ゲーマーヒモ男にフラれたので、彼の弟(秀才)に乗り換えちゃおうかな!?

アサギリスタレ

ゲーマー紐男にフラれたので、彼の弟(秀才)に乗り換えちゃおうかな!?

 今日私たちはドライブデートをしている。

 ちなみに私の運転だ。


「今日は運転手ご苦労だ。俺はゲーム以外はどうも苦手でな……」


 私への労いの言葉を掛けつつ、ぼやく彼氏は、運転ができない。

 レーシングゲームは彼氏の方が腕前が圧倒的に上なのだけどね。

 ともあれ私たちは、流れでゲームショップに寄ることに。

 私と彼氏はゲームが好きだった。

 停車し、車を降りる。

 歩きながら、他に停めてある車の状況を横目に見て、彼氏は言った。


「やっぱ休日だからか、今日は盛況だな」


 彼氏は、外ではマスクを付けている。

 彼氏曰く、「俺ってば、有名人だから。変装しとかないとバレてヤバいのよ。俺の崇高なオーラってやつ? それを封じ込めるのは、ただのマスクにはちょっと荷が重いだろうがな」ということらしい。

 せっかくのデートなのに、彼氏の顔がはっきりと見れないのはとても残念だけれど、それでも顔を隠すというのがなんだか特別感あって素敵だとも思う。

 私はそんな彼を自分のものだと誇示するように、彼と腕を絡めて、身体を強く密着させていた。

 彼氏は、初心というわけではないらしく、どんなに引っ付いても反応が薄いというところが唯一の不満点だ。

 もうちょっと意識してくれたっていいのに。

 そんなことを思いながら、彼氏と連れ添って来店した。


「せっかくだから新作を買うか」


「いいねっ」


 彼氏の案で、新作のゲームソフトを買おうということになった。


「たまにはこっちのハードのものもいいな」


「そうだねっ」


 ふたりともが、普段買うゲームハードのものではないので、お互いに少し疎いけれど、ゲーマーとしてハードだけは持っていた。

 私としては特にこれといったソフトに目星は付けていなかったので、


「何にするの?」


 彼氏の意見を訊く。


「☓モンにしようぜ。Amaz○nで買うのもいいが、やっぱ対面で買う方がいいよな」


 彼氏の言う☓モンにすることに。


「うーん……」


 ふたつのバージョンで売られていたため、どちらを選ぶか悩ましい。


「どうした? そんなに悩むことか」


「決められないの。だから先に決めてほしいかな」


「仕方ないな。だが俺も、一応PVは見てたが、事前情報は大して仕入れてないからな」


「……そうなんだ」


「不安そうにするな、それでも俺には簡単なことだ」


 彼氏が自信を覗かせているので、ほっと胸を撫で下ろす。


「……あっ、疑ってごめんね」


「いいんだ。さてと、ここで俺から一つレクチャーしてやるか。重要なことを言うからしっかり覚えておくんだぞ」


「うん、ありがとっ」


「こういうのは先に名前が出ている方のが有望株であることが多いんだぜ。根拠は俺の経験。だから俺だったらこっちを買うな」


 言って、彼氏はそのパッケージを手に取った。


「ほへー」


 それなら私も、そっちが欲しくなってしまう。

 けれど、ここは我慢のしどころだ。


「じゃあ私はこっちで」


 私は、彼氏の為に譲歩して、もうひとつのバージョンの方を買うことに。


「おい、正気か? 俺の意見を聞かなくていいのかよ?」


「そういうわけじゃないんだけど……ちょっとね」


「ふーん。まあいっや」


 興味を無くしたのか、ぶっきらぼうに呟く彼氏は、スマホを弄っていた。

 最近、私の前でスマホを弄ることが増えた気がする。

 退屈させてしまっているのだろうか。

 それならば、きっと私のせいだ。

 もっと彼の気持ちを惹き付けられるように自分を磨かないといけない。

 彼氏と近頃そういう空気にならないのも、私に魅力が不足しているからなのだと思う。

 こんな私は彼氏と釣り合っているのだろうか、自分の至らなさに申し訳なく思う。

 とても不安な気持ちになった。


「どうした、暗い顔して?」


 顔に出てしまっていたのだろうか、彼氏が気遣ってくれた。


