまでの僕と同じように悩みもがいているだろう。

 それを何とかしてやりたい。どうにもならなくとも、傍にいるんだと教えてやりたい。

「・・・?よくわからないけど、いってらっしゃい」

「ああ、いってくる」

 小さなヒーローに見送られ、僕は足早に家を出た。

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