231;蝕霊獣、討伐すべし.15(姫七夕/レクシィ)

「――――ノアッッッ!!」


 シーンさんが蟀谷こめかみに血管を浮かび上がらせて叫びました。

 ぼくの前に歩いていた筈の老齢の男性は極彩色の渦に隠れてどうなったのかを見ることは出来ませんし、ぼくの後ろに歩いていたカップルはぴたりと静止してしまっています。まるで時が止まってしまったようです。


 鳥居の形に切り取られて映る渦の中心には、翡翠色のフードとローブに身を包む、まるでヴァーサスリアルの世界に出て来る魔術師のような出で立ち。

 これが、ノアさん、なのでしょうか。

 そうだとしても、ここは現実世界で、ぼくたちは電脳遊戯没入筐体ハンプティ・ダンプティの中にいないと言うのに――


「真実を、つまびらかにすべき時が来たんだ」

「真実!?」


 まるで敵に立ち向かう獣のような息遣いで、シーンさんはノアさんの言葉を反復します。

 ノアさんの身体は時折じりじりど電子ノイズに歪んで、ますます現実から遠ざかって行きます。


「と、言うよりも……そうするしか手が無くなった、ってところさ」

「ごちゃごちゃ言ってんじゃねぇよ、何が起きてるってんだ!」

「兎に角、たすけてほしい、ってこと」


 ふわりと微笑んだその表情もまた、現実味を全く帯びないものでした。

 でも真実を語っているんだろうってことには、嘘を吐いてはいないんだろうってことには、嫌でも気付いてしまいます。


「分かりました。どうすればいいですか?」

「チィシィ!?」


 狼狽を横に、ぼくは進むことを決めました。

 何かが狂ってしまっているのはもう、疑いようの無い事実なのです。

 この鳥居に現れた極彩色の渦も、その中心に立つノアさんも。

 電脳遊戯没入筐体ハンプティ・ダンプティの中から消えたアイナリィちゃんのお父さんも、現れた遺体も。

 そもそも、死者がゲームに興じているのも。

 もしかしたら、七月君が見つかる事なく六人を殺害出来た事も、その後呆気なく死んでしまった事も。


 色んな歪みが、世界を狂わせている。

 その“何故”が、この先で待っている。

 ならばぼくは――――


「シーンさん。ぼくは知りたいです。真実を、知りたい」

「――――っくそ!」


 奥歯同士が擦れ合う耳に触る響きを零し、シーンさんは再度ノアさんを睨み付けます。


「連れて行けよ、お前の言う真実って所に!」


 その時ノアさんが見せた、困ったような苦い笑みにはどんな意味が、想いが込められていたのでしょうか。

 ですがそれを思案しようにも、ノアさんの背後に拡がる極彩色が伸びては迫り、それと同時にぼく達の意識も光に包まれながら途切れてしまったのです。


 まるで、筐体の電源を切ったみたいに。




   ◆




「レクシィさん、大丈夫ですか?」


 まるで違う人――それが、わたしがその彼を見て最初に抱いた感想。

 でもやっぱりそれはジュライそのもので、だから“じゃあ何処が違うのか”と問われても答えは喉元でまごついてしまう。


 この人は、不思議だ。


 とても人間的な一面や打たれ弱さを見せたかと思えば、瞬きの内にそれらを廃した機械仕掛けの戦慄と鋼の様な屈強さを見せつける。

 いつかスーマンが聞かせてくれた“不気味の谷”っていうのは、こういうことなんだろうか。


 差し出された手を掴んで立ち上がる。

 わたしは辛うじて、無傷では勿論無いけれど致命傷というほどでも無いし、最悪の事態も免れた。

 赤黒く汚れた顔で悲しく微笑む彼の肩越しにその遺体を眺める。


 わたしは、色んな命の上に生きている。

 誰かの死がわたしを生かしているんだ、って事実を想うと、途端に申し訳なくなって泣きそうになる。


 そんなわたしを、ジュライは何もせずに見つめてくれる。

 何もしないで、ただ黙って待っていてくれる。


 きっとスーマンだったら頭をくしゃりと撫でて優しくキスしてくれただろうし、お父さんやお母さんはわたしを抱き締めてくれた。

 でもジュライはそうじゃない。

 わたしが、自分自身で踏ん張って再起するのを待ってくれているんだ。

 わたしたちの関係は、守るでも守られるではもう無いから。

 わたしたちの関係は、共に戦うものなのだから。


「ごめん、もう大丈夫」

「はい、なら良かった。ああ、あと、これを」


 差し出されたのは〈フランベルジュ〉。討ち倒したショウゴの血と肉とで赤黒く汚れてしまっているけれど、まだ武器としてはちゃんと使える。


「ジュライ、持ってて」

「いいんですか? でも、これ……」


 ジュライが何を言いたいかなんて分かり切ってる。

 この剣はスーマンの形見の一つで、わたしにとってはとてもとても大切なもの。

 スーマンと行った騎士の任命式で使われた、大事な大事な儀礼剣。


「だってジュライ、武器無いでしょ?」

「それは……そうですが」


 わたしには、〈エントシュルディグング〉がある。

 この身体の内側に宿ったアルマだって、それからゴーメンだって。

 こんなに沢山、大事なものだらけなんだ。


「終わったら、返して」

「……はい。大事に使わせて貰います」

「折ったら赦さないから」

「それは……肝に銘じます」

「……冗談だよ」

「え?」

「ふふ。冗談! 行こっ」

「え? あ、はい……行きましょう。あ、でも、その前に」

「?」


 わたしはジュライのちょっとしたそのお願いを、直ぐに聞き入れた。

 本当ならばわたしたちは、直ぐにでもあの蝕霊獣を追いたかった。

 この世界最大規模を誇るクラン【七刀ナナツガタナ】の残存戦力が鎬を削って踏ん張ってくれている中で、そこに駆け付けて少しでもあの大きな災厄を討つ力になりたかった。

 でも、流石にそのお願いは聞かざるを得なかった。ナノカさんの、一時的なものだけれどお墓を作る、ってことは。


「これで、よし」


 出来れば空いた穴を埋めたり、お花で包んであげたかった。ちゃんとしたお祈りを捧げたり、ちゃんとした棺に込めたかった。

 でもそれは、全て終わってから。あの蝕霊獣をちゃんと、討ち倒してから。

 それが終わったら、またここに舞い戻ってちゃんとした埋葬をしてあげるんだ。

 何せわたしは一国の王女ってことになっちゃったから――継承権は無いしそれ以外の大した権力も無いに等しいんだけど――そこそこ盛大な埋葬が出来ると思う。

 冒険者パーティー【菜の花の集い】が“菜の花の殺人鬼”として世間を震え上がらせていたことも、蝕霊獣を討つ手助けをしたという恩赦を被せて無かったことにもしてあげよう。


 そのためにも――――


「お待たせしました。今度こそ、行きましょう」

「うん」


 ジュライと一緒に、今は今の復讐を。

 わたしの心の一番深くてやわらかいところで見守っていてくれるスーマンに、証明してあげなきゃ。

 あなたがいなくても、わたしはちゃんと歩いて行けるよ、って。



◆]【フラジア・蝕の最前線】

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