「なんでもないよ」


 笑って誤魔化した。




 パッケージを二つ持った彼氏は、あろうことか若い女性店員のレジへと向かう。


「むっ」


 私は少し嫉妬してしまう。

 彼氏と他の女の接近を妨害するためと、少しでも役に立ちたかった気持ちが相まって、


「あっ、私が出すよっ」


 とレジに乗り込み、スマホを取り出した。


「1◯◯◯◯円になります」


「P○yP○yでお願いします!」


「おっ、サンキューな」


 彼氏が立ち去る。

 女性店員は名残惜しそうにしている。

 そんな彼女を無言の圧力(眼力)で牽制しつつ、会計を済ませた。

 すると彼氏はスマホを見ていて、


「すまん。俺、ちょっと寄るところができたわ。先、帰ってくれ」


「あっ、ごめんねっ。もしかして用あったのに、会計終わるまで待ってくれてたの?」


「まあそういうことだが、別に気にすることねえよ」


「うんっ。ところで、もしかしてお仕事?」


「違うが。まあ、あまり詮索するな。一緒に暮らしているとはいえ、俺にもプライベートがあるんでな」


「わかった。ごめんねっ」


「次から気をつけてくれればいい」


「うんっ! 気をつけるねっ!」


「とはいえ、何も言わないと不安になるのもわかるし、特別に教えてやろう。まあ、そんな大したことじゃないんだが……、ちょっと商談を、な」


「商談かー、難しそう……」


「難しいぞ。特に複数人を相手取ると、その中から選ぶのはとても大変なんだ」


「へぇー。でもそれなら、いっそのこと欲張っちゃえば? お金が必要なら私も出すけど?」


「必要なのはお金じゃなくてな……まあいい。とにかくだ、俺の出せるものにも限りがあるしな。取っておかなきゃいけない分もあるし、枯渇してしまうのも避けたいんだ」


「なんか色々難しいんだね……」


「ああ、――っといけない。それじゃあな」


 彼氏は慌てて何処かへ向かった。

 一方、家に帰った私は律儀に彼氏を待つ。

 やがて帰ってきた彼氏には疲れが窺えた。

 商談とやらが、よほど大変だったのだろう。


「おかえりなさい。疲れたでしょ、もう休む?」


「出迎えご苦労。疲れたには疲れたが、まだまだ元気だ。しかし、いいガス抜きになった。やっぱり持つべきものは……」


 言いかけて、「いけね」と口を噤んだ。


「ん? 持つべきものはなに?」


「それを訊くのはプライバシーの侵害だ。まったく、二度目だぞ……」


「ご、ごめん」


「今日は機嫌がいいから許してやる。じゃあ、ゲーム始めるか」


「うん」


 そういうわけで、彼氏と私は仲良くゲームを始めることに。


「なかなか面白いねっ、これ」


「そうだな」


「何選んだの?」


「最初の三体か? 俺はどこまでも熱く燃える男だからわかるだろう?」


「なるほどねー、ちなみに私は青が好きだからこの子ね」


「なっ! お前、ずるいぞ!」


 そうやって始めは和気藹々としながらも、やがては無言になっていく。

 それぞれ、しばらく没頭していると 、


「せっかくだし対戦するか」


「いいねっ」


 私は彼氏の提案に即座に食いつく。

 そこには、最近移り気な彼氏も、私の方へと気持ちを向け直してくれるはずだという目論見があった。こうやって一緒に遊ぶ時間を増やしていければ、また私に気を向けてくれるかもしれない。

 お互いにキャラクターを鍛え上げて数週間後に対戦をすることとなった。

 私が仕事の間も、配信しながらプレイしているらしい彼氏が優位だけど、それに文句はない。

 彼氏だって配信者として努力しているからだ。誤解されがちだけれど、それは他者が仕事に捧げる熱量にも劣らないと、私は理解していた。

 彼氏はゲームで手を抜かれることを嫌う、そして自分も全力で来るタイプだ。彼氏とは、出会いはともかく今はゲームという共通の趣味で繋がっている。ゲームが発端となって彼氏に愛想を尽かされたくないので、私は睡眠時間を削ってでもキャラクターを育てていた。彼氏に嫌われるのが嫌だった私は、家事をすることも決して欠かさなかった。

