241;一時の休息.01(姫七夕)

 レイドが終わり、直後ぼく達は強制的にそれぞれの拠点へと転移させられました。

 驚きと不安と心配とが綯い交ぜの表情で駆け寄って来たエンツィオさんやジーナちゃんには悪いと思いながらも、チカチカと明滅する視界とフラフラと揺れる身体でどうにか自室へと辿り着いたぼくは、ベッドを目にした瞬間にその場に倒れ込みました。

 最早それは気絶です。うう、あと一歩我慢できていたらふかふかベッドだったのに……


 あれだけ疲れ果てていたのですから、こんな風に真夜中に目が覚めてしまうとは思いませんでした。

 一応、まさか丸一日以上眠りこけていたのでは無いかと確認しようとモモを呼んでみましたが――この世界にもちゃんとした時計はあるのですが、使い魔ファミリアにインターフェースを表示してもらった方が早くて正確なのです――そのモモが「ぷぎぷぎ」と鼻を鳴らした次の瞬間。


 にょーんと後肢が伸びて。

 にゅーんと前肢も伸びて。

 すっくと立ち上がって二足歩行となり、「ぷごー」と言いました。


 ああ、紛う事なき夢です。明晰夢ってやつです。

 お顔とボディは魅惑のモモそのものですが、ぼくと同じ目線に達するまで伸び上がった四肢はちょっと気持ち悪いです。いえ、カワキモい。


「チィシィ。きみにどうしても伝えなければならないことがある」


 うわぁ、喋りました。しかも、気付いたらなんかタキシードみたいなの着ています。

 ですが夢だと判れば特段騒ぐことでもありません。面食らうことはあっても。


「伝えなければいけないこと?」

「そう――と、言うか、あなたにしか頼めないことがあるの」


 ぼくは頷き、紳士風を装ったモモの言葉を待ちました。

 そしてそして、目端に気を配れば、ギルドの自室だった筈の空間もガラリと様相を変えており、壁と天井は取り払われてただただ真っ白けな奥行きが続く、かろうじて床だけがハニカム構造を思わせる六角形の足場がぷかぷかと浮かぶ有様になっていました。い、いつの間に……


「とにかく、着いて来て」

「う、うんっ」


 くるりと踵を返すタキシード・モモの背を負って、意外にもしっかりとした六角足場を歩きます。

 何処に連れて行かれるのか分からないまま五分程歩けば、白い光の集合でしか無かった前方に突然“鏡”が現れました。

 それは全身を映してなお余裕を持つ大きさで、まるでクラスアップの部屋で眼にするあの大鏡。掛かる壁も無いと言うのに、地面と垂直に、こちらに真っ直ぐ正対しているのです。

 モモは構わずに鏡を目指して進み、そして吸い込まれて向こうへと入って行きます。

 その様子につい足を止めてしまったぼくも、慌てて鏡の中へと入り込みました。


 じらりとデジタルノイズを一枚挟み、潜り抜けたそこは何処かの鍾乳洞のような空間でした。

 足首あたりまで水に浸った床はざらりとしていて、壁は所々水晶の原石が顔を覗かせてはキラリと輝きを纏っています。

 段々になっている高い天井からは氷柱のように白く濁った棘が長く伸び、所々からポツポツと水滴が足元の水面に波紋を浮かべます。


 モモは、その空間の真ん中にいました。

 そこだけ盛り上がった地面はまるで檀のようで、そして刻まれた魔術円が仄かな明かりを放っています。

 その薄紫色に照らされたモモはぼくを振り返り――


 その姿は、でした。


「――――っ!?」


 正確に言えば姫七夕ぼくというよりはセヴンぼくで。

 よくよく自分の格好を見てみれば、ぼくの方こそセヴンぼくではなく姫七夕ぼくだったのです。


 ぼくにはにかんだような笑みを向けるセヴンぼく――――固有兵装ユニークウェポンである〈織女の星衣〉に身を包み、〈中級詠唱教本〉を収めた〈ブックホルダー〉をたすき掛けにしてそのペンホルダー部分に〈鈷硝子コバルトガラスペン〉と〈鉻硝子クロムガラスペン〉の二本を差して。

 翡翠色の艶やかな髪をふわりと靡かせ、そして灰色の瞳で物憂げにぼくを見詰めています。


「――、モモ?」


 ふるふると首を横に振ると、セヴンぼくはぼくを見る目を細めました。


――――きみに宿る、《王冠ステマのアニマ》だよ」

「アニ、マ?」


 こくりと頷いたぼくが俄かに目を瞑ると、その足元から髪色と同じ翡翠色の気流が立ち昇り、そしてマナで編まれた牡鹿の雄大な双角のような樹状魔術式がその頭上に冠せられました。


