第3話 偽物と嘘つき
僕が鳥茅杏子と友人になったのは、高校入学後、一月程経った頃であった。
一年以上続く居心地の悪さを変わらず味わっていたその日である。
中学三年生を二回過ごした僕は、高校生になっても、一年前と同様にクラスメイトに馴染むことができなかった。
去年は仕方ない。二度目の中学三年生は、学年が変わらず、クラスメイトだけが一新され、しかも全員がこの間まで後輩として分類されていた人達である。上手く溶け込めということに無理がある。僕自身状況に馴れるのに精一杯で、一つ年下の同級生から向けられる腫れ物扱いの視線を上手くかわすこともできなかった。
からかわれるわけでもなく、敬われるわけでもなく、スクールカーストの枠組みから歪な形で抜け出した僕に、クラスメイトと親交を交わす余地などなかった。
無視されていたわけではない。はっきりとクラス内に存在していたのに、さりとてクラスメイトとして同じ扱いを受けていたというわけでもない。意識しないように意識されている。そんな、亡霊みたいな立場だった。
そんなずれを抱えたまま僕は高校生になり、そして案の定、クラスに溶け込むことはできなかった。同じ中学校から進学した者も多いので、一学年上には見知った顔もいるにはいる。けれども別々に過ごしてきた一年の隔たりは大きく、かつての友人もどことなく疎遠になってしまった。
僕が一年留年していることはご丁寧にも同じ中学出身者から説明があったようで、入学後一週間も経たない内に、僕はまた亡霊へと姿を変えていた。
これに関しては僕の努力が足りなかった部分もある。去年の段階で親交は交わせないまでも、挨拶ができる程度には近づけたはずなのだ。それを怠った僕に、現状に対する責任の一端がある。
そんな後悔と憂いを抱えたまま五月に入り、その日がやってきた。
我が高校の特色の一つに、奉仕精神の育成というものがある。別にミッション系のスクールというわけでもないのだけれど、伝統的に地域社会への貢献活動が多い。五月に行われる清掃活動もその一環だった。
──適当に二人一組を作り、翌日の清掃活動ではそのペアで各地域を回ってゴミを集めること。
担任教師の指示はそれのみで、学級委員に対し、「組み合わせが決まったら報告するように」と言って、職員室へと戻って行った。
梅雨の影響でじめついた教室内で無数の視線が交わされる。
よく知っている状況だ。誰が誰と組むつもりか、優先順位は何番目か、結果的にあぶれるのは誰か。自分の所属するグループを頭に置き、各々が計算を巡らせていた。
クラスの男女は共に奇数。男子側の余り一は僕であり、そして女子側の余り一が鳥茅杏子だった。
よって、クラスメイト達がそこそこ希望通りのペアを作り、委員長が余った枠に僕と鳥茅杏子の名前を記入することで、その日のホームルームは終了した。
そうなるだろうな、と思ってはいた。
クラスの亡霊は一人だけじゃなかったからだ。鳥茅杏子もまた、意識されないように意識される存在だった。僕は彼女の事情を知らないけれど、そんなもの、周りの空気でわかる。一年以上味わったあの空気が鳥茅杏子の周りにも漂っていることに僕は気付いていた。
中性的な顔立ちに、スラリとした体。意思の強そうな目。男子よりも女子にうけそうなその外見は、しかし腰まで届こうかという長い黒髪によってどこかバランスを崩していた。
いつも物静かに窓際の席で本を読んでいる。けれども体育の時間は同級生の誰よりも全力で駆け回っていたりする。──個人競技限定だけれども。
ちぐはぐでアンバランスな少女。第二の亡霊に対する僕の第一印象はそういったところ。
そんな鳥茅杏子と、僕は川べりを歩くことになる。
勿論、翌日の清掃活動でだ。
「ゴミを拾うのも面倒ですし、ゴミ袋には適当に焼却炉の中身でも詰めませんか?」
「却下」
清掃活動開始直後、開口一番にものぐさな提案をしてきた鳥茅杏子である。
授業の受け答えのときから思っていたが、軽くミストのかかったその声は、まるで男役をする女優のようだ。
「流石に分担された川原までは行かなきゃいけないし、出発する前からゴミの詰まったゴミ袋持ち歩いていたらおかしいだろ」
僕の言葉に鳥茅は暫し考え、「ま、それもそうですね」と一応の納得を見せた。
大人しい生徒かと思っていたが、どうやら考えを改める必要がありそうだ。
九十リットルのゴミ袋と軍手を一人一セット持たされて、僕らは校外へと放り出される。ゴミ袋が一杯になったら戻ってきてよし、とのことだった。
「この学校の行事も困ったものですよね。年間の行事予定を見たところ、月に一度はこういった奉仕活動が予定されているんですから」
改めると言えばもう一つ、川原までの道中で気付いたことだけれど、鳥茅は意外とよく喋る。
「年間の行事予定なんて、何処で確認したんだ?」
「生徒手帳に書いてありますよ。心道さんだってお持ちでしょ」
「生徒手帳、読む人いるんだ──」
生徒手帳なんて、写真の出来栄えと名前に誤字がないかどうか確認するために一度開いただけだ。
「でもそれは、言っちゃなんだけど入学以前からわかっていたことだろう。そういう校風なんだし」
「それは、そうなんですけどね」
「選ぶ高校間違えたって思ってる?」
「そうですね、選べるなら他の高校にしたかもしれません」
「入りたくて入ったわけじゃないんだ?」
「この高校に入学したがってたのは友達なんです。自分はその子の代わりみたいなもので、その子が体験できなかった分を──って、何いってるんでしょう。忘れて下さい」
「・・・・・・。」
友達と一緒に受験したものの自分だけが受かったというパターンだろうか。どちらにせよ追求するほどのことではない。
