第15話 辿り着いた友人
「以上が今までの自分です。聞いて下さってありがとうございます」
いつもみたいな杏子の口調に戻し、彼は話を締めくくった。
「正直なところ、何て言っていいのかわからない」
杏子の、もとい司の独白に対し、僕が言えたのはそんな情けないものだった。
あまりにもあんまりな話じゃないか。
ただの好奇心でそんな悲惨な結末に至るなんて、誰が考えられる。
「それからずっと、お前は鳥茅杏子として生きてきたのか」
「はい。杏子の死を知ってから一年は殆ど誰ともコミュニケーションを取っていませんでしたが、それから先は、ずっとこの調子で生きてきました」
「やめろよ」
僕は言う。
「さっきの口調が本来の──司としてのお前の喋り方なんだろ。だったら無理にそんな馬鹿丁寧な言葉を並べなくていいじゃないか。少なくとも僕の前では」
鳥茅杏子の振りをしなくてもいいだろう。
もう僕は知ってしまっているのだから。
「無理に、というわけではないですけれどね。でもまあ、佐々部さんがそう言ってくださるなら──俺は俺として振舞うよ」
「ああ、それでいい。呼び方は司でいいんだよな」
「そうだな、でも」
司が言う前に、僕は応える。
「わかってる。二人のときだけだ。それ以外はいつも通りに杏子って呼ぶよ」
「そうしてくれ」
司はそう言って深く息を吐いた。ため息のようでもあり、安堵の吐息のようにも思えた。
「どうした?」
訊ねる僕に、司は空を見上げながら言う。
「佐々部は受け入れてくれるんだなと、驚いてる。こんな最低の人間を前にしても、佐々部は変わらずいてくれるんだな」
「そういえばさっきもそんなこと言っていたな。でも、司のどこが最低なんだ。それほどまでに自分を卑下する理由が、僕にはわからないよ」
「俺のせいだからだ。この現状が、この結末が、疑いようの無く俺の責任だからに決まってるだろ。後先考えず怪しげなものに願って、好きだった女の子の人生を文字通り奪っちまった。挙句、死ぬはずだった俺は生きて生きるはずだった杏子が死んでいる。全部・・・全部俺がわけのわからない願いを抱いたからだ」
「でもそれは、司の思慮の外だったことだろ。戻れないなんて思ってもいなかっただろうし、ましてやドクターが姿を消すなんて、そんなの事前にわかるわけないじゃないか。鳥茅杏子の乗っていた車が事故を起こしたことだって、最悪が重なっただけで」
司が自分を責める必要なんてないはずだ。
どうしようもない部分で起きてしまった事故なのだから。
「どうしようもないことだから、自分を責める必要はないとか思ってるだろ?でもな、佐々部。それはお前が言えたことじゃあないだろ」
「・・・それは、どういう意味だ?」
「エイリアンハンドシンドローム」
それは、僕の抱える病症の名だ。
でも何故今その名前が──。
「佐々部の抱えるそれは、精神症の一種でつまりはお前には何の責任もない事象だよな。弟のために遊園地に行って、そこで偶然幸せそうな父親を目撃して、結果その手に他人が宿った。そこには佐々部が負い目を感じることは一つもないはずだ」
偶然、その一言で片付けるにはあまりに不運すぎることだけれど。
「でも・・・。」
「そう、『でも』だ。そうだとしてもそれで自分が何も気にせずのほほんと暮らしていける程、俺も佐々部も面の皮は厚くはないだろ。偶然かもしれない、不運だったかもしれない、でも考えずにはいられないだろ。あの時のことをやり直せたらって」
司の言う通りだ。
やり直したい。消してしまいたい。全部が全部無かったことにして、今の僕を作り直したい。
現状が最悪で最低に感じているのは僕の本心だ。
そうか、司も同じ気持ちなのか。
「僕達は似ているんだな」
「ああ、そっくりだ。勿論俺の方が最低だけどな」
「いや、僕の方が最低だな」
冗談めかして、しかし本気で僕等は自身を卑下した。
そしてその自己嫌悪こそ、僕等が最も共有できるものだった。
悩みを打ち明けあい、同じ感情を共にする。それはきっと友人としかできないことだろう。だから、僕と司は今日、ようやく友達になれたのだ。
「ふ、ふふふ、あははははは」
不意に堪えきれなくなって笑い出してしまった。
「どうした?」
「い、いや、これはおかしいだろうと思って」
「──?」
「だって、僕は今までずっと、鳥茅杏子の振りをしてきた司と接していてずっと、違和感を覚えていたんだ」
