249;月と影.03(姫七夕)

「――――あ」


 車両がホームに近づくにつれて減速し、既定の位置でぴたりと停まりました。

 次いでドアが開き――この駅はそこまで利用者が多くはなく、まばらに出て来る人達の中に紛れ切れずに、とはホームに降り立ちます。


「……ジュライ」


 きょろきょろと見渡し、そしてぼくを見つけた彼は小さく呟きました。

 ぼくがそう呼びかけると、彼は照れ臭そうに口許くちもとうごめかせながら、少しだけ早足で近寄って来ます。

 きっと、その後ろを着いて来る彼女と、そしてぼくの後方で見守るアリデッドさんがいなければ――ぼくこそ我慢できずに抱き着いてしまっていたかも知れません。


 ――――そしてそうしなかったことをここまで後悔しようとは。


「――っえ?」


 晴天から差す強い日差しに色濃く刻まれた足元のが伸び上がり、はぼくとジュライとの狭間で人の輪郭を得ながら、そうしながらジュライを鋭く斬り付けたのです。

 もしもぼくがジュライに抱き着いていたら、きっと背中を裂かれる形で庇えたでしょうに――――それでもジュライはその瞬間に目を見開き、ぎゅっと地面を蹴って刃の届くギリギリの外側に自身を押し留めました。


 七月ナツキ君の一閃は、ジュライには届かなかったのです。


「え、どういう……」


 その直後で、スノードロップさんが狼狽えました。そして七月君は素早く振り返りざまに、〈七七式軍刀〉で以てぼくの横から突き出されたアリデッドさんの槍を弾きました。


「おいおい、ひでぇタイミングで出やがんだな」

「……アリデッドさん」


 槍を手元に引き戻して構え直しながら、ミサイル弾頭の顔は不敵な笑みを纏います。

 七月君は薄く目を細めて、一直線に並ぶぼく達の列からゆっくりと離れながら〈七七式軍刀〉の切っ先を向けることで牽制を仕掛けます。

 アリデッドさんを睨み付けながら、その巨体に隠れる形のぼくをも見ています。そうかと思えば素早く振り返り、未だ臨戦態勢に無いジュライとスノードロップさんにも警戒の眼差しを突き付けるのです。


「分が悪いんじゃないか? お前の状態ステータスがどうなっているかは判らないが、レイド上がりでしこたま成長レベルアップした俺達四人を相手取るつもりか?」

「……さぁ、どうでしょう。このゲーム、ですし」


 アリデッドさんが固く口を噤みました。

 七月君はぼくにしか判らない程度の薄い笑みを表情に宿し、一列の並びが正三角形程度まで広がったその瞬間に使


影分身かげわけみ


「――っ!!」


 頭上にその文字列が浮上ポップアップしたと思えば、七月君の足元の影が、先ほど七月君が湧き上がったのと同様に盛り上がって三人の七月君に変じました。


「っ、数は同じってか!」


 見るや否や、その中の一番近くにいた七月君にアリデッドさんは〈ノーザンクロス〉を突き出します。ですがその一撃は同じ七月君の軍刀捌きにまたも弾かれます――が、先程とは違い、今度はアリデッドさんはそれを布石にしていました。

 足元から伸びあがる弧を描く突きは上方へと弾かれ、

 そして大きな身体を捻って繰り出す薙ぎ払いにより、


「《クロスグレイヴ》!!」


 交差した軌跡は一際大きく膨らむと、描いた前方に同じ水色の波動を照射します。

 幸いにもホームにはぼく達以外に誰もいなくなっています。冒険者同士の喧騒と見るや巻き込まれることを恐れて走り去ったのです。恐らく駅職員の方は衛視に通報に駆け込んでいると思いますが、田舎の駅ですから、それが来るのも相当後のことでしょう。


「――ちっ」


 波濤した水色の痕跡が消え去ると、そこにいた筈の都合四人の七月君は消えていました。

 ですがぼく達の誰もが、その一撃で敗れ去ったのだという甘い予感は抱きませんでした。


 現れる時も影、増える時も影――――なら、消える時も影です。


「ブラナ、〈フランベルジュ〉を」

「遅いっ!!」


 かつてはナノカちゃんの使い魔ファミリアだった花の妖精ブラナちゃんから得物を取り出したその隙を衝いて、七月君の一人がジュライの足元の影から湧き上がって渾身の突きを繰り出しました。

 ですがジュライはそれを予見していたようで――先程の《クロスグレイヴ》の一瞬の間に実は用意していた〈フランベルジュ〉で、まるでクロスカウンターのように七月君の胸元にうねった剣を突き刺しました。


「がぁっ!」


 ですが深く突き刺さってしまった剣を、引き抜くことは中々困難です。ジュライはそうしてしまい、絶妙にタイミングをずらして背後より襲撃を仕掛けてきた異なる七月君の振り下ろしには、最早得物を手放すしかありませんでした。