ファーストフードの包装紙が落ちていたのでゴミ袋に入れる。現在のゴミの量は袋の二割といったところ。鳥茅はどうだろうと振り向くと、
「見てください。エロ本落ちてました」
笑いながら雑誌を持ち上げていた。力が抜ける。
「鳥茅は普通に、と言うか普通以上によく喋るんだな。もっと寡黙なのかと思ってた」
「何ですか急に」
「いや、学校出る前から思ってたんだけどな。普段喋ってるところなんて見たことなかったから」
「それは心道さんも一緒でしょう」
「あぁ、うん。それはそうなんだけど」
「心道さんだって他のクラスメイトからはきっと寡黙な奴だって思われてますよ」
「・・・かもね」
「普段は喋らないんじゃなくて喋る機会がないんです。心道さんなら意味わかるでしょ。でも自分達だって言いたい事は色々あるわけで」
「そりゃそうだ」
無口な人間だって何も考えていないわけではない。大人しい人が決まって従順なわけでもない。ただ意見を発する方法と機会を持っていないというだけで、他の生徒と同様に考えもすれば反感も持つ。内側に溜まる主張の質量は流れ出さない分、他の生徒よりも多いかもしれない。
「今日みたいに、誰かと一対一になれば、何とか話せますけど、でも、」
「クラスメイトの輪に入る、いや、クラスメイトと輪を作るっていうのは僕達にはできないよな」
「そういうことです」
教室の中では僕達は亡霊だ。漂うばかりで位置が定まらない。そんな人間を輪をなすのは難しいだろう。できなくはないだろうけれど、その努力をクラスメイトに強いるのは酷だ。
「質問していいか?答えたくなかったら答えなくていいから」
「・・・はい。どうぞ」
「僕がこうなったのは、中学を一年間留年したからなんだけど、鳥茅はどうして──」
と、そこまで言って後悔した。
君はどうして亡霊になったのか。
何故彼女にそれを訊いたのかはわからない。けれど僕はきっと、孤独な亡霊でいることに限界を感じていたのだろう。もしも鳥茅が同じ類の亡霊ならば、少なくとも孤独ではなくなるのではないか。一人でクラスを俯瞰するような、そんな寂しさから脱却できるのではないか。
そんな想いが僕にこの質問をさせた。
しかしそれは僕の独りよがりだ。この質問に答えることは、傷を開く行為で、心を砕く行為なのだから。
今からでも訂正しようかと口を開きかけた僕に、しかし彼女は事も無げにさらりと答えた。
「一緒ですよ」
「え?」
「自分も今年で十七歳になるんです。つまり、他のクラスメイトよりも一つ年上で、心道さんとは同い年ということですね」
「・・・そうなんだ」
僕と同じ、とは間違っても言えないのだろうけれど。
「こう言っては何ですが、しかしながら自分は今嬉しいです」
「何が?」
「教室で耳にする噂で大体そうなんだろうなとは思っていましたが、似たような立場に置かれた心道さんが、自分と似たような状況にいるってことがです。もちろん、状況そのものは決して良いものではないですが」
「そうだな、僕もそう思うよ」
それから暫く、僕達は当初の目的であるゴミ拾いに終始した。途中、落ちていた今週号の雑誌に目を奪われたり、ふと始めた水切りに二人してはまったりもしたが、西日が山陰に隠れる前に何とかゴミ袋二つを満たすことができた。
「さて、戻ろうか」
「そうですね。結局真面目にやってしまいました」
「それでいいんだよ」
来た道を引き返そうとして足が止まる。
「どうしたんですか?」
動こうとしない僕を鳥茅は訝しむ。
今日話をして気付いた。鳥茅との会話は嫌いじゃない。それにお互い亡霊同士、気兼ねする必要もない。少なくとも僕は。
「僕は今日初めて鳥茅と話をしたけどさ」
「そうですね」
「案外悪くないと思ったんだ」
「・・・?」
「だから、つまりその・・・これからよろしくってことでどうかな?鳥茅」
右手のゴミ袋を置いて、軍手を外して手を差し出す。恥ずかしいことに、小刻みに震えていた。
一拍置いて「なるほど」と鳥茅は言う。
「でしたら、杏子と呼んで下さい。鳥茅って呼ばれるの、あまり好きじゃないんで」
「な、なら僕も佐々部でいい」
「了解です。佐々部さん」
杏子が僕の右手を取る。
「よろしく、杏子」
こうして僕らは友達になった。
これより一月後に知ったことだが、杏子は誰にでも丁寧語で話をする。最初は周りよりも年上の僕に対してだけそうしているのかと思ったが、他のクラスメイトと──珍しく──会話をしていたときも杏子は丁寧語だった。
その理由を尋ねてみると、「楽だからです」という答えが返ってきた。よくわからない。
さておき、振り返ってみると、これが二人にとって良い出会いだったと言えるかは微妙なところである。例えば何かの間違いが起きて、組み合わされた相手が普通の男子生徒だったなら、僕はその男子と友人になり、それを切っ掛けにクラスに馴染むことができたかもしれない。
彼女においてもそうだろう。組んだ相手が女子生徒だったなら、また別の友情が生まれた可能性は十分にある。
僕と杏子が友達になったことで、亡霊と亡霊が手を繋いだことで、僕達はより一層クラスメイトから近寄りがたいものになってしまったことは否定できない。
とは言え、それは今思えばという余裕のある視点からの考察である。人との交流が枯渇していることに喘いでいた僕からすれば、杏子と行った清掃活動のことはやはり僥倖だった。
一人で漂うには広すぎるクラスも、二人でなら何とかなりそうだと、嬉しく思った。
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