 そうやって互いに切磋琢磨し、数週間がたった。

 ようやく対戦をする。

 この対戦がとっても待ち遠しかったんだ。

 対戦した結果は負け通しだったけど、別に勝てなくてもよかった。

 だって私は、強い彼氏に満足していたのだから。


「よっしゃ! 俺の全勝!!」


 彼氏も私との対戦を大いに満足してくれたようで安心した。

 持ち得る全力を出し切っても、彼氏には遠く及ばなかった。

 同じゲームをやっているのにこんなに差が付くものなのかと私は彼氏の凄さを再認識し、


「やっぱりゲームうまいよね」


 って褒め称える。


「まあな。実況者なんだから当然っちゃ当然だ。配信でも鍛えてたし時間がたっぷりあったのもないとはいえないが、まあ一番は俺の腕前がいいからだな。要領がいいからな、俺。もしも同じくらい時間あっても、他の奴じゃあ、こうはいかねえよ。そもそも時間に追われている時点で俺の敵じゃないね。そういう奴は要領も知性も俺より劣ると相場が決まっている。有限な時間を無為に消費する愚かな連中だ。しかも俺の成長の限界はここじゃない。まだまだずっと先にあるんだ。俺自身がそれを分かっている。俺はやればできる男だから、いつかゲームの大会でも優勝して名を刻むはずだ。今、俺がプロゲーマーじゃないのは、タイミングの悪さのせいだ。うっかり配信で成功してしまったゆえに、配信の方が忙しくて俺の努力の方向がそちらに向かっているために、普通のゲーマーになれる程度ならともかく、プロゲーマーになるためのトレーニングをすることができていないからだ。そんなわけだから俺はまだまだ真の実力を見せれていない。配信業が落ち着いてきたら、世界に見せてやるんだ。そして俺の名を世界が知ることになる。これが俺の壮大な計画であり、いずれ必ずたどり着く到達点だ。待ってろ世界! 俺が頂点に立つその時まで!」


 有頂天になった彼氏が捲し立てる。

 いつになく饒舌であり、よく舌が回るなあと思う。配信者活動の賜物なのだろう。

 私は誇らしげに話す、彼氏をうっとりと見詰めていたのだった。

 彼氏は自信に満ち溢れていて、すごく男らしい。現に自慢話を語らせると口から出てくる一文がめちゃくちゃ長い上に早口で難しいことを言うから、彼氏が言っていることは、頭があまり良くない自覚がある私にはよく分からないけれど、今の話を自分なりに解釈するに、彼氏はゲームの実力もかなりのものらしく、来る未来のプロゲーマーらしい。ビジョンが確立されていて立派だと思う。夢に向かうってなんだかかっこいい。

