228;蝕霊獣、討伐すべし.13(ジュライ/牛飼七華)

 ぐずぐずになった灰色の肉の内側で、どろりとした粘性を持つ血潮を巻き上げながら断ち進む刃は、硬い骨にぶつかった途端にぱきんと折れました。

 振り払った手が把持するのは刀身が半ばから失われた半端な得物――前にもありました。ああ、やっぱり、怒りに任せて振るうのはダメなんですね。


「はは、はははは! 無様だなぁ、お兄様よお!」


 嘲りを飛ばしながら、その隙を突いて繰り出された筈のレクシィさんの《バタフライエッジ》も見切ります。

 中身はどうしようも無い下衆だとしても、それが纏うのは明らかに脅威。

 僕は奥歯を強く噛んでみましたが、そうしてもこの眼前の強敵をどうにかするアイデアなんて浮かんで来ませんでした。


「うああああ!」

「てめえは寝てろよっ!」


 殆ど破れ被れに放ったナノカの一撃もまた、ショウゴは伸びる刃を繋ぐ結線ワイヤーを肉の鞭で絡み取っては矛先を変え、そうしながらも強く引き絞ることでナノカの身体を引き倒しました。


「後でたっぷり可愛がってやるよ!」


 そして伏せた背に黒く濡れた鞭を叩き付けて。

 それを見届ける前に僕の身体は駆け出していました。

 どうにかする、なんて余裕は無い。

 ノアさんですら何処かに消えてしまったのです。頼れるのは――何があるのでしょうか。でも頼らなければのは自分以外にありません。


「はははははっ!」


 無論、考え無しの特攻に鞭が打たれるのは判り切っていました。ですがそこで僕の身体は、迫り来る幾本もの肉鞭を緩慢にさせ、そしてそれら全てを限り無く無駄を廃した動きで掻い潜りました。

 それは、極限の集中に囚われたことによる限界突破。僕の大元ベースとなった牛飼七月が生前に何度か見せた、軍刀を振るう機械となった際の動きです。


「は、はぁっ!?」


 ショウゴが目を丸く見開いて驚愕を露わにします。そして八歩目で漸く刃の領域に突入した僕は、その勢いに載せて思い切り軍刀を突き出し――――そのきっさきはもう無いんだと言うことを思い出しました。

 伸び切った腕の先で突き出された軍刀は。

 失った半身分手前で空を穿っただけに留まり。


「は、はは」


 ショウゴの腐った肉には届かずに。


「クソがぁっっっ!!!」


 呆然とする中で振るわれた一撃で、僕は宙を舞い、そして背中から地面に落ちます。

 身体中に痛みが走っていて、何をどう動かせばいいのかを失念してしまいました。視界は薄赤く明滅していて、[瀕死]という文字列が上の隅で踊っています。


 もう、駄目なのかも知れません。

 頑張りたい。でも、身体はそうじゃ無いのです。


「きゃあっ!」


 ばぐんという大きな打撃音に混じってレクシィさんの悲鳴。その直後、僕が地面に激突した時に身体全体で感じた響きが遠く聞こえました。


「おいおいお兄様? ちゃぁんと起きてるか? これから、いよいよ、だぜぇ?」


 黒く濡れた肉の触手が僕の顎を掴み、無理やりに彼がいる方へと向けました。ぼんやりと霞がかった視線の先には髪の毛を掴み上げられ起こされたナノカがいて――――僕は何度も力を振り絞ろうと頑張りました。頑張ったのです。何度も何度も、心の底から湧き起こる、この薄赤く明滅する視界を血溜まりのような赤々しさで塗り潰す激情を呼び起こしては。

