260;月と影.11(ジュライ)
今確かに、ナツキはワタシと言いました。
一転攻勢に移り僕を追い詰めながらもその顔には狼狽を満たし、目をぐるぐると泳がせています。
「あっ、アッ、あッ、アっ、――――」
ぐるぐると泳がせながらも、忙しなく繰り出される斬閃のそのどれもが一撃必殺の意気を帯びています。
ガギッ――――一合。
ギィンッ、ガッギィ――――三合。
ギャリッ、ッキィン、キン、ギャキィンッ、ギンガッ、ギィンッ、ガギャッ――十合。
刃を交えれば交える程、鋭く研ぎ澄まされた殺意はより明確に。
憤怒はより鮮明に。
剣戟はより迅速に深まって行きます。
これはダメだ、このままじゃ――――でも僕は見つけました。
このままではダメなのは、僕の方だけでは無いのです。
どういうわけかレイヴンさんの残滓に乗っ取られ荒れ狂う嵐のように軍刀を振り頻るナツキの身体は、半ば意に反して繰り出され加速する技の数々に徐々に傷付いていっているのです。
急激に捻られた関節の皮膚は罅割れて血を滲ませ。
怒涛の剣戟を生む踏み込みは骨が撓む軋みを響かせ。
決死の形相とも取れる顔貌は憎悪に歪んで血涙を垂らし。
狂気の歪みに、明らかに耐えられていない。
「――ナツキっ!」
「煩イっ! 貴様も、キさマモワタシを馬鹿ニしてイるッっっ!!」
「そん、そんなことっ、はっ!!」
影に潜り暗殺者然として対峙して来た彼とは真反対の――怒れる情動に支配され飲み込まれ触れた気で振り絞る力と技の数々。
その、目の奥に――――いつか見た、闇を覚えました。
それは、僕がまだナツキと共に在った頃。
最愛の妹の最期の願いと共に吐き出された――
ああ、そうか。
そうだったんだね。
今なら、今なら漸く気付けます。
その闇の真ん中で、必死に手を伸ばす、助けを求める弱々しい意思。
どうにもならなくて、それでもまだ生きていたい、自分のままで在りたいと願う、藁にも縋りたい――――
「《
「「「っっっ!?!?」」」
辛うじて“
視界の明度が増し、殺意が、最大の不幸へと陥れる意思がより強く鮮明に感じられます。
その意思を宿すナツキは取り巻く
「……いいでしょう、終わりにしましょう」
そして僕はミカさんから借り受けた軍刀を、腰に差した鞘へと納めました。
鯉口を掠れる金属の細やかな揺らぎ。その微振動は“キャチッ”と言う唾鳴りで締め括られ、左手で鞘を握る僕は右手を柄に添えました。
「居合っ!?」
誰かが何処かで叫びました。脳の
何故なら、牛飼流軍刀術に居合なんて無いのですから――――あ、いや。これは正確さを欠いていますね。
正しくは、居合はもう無いのですから――と、言うべきでしょう。
構えを見せた僕に対し、悲痛さを面持ちに添えたナツキはぐらりと揺れました。
今の彼をレイヴンさんが支配しているのだとすれば、もしかするとそれはナツキの細やかな抵抗なのかも知れません。
だから僕は告げます。宣います。
「――勝者が“王”となる。僕に従い、生きてもらいます」
「……がぁぁァぁァアあアアあアアああア!!」
対照的に切先を相手へと向ける《月華》の構えを見せたナツキは、威力で見れば“
対する僕は――まだ、成していません。
ナツキへと最後の一撃を見舞うには準備が、時間がまだ足りていないのです。
ですから僕は、運足のみで迫り来る尖鋭を躱さなければいけませんでした。
踏み込んだ足が地面から吸い上げた力を、腰の捻りと背の曲線で加速されながら込められた力は、何一つ失わず、何一つ違わずに真っ直ぐ突き出された切先に宿り切っています。
ですがレイヴンさんの憎悪は余りにも直線的過ぎました。
真っ向から、こうも真っ直ぐに突っ込んで来るのですから、僕は機を見極めて身体を横にズラし捻る転回を見せるだけです。
《
《
《
うわ、ここでそれですか! ――上手いですね、流石です。でも僕だって、この局面ならそれを選びます。
しかも三発同時です。連続じゃなく同時なのは、起点が異なるのでしょう――左右に躱しても後ろに退いても確実に斬り付けられるように。
ですが魔術とは言っても、不可視だと言っても実体はある刃です。
そう――この魔術は、魔術でありながら攻撃の判定は物理として扱われるのです。
なのでつまり、このスキルで躱し切れるのです!