 彼氏の凄さを、私は誰よりも理解していると自負している。

 だから、そんな彼氏に惚れ惚れしつつ、私は褒め続けた。


「さっすがー」


 我ながら語彙力なくて彼氏に申し訳なくなる。

 だけど、褒めれば褒めるほど伸びる男を自称する彼氏はそんなことは大して気にしていないようだ。

 とにかく褒めてあげればそれで満足してくれる。そこだけは分かりやすくて単純だ。単純だからこそ、褒めがいがある。

 だから自然と愛着が湧いてしまうんだ。

 ぼんやりしていると、ゲームを続けていた彼氏が突然、悲鳴を上げた。


「くぁwせdrftgyふじこlp」


「え? なに?」


「にわかめ、ggrks」


 ――えぇ……。

 このような時もある。彼氏は私よりも知能指数が高いから、たまに言うことが難解なのだ。


「うんうん、そうかもねぇー」


 今回も分からなすぎたので、とりあえず適当に相槌打って誤魔化した。

 だって仕方ないじゃん。なにも返さないと、不機嫌になってしまうし。

 そんな彼氏との生活は、こんな関係がいつまでも続けばいいな、なんて思えるくらいには充実していた。

 そんなことを考えていたら、


「つーかさ、なんだよ」


 急に彼氏が不機嫌になった。


「ん?」


 何か気にさわるようなことでもしてしまったのか。

 にしては心当たりのない私が首をかしげると、


「いやなんつーかさ、お前のキャラクターよわっちいからつまんねえんだよな」


 って言われた。

 そんなこと言われても、


「ふーん」


 って感じだ。

 でも続く彼氏の発言は、


「これがお前の全力だっていうなら、ちょっとがっかりだな」


 というもので、私はしゅんとしてしまう。

 なんだか今日の彼氏はちょっといじわるだ。

 私は私の頑張りも認めてほしかったのに……、という気持ちが口から言葉を溢れさせる。


「……しょうがないじゃん。仕事が忙しかったり、家事もして、あんまり時間もなかったし……」


「言い訳かよ。止めろよな、みっともない」


「睡眠時間だって削ったのに……」


「それはお前が勝手にやったことだろう。そもそも要領が悪いんだよ、お前は。俺は嫌いだなー、そういうの」


「……」


 ここで終わってくれればよかったけれど、彼氏の言葉にはまだ続きがあるようで、


「つーか、そっちのバージョンのキャラクターよわくね? 明らかに差があるよな」


「そんなこと言われても……」


 なんでそんなに意地悪ばっかり言うの。

 そう口に出してしまいそうだった。

 すると彼氏が、


「こんなんつまんねーから、同じバージョンのリスナーの子の家に行って対戦してくることにするかねー」


「はあ!?」


 急にとんでもないことを言い出す彼氏に愕然とした。


「お前よりうめーし、バージョンも腕前も、上位互換つーか、ははっ」


 今度は悪寒がした。私は彼氏を見る。

 あくまで見るだ。

 睨みを効かせそうになるのをなんとかコントロールできてたらいいな、と思う。

 できてなかったらそれまでだ。

 それほどに私の心は穏やかじゃない。

 そして私はなんとか声を絞り出す。詰問ではなく、なるべく平穏なトーンを心掛けて、


「……リスナーって? 女なの?」


 気にしすぎている、とは自分でも思う。

 まだ彼氏の口から女とは一言も出ていない。子とは言ったが彼氏より若い中高生の可能性もある。

 だから、もしかすると同性かもしれない。

 男の配信者だからってリスナーの全部が全部異性じゃない。逆もまたしかりだ。

 私は彼氏をまだ信じていた。ギリギリのところで疑いに傾いてはいない。……そのはずだ。

 けれど思ったよりも、探るような感じで私は問い掛けていた。女の感の鋭さをいやというほど知っていたからだ。はっきり言って、ミクロンくらい疑っている。


「……」


 彼氏はなかなか答えてくれない。

 焦らされると、どんどん負の感情が湧いてきてしまう。


「どうなの? 答えてくれない」


 再度促す。さっきよりもキツい声が出てしまう。

 すると彼氏は、


「参ったなー。だが、もう潮時かもな。そろそろ絞ろうと思っていたし、しょうがないか」


 と言ってしまった。

 もう認めたも同然だ。後半は意味が理解できなかった。

 そして、冷ややかになったであろう私の視線も気にせず、彼氏は頭をぽりぽりと搔いてから、にやりと笑みを浮かべて、


「そー、だよ。ま、いい女だな。色んな意味で」


 堂々と暴露した。

 なぜかニマニマしている彼氏はいったいどんな心境なんだろうか。

 開き直り?

 もしかしなくとも、私とはここで終わりにして乗り換えるつもりなの?

 私のことなんてもうどうでもいいから、そんな態度がとれるってこと?

 なんだそれ……。


「意味がわからない」


 私はそう声に漏らしていた。

 私の声が結構本気のトーンだったのにも関わらず、彼氏は涼しい顔をしている。

 今の彼氏には、責められているっていう自覚はないのだろう。


「わからなくて結構。ハズレのバージョンを買うお前が悪いんだ。なんで同じバージョンにしなかったんだよ。カップルなのによお」


 つまり私が悪いというのだろうか。

 これって、論点のすり替えってやつではないか?

 自分が女にうつつを抜かしていたことを棚にあげて人のせいにするとか、たまらない。

 カップルのところが薄っぺらく聞こえたのは気のせいではないだろう。


「ハズレとかそんなこと言ったらゲーム会社に失礼じゃないの! というか、カップルだからこそ、同じバージョンにしなかったんじゃない」


 私は詰め寄って捲し立てるように言う。少しずつ興奮してきた。


「はあ? それどういう意味?」


 と彼氏は、まるでおかしなものでも見たかのような顔をする。


「なんでわからないの?」


 ここまで言っても分からないとは思わなかった。


「チッ。察してちゃんかよ」


 彼氏はうんざりした顔になり、


「ああもう、面倒くせーな!」


 髪の毛をかきむしった。

 がりがりがりという音がやたら耳に障る上に、私が整えてあげた髪の毛が、ぐしゃぐしゃになって嫌な気持ちになった。

 そんなことはお構いなしに彼氏が、


「屁理屈はいいからもっと俺を楽しませろよ。弱い奴相手にしても楽しくねーえんだわ。ゲームも夜もな」


 吐き捨てるように言った。

 彼氏の身勝手な言い分に、カッとなった。


「私はあなたの為に違うバージョンを買ったのに!」


 ほとんど絶叫していた。

 このゲームはバージョンごとに異なるキャラクター、異なるシナリオが楽しめるものだ。キャラクターを交換できるとかそういうわけではないが、彼氏に細部が違うゲームでのプレイを見せてやり、あれこれ語り合うのが目的だった。

 そんな考えも今、瓦解した。


「というか夜もって何なの!?」


 なんでここで夜が出てくる!