距離のある友情に。
互いに踏み込めない関係に。
ずっと、ずっと、違和感を覚えていた。
「今日ようやく僕は司のことを知って、司は僕のことを知ったっていうのに。これで薄皮一枚隔てたような奇妙な友人関係を脱却できたはずなのに──何で僕達はこんなに歪んだ友情しか持ててないんだろうな」
「確かに、そうだな」
「それに気付いたらもう笑うしかないよ」
自己嫌悪を共有して、自分が相手より下だと言い張る。
そんな状態に陥ってようやく友人と言えるだなんて、何て僕達は歪なのだろうか。
「ふはははははは」
「あはははははは」
それから暫く僕達は笑いあった。
目の端からこぼれるものが、嬉しさからか、悔しさからなのか、僕にはわからない。
喉がかれるまで笑って、そして一息ついた。
肩で息をする司に僕は言う。
「決めた」
「何を?」
「ドクターのやつ、ぶん殴ろう」
「は?お前はその左手を直してもらうんじゃなかったのかよ」
呆れ声で言う司に、僕は首を振る。
「司のことをこんな現状にした奴なんだ、僕はそんな奴に頼りたくはない」
例え一生このままだとしても、僕はそんなものには頼らない。そう決意した。
それ聞いて司は笑う。
「ああ、そりゃ面白い答えだな」
「司も一緒にやらないか?いくらお前が自分に負い目を感じてるからって、ドクターのことを怨んでないわけじゃないんだろ」
「もとより俺はあいつをぶっ飛ばすつもりだぜ」
「決まりだな」
僕が右手を突き出すと、司も合わせてきた。拳と拳をぶつけ合う。
「ぶっ飛ばそう」
これでようやく、僕と司の目標は同じものになった。
*
翌日、どうにか不良共を撒いて帰宅した日曜日の次の日、つまるところ月曜日。
昼休みに司と食事をしているときに、昨日から気になっていたことを訊いてみることにした。当然、周りに誰もいないことを見計らって。
「なあ司、昨日は茶化すようで言えなかったんだけどさ。でも気になって仕方ないから、訊いてみてもいいか?」
「何だよ改まって。気遣いとかしなくていいから、引っかかってることあるなら言えよ」
そう促されて僕は言う。
「司はその・・・銭湯とかってどうするの?」
「は?」
「いや、だからさ。温泉やら銭湯やらに入るときってどうしてんのかなと思って」
ややあって、司は理解したらしい。
「あー・・・はいはい、なるほど。佐々部も男だねぇ」
揶揄するような司の言葉に少々むっとした。
「だって気になるだろ、やっぱり」
「うん、まあわからないでもないけどな。男の夢と言えなくもないだろうし」
「それで、どうなんだ?」
「結論から言えば全部女湯だよ」
何てことなさそうに司は言った。
「マジか!」
「いや、だってそれ以外選択肢ないだろ。俺が男湯に入るほうが問題だぜ」
「そりゃそうだけど」
「それに、佐々部も知ってるはずだろ。俺ずっと女子更衣室で着替えてんじゃん」
「あー、言われてみればそうだ。しかし何と言うか、倫理的にいいのかそれは」
そう言うと、司は思案顔になった。空を見上げて眉を寄せている。
「どうした?」
何か気分を害すことでも言っただろうか。
しばし悩んだ後、司は「まあいいか」と言う。
「別に説明する必要もないけどさ、でもまあその点について答えとくと──俺って多分性欲がないんだよ」
「えっと、どうゆうこと?」
「ほら俺はさ、女の体に男の魂が入ってるわけじゃん。これはパソコンで例えると、ウィンドウズ用に作った端末にマッキントッシュのOS入れてるようなもんだ。調整すりゃ動かせるけど、それでも端末とOSどちらも本来の機能は制限されちまうだろ?」
だろ、と言われても、申し訳ないが理解できない。生憎と僕は機械に疎い。
まったくイメージが湧かなかったので、
「そっち系は全然駄目なんだ。別の例えを頼む」
とお願いする。
「んーじゃあそうだな、漫画で例えよう」
「いいね。わかりやすそうだ」
「四コマ漫画でサスペンス物やるような感じだな」
「オッケー、なんとなくわかった」
できなくはないけれど、と言うところか。
「で、それが司の性欲の有無にどう関わってくるんだ?」
「おそらく、体と魂のどちらも充分な性能を発揮できていないせいで、体のホルモンバランスが崩れてるんだと思う。自分で言うのも何だけど、俺って顔も体も中性的な形してるだろ。胸なんかありゃしねえよ」
「確かに」
司の胸元を見て同意する。