「ぼくの、アニマ……」


 再び首肯したセヴンぼくは、ゆっくりと瞼を押し上げてぼくを眺めます。

 何と言いますか――――鏡に映る自分が意思に反して動き出すようでとても不思議な気分です。薄っすらと、怖いまであります。


使い魔モモの身体を少しだけ使わせてもらっているけど、傷や後遺症なんかは残らないから安心して」

「え、あ、はい――――でも、どうしてぼくに?」

「もう少しできみは二回目のクラスアップを迎えるけれど」


 そう言えばそうでした。あの大変だったレイドを終えて、初回の時よりも更に大幅に経験値が貰えたのです。レベル100の大台にはあと一歩届きませんでしたが、適当なクエストを二つか三つこなせば晴れて第三次テルティアアルマGETなのです!


「もう、何のアルマにするかは決めている、よね?」

「え? は、はい……」


 詠唱士チャンターから始まり、第二次セグンダでは呪印魔術シンボルマギアを修得できる《呪言士インカンテイター》を選びました。勿論、十年前に築き上げたリアルチートを再現するために、です。

 オリジナル版では第四次クアルダアルマというのはありませんでした。だからそこはまだ決めきれてはいませんが、第三次テルティアに関しては――――


「そうだよね。……でもね、それを、諦めてほしいの」

「あき、あきらっ、めっ!? え、えっ、どどどどうしてですか!?」

「きみにしか届かない、特別な未来があるから」

「特別な?」


 深く、ゆっくりと頷きました。ぼくはその様子を、ぱちくりと目をしばたかせながら見ているしかありませんでした。


「その未来を掴むために、――――どうしても倒さなければいけない相手がいる」

「倒す、ですか?」

「と言うよりも、その相手を倒して得られるアイテムがどうしても必要なの」


 そう言えば確か、特殊なアイテムを消費することでしか到れない特別なアルマもあったような……でも十年前にほぼコンプリートした時は、何だかんだそっちじゃない方がぼく自身に合っていたのを思い出します。だから、今回もそっち方向のクラスアップは全く考えていなかったんです。


「その相手を倒すことで、きみは見事にレベル100になり、そして倒した相手から得たアイテムを使って――――」


 じりじりとデジタルノイズが不意に蔓延りました。


「ああ、夢が! 夢が終わってしまう!」

「ねぇ! ぼくがならなければいけないアルマって――」


 ぼく自身が目覚めようとしているのでしょうか?

 でも最後に、そのアルマの名前だけでも――――そう考え、聞き出そうと問い出した瞬間に。


「そのアルマの、名前は――――」

「そのアルマの、名前は!?」

「――――――――」

「ねぇ、そのアルマの、名前はっ!?」


 何かを呟いたような唇の蠢きは、ですが確かな音をぼくの耳に届けてはくれませんでした。

 いえ、空間をんで行くデジタルノイズがその声すらも食べ尽くしてしまったのかも知れません。


「名前はっっっ!?!?」


 そしてぼくは跳ね起き、薄暗い静寂の中で息を切らしながら辺りを見渡しました。

 木板と漆喰で構成された、簡素ながら趣を感じる――――ギルド【砂海の人魚亭】の、自分の部屋です。

 ふと、壁に掛かった鏡を振り向き、近寄りました。

 セヴンぼくを映すそれはほんの一度だけ波紋を立たせて揺らぎ、セヴンぼくはぼくに何かを言いたそうでしたがそんなことはありませんでした。起きませんでした。


「……ちゃんと、教えてくれますか?」


 指を伸ばして、つるりと磨かれた鏡面に触れました。もう鏡は、ぼくじゃないセヴンぼくを映すことはありませんでした。


「――――《呪言士インカンテイター》から派生する第三次テルティアアルマでクラスアップにアイテムが必要だったのは……」


 目の下にくまが貼り付いていましたが、すでに頭の中の重たかった眠気は何処かへと消えてしまっていました。

 だからぼくは部屋の机に向かい、十年前を思い出すことにします。

 羊皮紙を一枚広げて、クラスアップの樹形図を書き記しながら――――でも朝になっても、ぼくはそのアルマが何かを、特定することは出来ませんでした。

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