 すると彼氏が、


「経験豊富な俺にとって、お前は所詮いっときのオナホだったってことだね。ホンモノは違うわ」


 そんなことを言われたら、もう無理だ。


「別れよう!」


 ぴしゃりと言い放ち、それ以降会話を拒否することにした。

 彼氏が「いいぜ、彼女はベッドでもお前より遥かに強いんだ」なんて言ってるけど、幻聴だと思いたい。

 彼の言った真実は、私の心をすりおろす。

 まさか、私が仕事に出掛けている間にリスナーの女と……。

 彼氏の言葉が残響のように脳内にリフレインする。


「ああもう!」


 私は頭を掻き乱した。


「というかその女とはいつからなの!」


 狼狽えている私にシカトを決め込んで彼氏は、


「家はやる」


 とだけ言い残して荷物を纏めて家を出ていった。

 そんな時にまで私は、彼氏の生活の心配をしてしまっていた。

 がすぐに、「ああ、それは彼氏と同じバージョンを買った女のリスナーとやらがなんとかするのか」と呟きながら思い直した。

 女のリスナーが次の彼女へと置き換わってしまった。

 それを理解すると、心がどうしようもなく曇って、


「なによう……」


 一人では余るベッドに突っ伏する。

 彼氏は、我が物顔をして、あんなことを言っていたけれど、ここは元々が私の家だ。彼氏に乞われれば権利だってやるつもりだったのに、そんな気持ちももう失せた。

 私は枕を濡らしていた。

 彼氏は、ゲームがうまくて、それで配信者として成功して、人気があって、すごいのに、私はフラれた。

 思えば、生活に必要なお金は全て私が工面していた。

 彼が自分の将来のためにお金を使いたいと言うから、それに賛同した私がギリギリまで働いて、切り詰めて、捻出したお金だ。

 私は彼氏のためならば、たとえ己が朽ちようとも尽くす覚悟だった。

 それなのに。

 私はフラれてしまった。

 私と彼氏の関係なんてもしかしてちょっと拗れればすぐに破綻するレベルだったのだろうか……、そう思うとやるせない。

 本音では、私は彼氏に捨てられたくなかった。

 だから、本当なら縋りついてでも引き留めるべきだった。それなのに、一時の感情に流されて、別れを切り出してしまった。それもこれも、私の堪え性が足りなかったからだ。

 彼氏の浮気も一時の気の迷いだったはずだ。

 説得すれば、また私を見てくれたかもしれないのに……。

 分かっている。彼氏とはもう完全に終わってしまったことくらい。

 あのときああすればなんて、いくら考えたって仕方のないことなのだ。

 そうして、行き着いた結論は、――全部、私のせいだ。

 そこから先は誰にともない言い訳。

 だってそんなの……、


「どうしようもないじゃない……」


 その晩、私は泣き続けた。




 夢を見る。

 夢の中には、なぜか私が二人いた。

 なお、夢を見ている私は神視点でその二人の私を俯瞰している状態だ。

 いつもの私が、「私はフラれたことを引き摺り続けるほど、惨めな女じゃない」と落ち込んだ表情をした私に言い聞かせていた。

 端から見ると、まるで自分で自分に暗示をかけているようでなんだか滑稽だ。

 落ち込んだ表情をした私が言った。


「いや、引き摺り続ける気なんてそもそもないからね。私も私なのに私が切り替えできないとでも思ってるの?」


「ううん。起きたらどうでもよくなってると思うよ」


 私同士なので言うまでもないが完璧に通じあっている。

 頷き合い、どちらからともなく、物理的に引き寄せ合う。

 二人の私が同化して、いい表情の私になっていた。

 そうして、私は熟睡し、夢のことなどさっぱり忘れてしまう。




 気付けば寝ていたようで、翌日になっていた。

 そして昨日とは心境もがらりと変わっていた。彼氏にフラれたことなど、もはやどうでもいいやってなっていて、あんなに泣いたのが嘘のように晴れやかな気分だ。

 鏡を見ても、陰鬱さは何処かへいってしまったような、いい表情をしている。彼氏にフラれた翌日とは思えない。泣き腫らしたおかげですっきりしたのだろうか。

 しかし、惨めではないが、もう寂しい気分になった。

 一人になったのなんて何年ぶりだろう……。

 彼氏がいなくなったことが馴染むまでにはまだ時間がかかりそうだ。

 ぼんやりと鏡を見ていたら、「瓜二つ」って単語が唐突に頭に浮かんだ。


「そうだ」


 はっと思い当たって、彼氏の、……じゃなくて元彼の双子の弟に電話を掛けた。

 電話番号を知っているのは、元彼の弟ということでそこそこ連絡を取り合っていたためだ。

 私は一応義姉ということだけど、だからって擬似的であろうと姉の役割を私に果たすことはできない。

 むしろ、彼の方に、元彼と喧嘩したときとかによく頼らせてもらった。


「もしもし、あなたのアニキにフラれたの」


 まずは向こうに何も言わせないために、一息で言いきると、電話口の向こうから、息を飲む音が聞こえた。