不思議なもので、中身が男だと思うと視線を向けることに抵抗がなかった。
「この前お見舞いに来たとき、俺の──杏子の机に飾ってあった写真見てただろ」
ぎくりとした。
気付かれていたとは思っていなかった。
「ばれてたか」
「何となくな。で、あの写真見たならわかるんじゃないか。今の容姿と昔の容姿、つまり俺が杏子に入る前と後で大分顔つきが違ったはずだ」
今と違い、女の子らしい顔つきで──写真を見たとき僕はそう思った。
順当に成長していれば、鳥茅杏子はまったく違う姿かたちになったのだろうか。
「つまりそういうわかりやすい部分を含めて、この体は不具合を抱えてるんだよ」
「その一つが性欲の無さ、つまりは女体への無関心だとそういうことか?」
「そういうこと。だから倫理的にも問題はないと思うぜ。俺にとっちゃ犬猫見てるのと大差ねえんだから」
「それ女性に聞かれたら刺されるぞ」
体が女であり心が男であること。一見すればそれは世間で認知されているところの性同一性障害と捉えてしまいそうだ。
そんな事も頭の端をよぎったが、それよりも気になることが一つ浮かんだ。
「あれ?だとすると、司は──。」
そういうことなのか。
「何だよ、途中で止めるなよ」
気持ち悪いだろうが、と顎で先を促す。
「確認なんだけど、司は別に男に興味があるってわけじゃ・・・痛い!」
言い切る前に司の箸が僕の眉間に食い込んでいた。
「佐々部、お前なぁ」
「確認だよ確認。最後まで聞けって」
眉間を擦りながら涙目で訴える。箸の動きが見えなかった。
昨日から思っていたことだけれど、司は女の体でありながら強い。さっき言った不具合の副産物なのか、それとも司本人の鍛錬なのかはわからないけれど。
この状況、やり返したら僕が女子生徒に暴力ふるっているようにしか見えないんだろうな。
「女性に興味がないんだろ。んで別に男に劣情を催すってわけでもないんだろ。だったら司、お前は人を好きになれるのか?」
それが気になった。
性欲が欠けているということは、種を保存する意識がないということだ。次世代に繋ぐ気がない。もっとも現状の司が次世代を作ろうと思えばそれは女性的な役割を果たすしかなくなるわけだけれども。万能細胞は世間で言われるほど万能ではないことだし──ともあれそれは棚上げするとして。
僕が気になったのはそういうことだ。つまりは、性欲無しでも人は人に恋をするのだろうかと、青臭いことを考えてしまったのである。
「俺、結構佐々部のこと好きだぜ」
司はさらりと、そんな科白を吐く。中性的とはいえ、充分に端整な顔立ちで僕を見てそんなことを言う。
一瞬胸が跳ねて、すぐにおさまった。
いやいやいや、こいつ男だから。今もベンチに方膝乗せながら行儀悪く弁当食べてるんだから。
「そうじゃないんだよ」
動揺を悟られないように若干目線を逸らして続ける。
「つまりだな、司は──現状の司は恋をするのかという意味での質問だ」
司は暫し逡巡する。散々頭を捻っていった言葉は、
「そりゃ気にしたことなかったな」
だった。どうやら司は僕の疑問に驚いているらしい。
「佐々部の言う『好き』は、ライクでなくラヴの意味でってことだろ」
「そうだよ」
「その意味で言えば、人を好きになることはないんだろうぜ」
まるで他人事のようにそう言った。
「というかそれ以前の、いや、それ以後の問題だな。俺はその段階にいない」
「どういうこと?」
「誰かに恋して相手を求めて、なんてステージにはいないってこと。ほら、歌なんかでよくあるだろ『二人が一つだったら』とかそんな言葉」
司はよく通る声で歌の一節を歌う。
「あるな、それで?」
「つまりそれが愛の究極系なんだろうよって話。歯の浮くような言葉で悪いけどさ、一つになれないからお互いを求め合うみたいな感じか。遺伝子学的にも、人は互いにかけているものを補うために他者と結びつくらしいしな」
司の言わんとしていることがわかってきた。つまるところそれは──
「それはつまり、今のお前はまさに『二人で一つ』になっていると・・・。」
「そういうことだ。俺が杏子に惚れてたってのは昨日話したよな。俺は惚れた女と文字通り一つになったわけだ。だったらこれでもう行き止まりだ。生き物として、ある一面を切り取ってみれば完成しちまってんだよ俺は」
二人が一つに、それは確かに多くのペアが求め合う結論ではあるのかもしれない。そして不本意ながらそれを達成してしまった司には、既にそれ以上他者を求める理由がないということなのだろうか。
