258;月と影.09(ジュライ)

「「「なら止めてみろよ」」」


 同じ高さ、同じ抑揚。ですがほんの僅かなブレを宿し重なった三つの声。

 起点となる座標はそれぞれ違い、その差異が齎したズレなのでしょう。

 つまり敵は、この戦場に三人いると言うこと。勿論三人だなどと断定するつもりはありません。つい先程も、完全に捉えたと思ったら分身体だったのですから。


 ですがナツキの今の魔力MPを考えれば――――三人、でしょう。

 僕達がまだ一つだった頃にレイヴンさんから聞いたことがあります。《シャドウ》の影を操るスキルは所謂いわゆる魔術スキルで、魔力MPを消費する必要があるとのことです。

 この世界の魔術というのは行使の際に規定以上の好きな量だけ魔力MPを込めることが出来て、込めれば込めるほど行使した魔術の効果や威力が増徴するシステムを採用しているのです。

 開戦前からふんだんに使われている《影分身かげわけみ》は規定量が割と多く、それでも規定量そのままならば使用者の強さの一割程度の分身体しか創れないのです。

 本人と錯覚する程の強さを持った分身体を、あろうことか何体も創るならば――――僕はナツキとほぼ変わらない性能を持っています。何もかもが同じわけではありませんが、僕を基準に考えるなら、ナツキは創れてあと二体が限界の筈。

 特に、《影潜り》をも併用するのならば。

 彼の魔力MPは枯渇寸前の筈です!


 だから攻めるなら今、まさに今ですが――――観客ギャラリーに身を隠しながらそれを斬りつけて動揺を誘うとは、なかなかに策士です。

 おかげさまでしっかりと動揺しちゃってますよ。特に、真摯に僕を見つめるあの視線の持ち主にその刃が及ぶんじゃ無いか、傷付けてしまうんじゃ無いかって気が気じゃ無いです。


 でもそうなのは俯瞰する僕で。

 空間の中心に居座った僕は、身動みじろぎ一つ許しません。

 このまま時間が過ぎれば自滅するのはナツキも分かっている――何せ《影分身かげわけみ》で創った分身体には、――これも魔力MPを過剰に注ぐことで伸ばせますが――という項目が設けられているからです。

 つまり、僕を攻めないままでいればそのうちナツキは独りになり、それを彼は望まない筈です。

 一対一よりも三対一の方が勝機があるに決まっているのです。だから動かず、ただ耐え、集中して待ち受けるのです。


 軍刀は切先を地面へと向けて垂らし、膝や腰はすぐに脱力抜けるように意識だけで支え。

 筋肉では無く体幹だけで立っているイメージを。

 やがて衣服越しに肌を打つ雨粒の一つ一つが鮮明に感じられた頃――――あちこちで上がっていた悲鳴が一切聞こえなくなった頃。


 三方から、ナツキは飛び出して来ました。


《戦型:黒翼》

 《初太刀・牙烏カラス


 三者三様に両腕を広げて、握る〈七七式軍刀〉はその全容を背に隠されて見えません。

 低い跳躍は鋭く、疾駆と何ら変わり無く。

 そして軸足が先に着地し、ぐいと踏み込んで大股の蹴り足は地面に食い込み、それと同時に放たれたのは――――


 真正面、

 右後方、

 左後方、


 何一つとして変わりの無い同じ太刀筋が、三つの方向から繰り出されました。

 はっと目を見開いてももう遅く、全てを避けるには角度と速度に欠いています。


 だから僕は、突き出しました。

 ただ自然に刀を、振り上げました。

 本来の“神緯かんぬき”の要領で真後ろに身体を引きながら真正面から一閃を見舞うナツキの刃を腕ごと飛ばしながら、その顔面の中心、眉間に切先を突き入れました。

 すでに位置はズレましたから、右後方から斬りつけるナツキの物打ちが太腿に食い込みましたが、それと同時に引き抜きながら放つ“神薙かんなぎ”は根本から喉を引き裂いて頭と身体とに区別を持たせ。

 一拍遅れて届いた刃が肉に食い込む前に、振り払った軍刀の柄尻をやはりその顔面に叩きつけます。

 たたらを踏んで後退したナツキは、斬った二つとは違って泥に溶けませんでした。


 ここです。決めるならここしか無い。

 急ぐつもりも焦るつもりもありません。ただ機がありそれが絶好であり、逃してはならないと脳内で警鐘が鳴り響くのです。


 だから僕は軍刀を構えました。

 構えた側から倒れ込むような大きな一歩を踏み出しました。

 踏み出しから最高速度に達する牛飼流の歩法で以て追い、情けなくも顔面を抑えて呻いている彼に、ナツキに。

 とどめとばかりに“神刺”を、繰り出したのです。


 ええ。

 ええ。

 誰もが目を見開いたでしょう。僕だってそうでしたから。

 腹の底から滲んだ笑いが込み上げて来るのです。

 そこまでして、そこまでして、と。


「――《原型深化レネゲイドフューズ羅刹メァシカーズ》!!」


 途端にナツキの足元から黒い呪詛めいた気流の帯が幾つも立ち昇り、瞬時にそれは全身の表皮に吸い込まれて肌を黒く染めて行きました。

 額からは鋭い二本の角が生え、双眸も爛々と紅く輝いています。


 その変化を視認する僕は、しかし変わらずに渾身の突きを放っていました。

 直線的な軌道は、何よりも速くその喉に突き立つ筈でした。

 なのに。


「がぁっっっ!!」


 それよりも後に繰り出された雑な斬り払いが、軍刀ごと僕を弾き飛ばしたのです。


「――っ!?」

「もういい、もう――――


 それがどういう意味で、何に対してのことかはよく解りません。

 でも、劇的な危機感だけが眼前にはありました。

 そして殺戮鬼となったナツキは、一歩を踏み出すと目の前にいたのです。

 すでに刀は振り上げられ、黒い軌跡を描きながらその刃が僕を強襲します。

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