 きっと彼は深刻な表情をして身構えている。

 彼が重く受け止めることは無理はない。

 いつもならば痴話喧嘩で済んだのが、いきなり振った振られただ。

 しかし、本題はそこではなかった。

 私の声のトーンも結構本気っぽくなってたのもあり、少し反省する。

 これからする話に元彼はもう関係ない。

 こう切り出したのも、あくまで彼にこの事実を認識させるためだ。

 そう、私がフラれたという事実を。

 だから、


「あー、そういうんじゃないよ」


 私はフォローをする。

 手もパタパタしたが、手振りは伝わらないだろう。


「違うんですか?」


「うん、別にあの人にフラれたことに対しての恨み辛みとか吐くわけじゃないから」


 努めて軽々に言いながら苦笑する。

 わざとらしい気もするが、本当に私はそういうことのために電話を掛けたんじゃない。


「いえ、兄との仲を取り持ってほしいとかでは?」


「それも違うなあ」


 むしろ、あなたに用があるんだよ。という言葉はまだ飲み込んだ。

 がっつきすぎると、引かれてしまう。


「はあ」


 彼があまりにも不審に思っていそうな声を漏らすものだから、受話器を取り落としそうになった。

 いけない、笑ったら余計に不審に思われる。


「兄のことはもうなんとも?」


 彼の問い掛け。

 そんなの余裕で答えられる。


「もう吹っ切れました」


 まさしくあっけらかんな状態だ。

 あれだけ熱をあげてたはずなのに、我ながらドライなものだけど、即座に切り替えることができたのは好都合だ。

 それは彼に電話を掛けていることに繋がる。

 理由は彼も気になっているらしく、すぐに訊いてきた。


「じゃあ、いったいどうして僕に電話を掛けてきたんです?」


 怪訝そうな彼の声は固い。

 及び腰なようでいて、ほんのり期待を孕んでいるように思えたのは私の幻想だろうか。


「それはね……」


 少しでも彼の心を私に引き寄せられるように、声のトーンを高く、思わせ振りに溜めてみる。

 どんなに頑なであろうと、これで少しは柔らかくなるはずだ。

 その間に攻め口を考えた。

 彼の息遣いが聞こえる。

 私は気を引き締めて、切り出した。


「私、今、フリーなんだけど……どうかな?」


 彼は、元彼と、一卵性双生児でとてもよく似ている。







 ――私、今、フリーなんだけど……どうかな?


 私が思い切って言ってしまうと、長い沈黙があった。

 やがて、彼の重圧感のある溜め息が、電話口の向こうからした。

 彼は、しばらく間を置いてから言葉を発した。


真与まよさん、正気ですか?」


 いつも落ち着いている彼には珍しく声に怒気が含まれていた。

 私は怯んだ。

 年上であるというアドバンテージを生かして、最後まで余裕たっぷりとはいかなかった。

 あくまでこんなものは付け焼き刃の芝居にすぎなかったからだ。

 余裕なんて鼻っからない。

 これ以上はいけない。引くべきだ。と本当は分かっている。

 それでも、引けなかった。


「……もう私にはもうりっくんしかいないの」


 信じていた彼に裏切られた私には。

 すると、


「僕は勝利かつとし兄さんの代替品じゃない!」


 いつも温厚なはずのりっくんが激昂した。

 こんなのは始めてのことだ。


「う、うぅ……。そんなん言わんでよ……」


 私は泣き出してしまう。


「す、すいません……。けれど真与さん、あなたは本当はそんな人じゃないでしょ? 兄さんの事をちゃんと好きだから献身的に尽くしてきたはずなんです」


「ウチ、きしょいよね……分かっとる分かっとんねんで……」


「ちょっと……、落ち着いてくださいよ。僕、今すぐ出ますので、外で会って話しましょう」


「外って、大学はええん……? りっくん、慶応生やん」


「そんな状態の義姉さんを放って、おちおち大学なんか行けるわけないでしょう!」


「…………ありがとう……」


「外、出れますか?」


「無理、動けへん」


「なら、すぐにそちらに行きますので、僕が着くまでの間に、ちゃんと身だしなみを整えてください」


「わかった……」


 とりあえず顔を洗った。じゃばじゃばじゃばじゃばと何度も顔に水を掛けると、だんだんと自分の愚かさ加減が認識できてきた。


「うちって、ほんとバカ」


 りっくん――理玖りく君に言われて目が覚めた。

 切り替えられるわけがない。

 私は元彼――勝利のことが今も好きなのだ。

 元彼を思う心は「いっときのオナホ」と断言された今も変わらない。

 鏡をぼんやりと見ながら、勝利との出会いを思い返す――。




 私は高校の勉強に付いていけず、なんとなくサボっているうちに単位を落としてしまって留年。高校一年をもう一回やるなんて冗談じゃない、と自主退学を選択し、働きにはいかず、家で母親の家事を手伝っていることになっている。

