229;蝕霊獣、討伐すべし.14(ジュライ)

 何も見えなくて、何も聞こえなくて、ただただ何も感じないのに、それなのにひどく寒くて。

 でも同時に僕は、身体の全てが溶解してしまいそうな熱を帯びていました。


 倒れた筈のナノカは強く歯噛みしながらぐぐ、と立ち上がり。

 その最中で、僕の手から零れて地面に転がったままの折れた軍刀を手に取りました。


 ナノカは僕みたいに軍刀術を習っていたことはありません。いえ、正確に言えば少しだけ、ほんの少しだけあったのですが――あれは僕が本格的に軍刀術を修め始めた頃。

 何でも僕と同じを好んでいた彼女は、ですが両親の言い付けですぐにそれを習うことを禁じられました。

 思い出せば――正統後継者であった僕よりも遥かに才能の片鱗を見せていた双子の妹。その存在が、僕の継承の足枷になることを危惧したのかもしれません。それを、確かめる術は無いのですが。


 いくら才能が有ったところで、それそのもの自体には何の意味もありません。

 才覚を欠いた努力が実らないのと同様に、それが芽吹く土壌がそこに無ければ。或いは、輝ける場所が、貢献できる矛先が無ければ何の意味も無いのです。

 だからナノカにいくら軍刀術の才能があったとしても、彼女にとって意味は無かった筈でした。彼女の短い人生の中で唯一と言って良い程、盛大に不貞腐れたその時期はあっと言う間に過ぎて、彼女は僕と異なる道を、隣り合って歩むことになりました。

 当時は僕も、諦め切れたんだな、くらいにしか思っていませんでした。何しろ僕は他人の機微に疎いのです。まさか妹が秘密裏に僕の真似をして木刀を振るっていただなんて。


 それは一体、いつからいつまでのことだったのでしょう。

 でもきっと、それはの話でした。


 その証左に、折れた軍刀を携えた彼女はまるで鏡に映る僕のようでした。

 半ばから先が無いのにも関わらず、狂い果てた腐肉の獣が振るう触手の鞭を上手に斬っては払い、薙いでは断っていました。

 運足もまた、基本に忠実で。ですがそこに《暗黒戦士ダークネス》として戦って来た経験や方法論が上乗せされて、漸く僕はその姿に僕との違いを思い知ります。


「ああああああっっっ!」


 頭上に灯る《ダークソウル》のスキル名はその絶叫と共に《原型深化レネゲイドフューズ妖星ハームワット》という文字列に変わります。

 彼女の黒髪や黒い瞳、ぼろぼろだけれども辛うじて身に纏う黒衣。

 また、足元から立ち昇る呪詛のような黒い帯。

 全ての黒が、闇色へと深まり、宇宙空間の奥行きに彩られていきます。


 恒星の輪や彗星のなびき。

 星雲の明滅や惑星の揺らぎ。

 一際大きく輝く赤は双眸に。


 彼女が手に握っていたのが彼女の愛器たる連刃剣であったならば、もしかすると彼女に分があったのかもしれません。

 ショウゴは最早人智を失ったただの魔獣モンスターに成り果てていて、その攻撃は頻度こそあれ、単純すぎたのです。

 あの連刃剣を薙ぎ払えば、その圧倒的な攻撃範囲リーチで以て全てを薙ぎ払い、斬り落とせたのかも知れません。


 でも、ナノカが握るのは半ば折れた軍刀です。

 短く、また牛飼流の強みでもある突きすら満足に出来ない、半端な半端な軍刀です。


 ですから、ショウゴが再生させて繰り出したあの一際巨大な触腕が螺旋状に先端を旋回させて突き進む一撃は、斬り払おうとした軍刀を一息に砕いてはいとも容易く彼女の腹部に突き刺さり、その背中から飛び出たのです。