性欲云々を抜きにしても、伏見司はもう誰に恋慕を抱くこともないと。
「ま、その完成した人間がこんなにも最低だっつーんだから。人間ほどほどが一番ってことなんだろうぜ」
と、司はそんな風にこの話にオチをつける。
司が最低かどうかは別として、司の言葉には妙な説得力があった。
恋を考えたことはなくても、自分の顛末については何度も考えてきたのだろう。だから伝わる。行き止まりという言葉の重みがひしひしと。
「訊いてみたいといえば、俺も佐々部に訊きたかったことがあるな」
「ん、いいよ」
「自分の体が勝手に動くってのはどんな気分なんだ?」
「どんな気分、か。考えたこともなかったな」
他人の手は動くときは不意に動くけれど、それでも実のところまったくの無自覚のうちにというわけではない。
角に小指をぶつけてから痛みを自覚するまでの僅かな時間。コンマ一秒にもみたない数瞬で自分に起きた事とこれから起きる事を覚悟できるように。他人の手が発症すると理解する瞬間と実際の発症までにはほんの僅かなラグがあるのだ。
もっともその程度の時間ではもう片方の手で押さえることも、対策を打つこともできないから意味が無い。ただ覚悟ができるだけだ。
だから僕は他人の手が動いても驚いたりはしない。単に『あーあ』と思うだけだ。この条件でも発動するのか、と諦観するだけなのだ。
そしてそれをどう感じるのかと問われれば。
「気持ち悪い、としか言いようがない」
「そうか」
「うん。口にしてみて一層自覚した。あれは気持ち悪いんだ。自分を侵食されている感覚というか」
「侵食か。ウイルスみたいだな・・・。」
「そうだな、この場合発生源も僕自身というのが面倒なところだけれど」
自嘲するように答えて、そこでようやく僕は気付いた。司の質問が意図するところに。
「やっぱり気持ち悪いよな。自分の体が自分の意識を外れて動くっていうのは」
そう言った司の顔は、先ほど自分を卑下してたときとは比べ物にならないほど落ちていた。
そうだ、司だって僕と似たような状況なのだ。
違いがあるとすればそれはどちらを主体とするかということ。
鳥茅杏子の体を伏見司という人物が動かしている。それはつまり、鳥茅杏子の視点からすれば自身の意識外に体が動いているということではないか。
この場合ウイルスは司のことになってしまう。
「ごめん、僕──」
「いいって、気遣うなよ。俺もそうだろうなとは思ってたんだ。こんな状況、杏子は気持ち悪いと感じるだろうなって。ただ本人に訊くこともできねえからさ、似たような境遇の佐々部に聞いてみたんだ」
鏡合わせだと思った。
昨日は司のことを自分と似ていると思ったが、それは正解に近いようで遠かったのだろう。
まるで鏡に映したように、左右が逆になっている。主体と主体が違うのだ。僕は内側に他人を持ち、司は他人の内側になった。
似ているけども正反対なところに僕達は立っているのだと、そのとき自覚した。
そう自覚した上で僕は言う。
「でも、司の場合は僕と少し違うよな」
「違わねえだろ」
「いや、違うさ。だって僕の中にいるのは他人の手だ。他人なんだよ。友人でも家族でも恋人でもなく他人の手。でも鳥茅杏子と伏見司の関係はそうじゃないだろ」
見知らぬ他人が近くにいるのは気持ちが悪い。
でもそれが、
「友達なら気持ち悪いなんて思わないんじゃないか」
僕は本心でそう言った。
「大した違いじゃないだろ。自分以外に使われるってところは変わりようがないんだから」
「変わるさ、だって伏見司の体を鳥茅杏子が使っていたとき、司は気持ち悪いと思ったのか?断言してやる、お前は少しもそんな感情は抱かなかったはずだ」
「・・・。」
司は答えない。しかしその沈黙は何よりも雄弁だ。
「だったら鳥茅杏子も気持ち悪いだなんて思わないはずだ。司のことを細菌と同列にみなすなんてありえないだろ」
司は黙って僕の言葉を聞き、何か言おうとしてしかし口を閉じる。弁当の残りを雑に口に放り込んで、租借しながらお茶で流し込んだ。
飲み下して一息ついた後、口を開いた。
「まあ、実際どうかは確認のしようがねえが」
司は言いつつ顔を逸らす。
そして、
「でもまあ・・・ありがと」
と言った。
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