 実際は、引きこもってゲームばかりしていた。あろうことか花の十代の時に、そんな状態だった。

 だから母親も、


「真与、このままではあかんよ。まだ若いんやし、やり直しはなんぼでもきくよ」


 そう言ってくれていたのに、


「しゃあないやん。高校の勉強に着いていけへなんだやし」


 私は言い訳ばっかりしていた。


「最低限、高校の資格は絶対に取った方がええ」


「……パパまで。ウチはいい男捕まえるから大丈夫よ」


「またそないなことを……。ゲームばかりしてんと少しは現実を見ぃ」


「……ゲームやって…………」


 言葉が続かなかった。

 ゲームはゲームで現実は現実なんだ。

 それは馬鹿な私でもわかっていた。


「お父さんはあんたのために言うとるのよ」


「……」


 両親にあれこれ言われるのが嫌になった私は、家からも逃げ出してしまった。

 地元大阪を出て、東京に。

 東京でならば、心機一転頑張れるはずだと思って。

 求人の数も多いし、私のような低学歴の受け皿になってくれるところだってあるはずだ、と。

 しかし、現実は甘くなかった。

 情けないことに就職活動の方法もわからず、両親に泣きついて相談しつつ、どうにか郊外に住まうことができた。

 その後、一人、ハローワークに行くも、中卒の私を雇ってくれるところなんてなかなか見付からず、相談員にもそれとなく高校資格を取るように促されてしまう。

 私は、ハローワークにも苦手意識を持ってしまって行くのを止めてしまった。

 そして両親からの仕送りでニートな生活をする日々が、始まってしまう。

 そんな私を拾ってくれたのが、コンビニバイトだ。

 面接で、店長は、学歴とか何処からきたかとかそんなことはいい、人手が足りないから採用。と雑だったけれど、今まで勤め先探しに苦労してきたから働けてラッキーという気分だった。

 そんな希望も間もなく打ち砕かれた。

 私が中卒なのはなぜか店で共有されており、皆で連携してイビってきた。



「休憩時間だぁ!? 休んでいる暇があったらレジ打ちしろ! 雇ってやった恩を忘れたのか!」


「……すんません」


 休憩時間も働かされ。



「来月のシフトな。異論は認めん」


「さすがにこの日数はきついです……」


「聞こえなかったのか!? 人手が足りないんだよ! 分かれよ!」


 シフトを勝手に増やされ。



「おい、浪速の中卒! レジの金が足りてないじゃないか!?」


「えっ、ホンマですか!?」


「お前の計算ミスに違いない。中卒だからろくに計算もできないのか。お前の給料から天引きな!」


「……堪忍したってや」


 給料を勝手にレジの不足金の補填に回され。



「いますぐ来い」


「今日はお休みのはずなんですけど……」


「知るか! 中卒なのに雇ってやったんだ。逆らえると思うなよ」


 脅し混じりの突然の呼び出しを何度も何度も……。



 私はすっかり参ってしまった。

 けれど社会経験のなかった私は、これが普通なんだと思い込んでいた。

 有給制度も知らなかった馬鹿な私は、教えてももらえず、最後は生理がキツイから休ませてくださいとかまで言ってたっけ……。(遠い目)

 そんなとき、ふらっと勝利が現れた。

 就職浪人でコンビニバイトに流れ着いたらしい彼は、とても強かった。

 店員たちにイビられている私を、


「虐めかよ。カスが。そんなことして楽しいか? 惨めだな」


 店員を強い言葉で牽制し、救いだしてくれた。

 店員皆に大阪弁を嘲笑されているときも、彼だけは、


「大阪弁、可愛いじゃんかよ。お前ら見る目ねーわ。ド阿呆」


 と言ってくれた。

 そして、コンビニのブラックな実態を知るやいなや、店長に食って掛かった。


「俺は青学卒だぞ! こんなひでぇ職場にいられるかってんだ! お前もいくぞ!」


 って私を連れ出してくれた。

 置き土産に、YouTubeに「ブラックコンビニ晒したったwww」という題で晒しあげ、数百万再生。それはマスメディアにも取り上げられ、大炎上。


「スカッとしたぜ! 俺YouTube向いてるのかもな。ゲームとか好きだし、実況でも始めるか!」


 その事は彼がゲーム実況を始めるきっかけにもなった。

 そうこうしているうちに、私はいつの間にか惚れてしまっていたのだ。

 そうして、


「勝利くん、ウチら付き合おか」


「これからYouTuberになるんだ。身バレするとまずい。あまり名前を呼ぶな」


「ふふっ、プロ意識高いんだね。尊敬してるねっ。で返事は?」


「真与たそは、可愛いからオーケーだ。俺も期待してるぞ、よろしくな」


 付き合って――。

 それが何故、こうなった……。

 私は所詮彼のいっときのオナホに過ぎなかったのか……。

 今でも好きだ。

 それはそれとして、彼の言葉の数々がトラウマだ。

 ――どうしても心が揺らぐ。

 りっくんは慶應生にして実業家で、まだ彼が高校生だったあの頃の受験勉強中にも私に勉強と標準語を親切に教えてくれて、私はりっくんのサポート業務で働かせてもらって、彼のおかげで高卒資格を手に入れて……。