「ジュライっ!!」


 間髪入れずに横槍を入れようとアリデッドさんが身を屈めますが――


「あなたの相手は僕だ」


 その影から湧き上がった七月君がそれを阻みます。そして――――


「残念だけど、ここまでだ」

「――セヴンっ!」

「ご、めん……なさい」


 ぼくは、背後に現れたに、気が付けませんでした。

 首元に添う刃はその場に交戦する誰しもの動きを止め、ジュライが両手を上に挙げたのを見たアリデッドさんは大きく舌打ちしながら〈ノーザンクロス〉を使い魔シグナス君に戻しては両手を挙げます。

 細剣レイピアを構えて機を窺っていたスノードロップさんもまた、その剣をゆっくりと地面に置いて二人に倣いました。

 三人がそうやって六つの手を空に向けると、ぼくを抑える以外の三人の七月君がまるで溶けるかのように影に戻って行きました。


「……セヴンを、どうするつもりですか」


 ジュライが強く訊ねます。


「傷つけるつもりは無い。ただ、お前達を従わせるのに、ここにこれ以上の策は無い」

「ってーと――やっぱりお前、俺達四人を同時に相手取れるだけの実力は無いわけだな」

「ご明察です。何しろとは違い、僕はレイドに直接参加できなかったわけですから」

「へぇ……じゃあしょうがないな、


 小さく嘆息し、両手を挙げたままのアリデッドさんはちらりとぼく達の。その小さな小さな仕草と表情に、ぼくを後ろから抑える七月君の身体が緊張を鋭く増したのを肌で感じます。


「ルメリオ! 今だっ!!」


 その一瞬の強張りにアリデッドさんは吼え、七月君はぼくを突き放すと同時に大きく後ろを振り返りながら、その勢いのままに〈七七式軍刀〉を薙ぎ払い――――


 その刃は、


「っ!?」

馬鹿がIdiotっ!!」


 アリデッドさんの、恐らくは苦肉の策――七月君がどこまで情報を得ているかは知りませんが、【七刀ナナツガタナ】の天敵とも言える【正義の鉄槌マレウス】のルメリオさんと言えば諜報活動・暗躍の達人エキスパート

 彼が有するたこ使い魔ファミリアはアリデッドさんの使い魔シグナス同様に自らの姿を風景に同化させることが出来、そして彼が修得している呪印魔術シンボルマギアには術者の使い魔ファミリアが持つ特性を一時的に自身に宿すものもあるのです。

 魔術迷彩の恐ろしさはぼくもすでに体験済みです。同時に、ジュライも。きっとルメリオさんのことですから、その恐ろしさについての情報は敵である【七刀ナナツガタナ】にも流布させていたことでしょう。故に、七月君がアリデッドさんの叫びにとしても疑問では無いのです。


「《スティングファング》!」

「ぐぁっ――」


 素早く槍を取り戻したアリデッドさんが、再びこちらに振り返ろうとする七月君の脇腹に鋭い穂先を突き刺しました。スキルの載った一撃は容易く七月君の黒い防具を貫き、苦悶にその涼やかな顔が大きく歪みます。


「――――っはは!」


 ですが、穂先は肉に留まらず、その身をあろうことか突き抜けてしまったのです。

 七月君は七月君ではなく、彼すら彼のでした。突き抜けた瞬間に、まるで灰が風に吹かれたかのように黒く散り果て、そしてぼく達は後方で短く上がる悲鳴を聞かされたのです。


「スノードロップさん!」

「念には念を重ねておくものですね」


 つい先程ぼくがされていたように、今度はスノードロップさんが後ろから首筋に刃を添えられ、抑えられてしまっています。


「くっ――」

「正直、の動向は確かに気がかりでした。ですがこの状況を見るに、彼はここにはいないようですね。それを一番確かめたかった」


 今度は七月君が不敵に笑む番でした。

 ぎり、と1メートルも離れていないジュライが奥歯を嚙み締めます。


「放してください。彼女は君と僕との確執に関係ないでしょう」

「断る。予定、いや筋書きは変わったけれど、結果は変わらない。ちぃちゃんが一番良かったけれど、こいつで十分だ」


 とてもとても、それは冷ややかな双眸でした。

 ぼく達が分かたれてしまったあの夜のような――――罪を犯すことを躊躇わない、覚悟を決めた殺戮鬼の。

 きっと、ナノカちゃんの敵討ちの時もずっと、彼はそんな眼差しをしていたことでしょう。ぼくがそれまで見たことの無い、けれど何の違和感の無い、絶対零度の視線。


「……どうしたら、いいんですか」


 重々しくジュライが零すように訊ねました。


「ちぃちゃんと二人で来い。場所は追って知らせる」


 眉根を寄せながらジュライがまたも訊ねようと前のめりに顔を上げたのとほぼ同時に、スノードロップさんの首筋に刃を添わせたままで逆の手で何かを取り出しました。

 六角形に切り取られた掌大の水晶体は激しい光を放ち、眩しくて咄嗟に閉じた瞼を開いて見渡す頃には、七月君とそしてスノードロップさんはいなくなっていたのです。


 、そこには無かったのです。

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