《残像回避》
誰もが息を呑む音が響き渡ります。はっと注視し、緊張に静まり返る静寂と言う轟音です。
足元から立ち昇る斬撃は僕の身体を通過し、何者をも斬れなかった無念に霧散しました。
軸足を大きく、そして旋回させながら引いた僕の身体はそのために深く沈み、輪郭のぼやいだままの左手は変わらず鞘に添え、右手はだらりと前に垂れました。
速度を誇るなら、キレを以て――かつてナツキとして教わったこと。
キレとは急加速と急停止、その精度です。
力を込めたままでは、力を込めないままと同じで速く振るえないのです。
瞬間を極めるには極限の弛緩と究極の緊張がセットで必要なのです。
ですから、この右腕はこれでいいのです。
だらりと垂れ、まるで自由落下の最中かのように――――そして腕だけでなく、身体すらも脱力に任せて沈ませます。
膝を抜き、腰を抜き、前傾姿勢のまま重力に従って落ちていくのです。
そこにひとつ、軸足の踵で地面を推したなら。
前方へと倒れ込む身体は、加速する中で推進を得るのです。
その慣性により、垂れていた右腕は帰路へと着くように軍刀の柄へと辿り着きます。
既に蹴り足は倒れる事を拒んで大股な一歩を踏み締めました。
「――――っ――――ッ――――!」
速度と分解能の差異により、僕にはもうナツキが何を吠え、レイヴンさんが何を叫んでいるのかを聴き取れません。
ですが彼の頭上に次々と
その刃達は《残像回避》の恩恵に未だある僕の身体を通過して行きます。
魔術が起こる際の銀色線を束ねたような光の流れが次々と過ぎ去って、まるで流星群の真中にいる錯覚はとても心地良くて。
ならばそこに、逆向きの一つがあったとて。
ナノカは言いました。
このスキルは、自分が幸せであればある程に他者を不幸へと陥らせ、
もしくは自分が不幸であればある程に誰かの幸いを呼び寄せるのだと。
それを使うことは、ですから僕にとってとてもとても怖いことでした。
明らかになることで、これまでの僕がどうだったのか、今の僕がどうなのかを
「――――《星降り》」
それでも、僕は使いました。
僕が纏う、宇宙の奥行きと拡がりを見せる煌めく闇から飛び出したその一条の光は――――翻る中で二つに裂け、僕と僕とに迸って行きます。
「っっッ!?!?」
僕の一撃を警戒していたのでしょう――その頭上に
そうですよね、ええ、そうなんです。解ります。
僕が出来るのですから、君だって使いますよね――あらゆる物理攻撃を透過して無効化する《残像回避》を。
彼に突き刺さった光はそれをうっかりキャンセルしてしまうなんて言う不幸を呼び寄せました。
発動前に消えたとは言え、
効果時間満了の際には及ばなくても、再使用までの
そう――――
そして、僕に飛び込んで来る光は。
僕では無く僕が握る軍刀へと突き刺さり、その光で刀身の全てを包み込みました。
既に軍刀は鞘から放たれていました。
光を宿し、熱を加速する刃は振り抜いたその直後に、
「「「な――――っ!?」」」
《影潜り》
「「「「「「!!!」」」」」」
あとほんの一瞬、あとほんの一瞬速ければ、光を宿す軍刀は光を宿す軍刀のままで残影ごと断ち切っていたことでしょう。
それでもこれが、現時点での僕の最高速度です。これ以上は無く、――――そして、必要ありません。
滑り去った影から移動を終え地上へと迫り上がった
それもその筈――――僕が振り抜いた軍刀は、その刀身を延長させて彼を強襲しているのですから。
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