 そういえば、元彼について親身に相談に乗ってくれているうちに、結婚の話になって『……結婚ですか。悪いことは言いません。兄さんだけは止めたほうがいいです。真与さんは、何事にも一生懸命取り組んでいるので、とても立派だと思います。きっといい男性に巡り会えますよ。だから、早いうちに別れてください』って忠告してもらったこともあったっけ。あのときは私も意固地になっていたから聞き入れなかったけど、今こういう状況になってみてりっくんの言うことを聞いておけばよかったのかなって想い始めていたりするんだけど、それなら――、


「あそこまで親身にしてもらって気にならないわけがないじゃない……」


 ピンポーンとチャイムが鳴る。開けて、対面した相手に向けて、


「私、今、フリーなんだけど……どうかな?」


 とびっきりの笑顔で出迎えた。

 ――まではよかった。


「よう」


 扉の先にいたのは、元彼だった。


「え、勝利くん……」


 蓋をしていた記憶が呼び起こされ、私は吐き気を催しそうになった。

 しかも元彼ときたら、何事もなかったかのような顔で堂々と現れるものだから、昨日のことは夢だったんじゃないかと錯覚する。

 もしかして、


「昨日のこと覚えてないの?」


 すると、元彼は表情を翳らせながら、


「昨日はあんな別れ方したんだが、リセットボタン押させてくれ」


 両手を合わせてお願いされる。


「ぇ……?」


 まだ理解が追い付いていない私。

 対して、元彼は、今度は照れ臭そうに、頭をかきながら、


「ぶっちゃけ、俺ってば、真与たそのことちゃんと好きだったんだわ。でもりこぴんの事もキープしておきたい。……ったく、モテる男はつれえよ」


 そう、ぼやいた。


「えーっと、キープってどういう意味だっけ……?」


「言葉の通りだな。まあ、一番はお前にしてやるから、それで手打ちにしようや」


「え、いいの?」


 彼氏は昨日散々なことを言ってくれたけれど、許そうという気になってきた。

 だって、女のリスナーことりこぴんとやらよりも私の方が上だと、彼――ううん、勝利くんが訂正してくれたから。

 優越感で満たされる私。


「嬉しい。そういうことなら――」


 二つ返事で了承しようとしたそのとき、


「ちょっと待ってください! 真与さん、そんな人の話を聞いては駄目です!」


 りっくんが現れて――彼は、慌てて駆け付けて来てくれたのか、荒い息を吐き、膝に手を付いていた――、私はいよいよ人生の分岐点に立たされた。


「兄に向かって、そんな人とは……、少し見ないうちに随分と言うようになったじゃないか。ええ?」


 勝利がりっくんにメンチを切る。

 すると、りっくんは爽やかな表情で勝利を牽制した。


「少しうるさいですよ。ここでは近所に迷惑ですし、とりあえず、中で今後の話をしましょう。いいですね、真与さん?」


「……はい」


 さらっと勝利を押し退けたりっくんに、そっと背中を押され、エスコートされる。

 させじと勝利が、


「おいおい、俺の真与たそに気安く触るな」


 りっくんの手をはね除け、私を自分のものにしようとする。

 すると、


「兄さん、あなたに真与さんをどうこうする権利はないんですよ」


 りっくんが勝利の手を掴み取った。

 見やると、ぎちぎちと力を込めているのがわかる。


「俺の名前は勝利だ。だから、全てに於いて勝つのは俺だ」


 勝利は自信満々な様子で宣言した。


「学力に於いて、僕は兄さんに負けたつもりはありませんが?」


 対して、りっくんは勤勉さを示した。

 勝利が徹底抗戦の構えで応じる。


「言ってろ。すぐに分からせてやる」


 一触即発の兄弟。

 これはもしや、少女漫画で読んだやつでは……。

 私は一歩踏み出して、


「――私のために争わないで!」


 ――キマった。

 すると、二人がこちらを見た。

 呆気に取られているように見えるけれど、気のせいだろう。

 こうして見ると、性格は随分異なる気がするけれど、顔は兄弟というだけあってそっくりだった。

 お揃いのようでちょっと違う二人。

 私は、どちらを選べばいいの。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ゲーマーヒモ男にフラれたので、彼の弟(秀才)に乗り換えちゃおうかな!? アサギリスタレ @asagirisutare

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