 何と猟奇的グロテスクな光景なんだろうと――――僕は何も出来ずに。ただ。


「――っ」


 ぐずじゅりとショウゴが触腕を引き抜くと、当たり前のようにナノカの身体はその場に落ちました。

 横たわるその背中からは、地面が見えました。

 黒く焦げた地面が、どくどくと流れ落ちては溢れる血で濡れて。

 その赤黒い血もまた、宇宙の輝きを宿します。星座を擁する揺らぎと奥行とに彩られ――――


「――――《星降り》」


 その、空いた風穴の向こう側の宇宙から。

 流れ星は、やって来ました。



 アニマ・堕光アステリ

 チュートリアルにてどうにか目標地点に到達できた場合にのみ獲得できる、所謂アニマの一つ。

 原型解放レネゲイドフォーム又は原型変異レネゲイドシフト、或いは深化フューズ時には身に纏う“黒色”に宇宙空間の彩りと拡がりを宿らせ、そこから流れ星の光を射出することで対象に“幸運”か“不運”のどちらかを与えることの出来る特殊なアニマです。


 与えることの出来る“幸運”は、自分が不幸であればあるほど。逆に“不運”は自分が幸せであればあるほど。

 その効果量・威力が、強化される仕組みなんだそうです。


 思い出せば――――蝕霊獣となったあの大男と初めて相対した時、ナノカは白い流れ星の光で以て大男を転ばせていました。

 あの程度の威力しか無かったのは、きっと、恐らく、……そういうことなんでしょう。


 だから逆に。

 ここまでの奇跡が起きたのも、そういうことなんだと思います。



『たっくさん不幸浴びたからね』

「……ごめん」

『謝らないでよ。ナノね、ナツキの謝罪が一番嫌いなの』

「どうして?」

『ナツキには、幸せになって欲しいから』

「幸せって……」

『それはナツキにしか分からないよ。ナノの幸せがナノにしか分からないように』

「……」

禍福かふくあざなえる縄の如しって、あれ絶対嘘だよね』

「……そう、かも知れないね」

『だってさ、ナノに来たの、禍禍禍禍禍禍禍禍禍禍禍禍禍禍禍福、って感じじゃん』

「……最後は幸せだったの?」

『……幸せだったよ。ナツキを、こうやってたすけることが出来たから』

「え?」

『生まれた瞬間から人生最悪だった。一番結ばれたい人と兄妹なんだもん……でも、同じくらい最高だった。幸せだった。ナノは死んじゃうくらい不幸だったけど、でも同じくらい幸せだったよ。ナツキと、一緒に生きられたから』

「ナノカ?」

『だからね? ナツキ。ナツキは生きて、生きて生きて生きて、……ちぃちゃんと幸せになってね。ちゃんと、ナノの分まで』

「ナノカ、ナノカ!」


 幻影は過ぎ去って。

 僕の中に飛び込んで。最後に聞こえたのは、きっと「大好き」って言葉だったと思います。


 もう、寒くはありませんでした。

 もう、暑くはありませんでした。

 瞼は開きます。耳は聞こえます。鼻も舌も皮膚も――――生きています。


 いえ。


 生かされたんです、ナノカに。


「グガ……ゴォ、ッ――――」


 感謝も懺悔も、今は心に留めておきます。

 ナノカが起こしてくれた奇跡に生かされた僕は、そんな僕のやるべきことを全うすべきなのです。

 先ずはショウゴを滅ぼしてレクシィさんを守る。それから、蝕霊獣を討ち倒して彼女達の復讐を完遂する。

 ロアさんにも会わなければいけませんし、【七刀ナナツガタナ】を抜けなければいけません。


 そして、ナノカの最期の願いを叶えなきゃ。


「キャンッ!」

「……ゴーメン?」


 毛玉みたいな使い魔ファミリアが、身体をふるふると揺さぶって一つの光を生み出しました。

 それは僕の手の上で大きく形を変え、そして瞬時に〈フランベルジュ〉へとなりました。


「……恩に着ますっ」

「キャゥンッ!!」


 まだなり立てで、使い方はよく解りませんが……それでもナノカがくれた奇跡です。どうにかなるでしょう。

 唾を飲み、はらに力を込めて。そして僕は、ショウゴ目掛けて駆け出しました。

 大切な大切な妹が遺してくれた奇跡を胸に。


「――《原型深化レネゲイドフューズ妖星ハームワット》!」

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