 それでも、身体は上手く動いてはくれませんでした。

 身動みじろぎをすればその途端に肉がびだんと飛び込んで来て。

 腹を打たれ、頬を張られ、頭を殴られ、胸を叩かれ。


 意識が段々と、遠退いて行きます。

 薄赤の明滅は激しさを増し――――途端に、ぷつりと黒く途切れました。


 目の前には、ただ闇が広がるばかりです。


「  、   ?    ? ……   、       」

「 ……  、……   ?    ?」


 誰かが何かしらの言葉を発していた気配がしましたが、やはり何も聴こえません。

 この闇色の景色同様、ただただ静寂が広がっているだけなのです。


 ああ、寒い。いや、暑い。いや、寒くて暑い、ようで、寒くも暑くも――――

 判らない。解らない、分からない、わからない、わから――――




   ◆




「おい、お兄様? お兄様? ……何だよ、死んじまったぜ」

「嘘……嘘だ、……ナツキ? ナツキ?」


 ショウゴが肉の触手を放した途端、ナツキの身体はぐたりと地面に横たわった。

 赤黒さに塗れた肌から、どんどんと生気が奪われていっているのが簡単に見て取れた。


「お楽しみはこれからだった、ってのによぉ……」


 その舌打ちが耳障りで仕方なかったけれど、ナノの頭はそんなことに思考や感情を割く余裕は無かった。ただ、世界で一番愛しい人が目の前でいなくなった事実だけが脳内を占めていた。


「……ああ、そうだ」


 下卑た声。でもナノは、やっぱりナツキの遺体から目をそらせない。


「きゃぁっ!」


 レクシィちゃん!

 少し離れた所から聞こえて来た悲鳴で漸く首を動かせたナノは、その光景に目を疑った。


「妹ぉ! だ!」


 苦悶に顔を歪ませるレクシィちゃんの四肢を伸ばされた触手が捻り上げ、そして更にその身体に這う触手が、黒い粘液を滲み出して纏う衣服を焼き溶かしていく。


「嫌、嫌っ!」

「誰だって最初はそう言うんだよ」


 ナノの身体もまた、そいつの身体から伸びる触手が絡め取って自由を封じている。顔を背けることすら出来ないナノは、何も出来ないままでこれからを傍観させられている。

 肌に火傷を負わせながら、徐々に露わにされて行き。

 憎悪とも絶望ともつかない涙と睨みが闇色の瞳を濡らしている。


「妹ぉ! お前がお兄様の代わりだ。こいつをさんざ甚振いたぶって犯し尽くしてぶち壊した後で! お前もそうしてやるよ」


 爆ぜた嗤い――――やめて、やめてよ。


「やめろ!」

「嫌だね! こんな楽しくて仕方が無いこと、一度死んだくらいでやめられるかよ! やめてたまるかよ!!」


 ナノは何度も何度もやめてと叫んだ。それくらいしか出来なかったから。でも、その懇願が聞き入れられることは無くて。


 這う触手の数が多くなり、血走った目のショウゴから伸びるそれらはレクシィちゃんを蹂躙していく。

 ナノよりも若く幼い少女そのものの身体を、物理的にも概念的にも傷物キズモノにしていく。


「かははははははは! ……さぁて、そろそろ」


 ずるり、と、その他よりも太く、凶悪な色と形を備えた触手が這い出た。

 ぬらぬらと照り返りを纏う濡れたそれは、蛇のようにゆらゆらと蠢き、そしてぴくぴくと律動しながらレクシィちゃんへと伸びて行く。

 少女の絶望に塗れた黒い瞳が、闇に堕ちていくのが判った。ああ、きっとナノも、あんな目をしていた。


 ふと、ショウゴの肉に食い込んだ、半分の切先が目に入った。

 冷静が落ちた脳で全身の皮膚に意識を巡らせれば、きっと少女を犯すことに夢中になっているんだろうショウゴの、ナノを捉える触手がおざなりになっていることに、緩まっていることに気付いた。

 まだ、最悪には至って無い。まだ最悪は彼女を貫いていない。

 間に合う筈だ。ナノはもう無理なんだろうけど、でも彼女は、レクシィちゃんは。

 焦るな。

 まだだ、まだ――――が貫くその瞬間を狙え。

 気取られないように枯れた声で懇願を繰り返せ。そうすることで逆にこいつは彼女に溺れる。

 まだ。

 まだ。

 まだだ。

 まだ――――――――っ!


「っがぁ!」


 殆ど獣が発するのと同じ声を上げたナノは、折れた軍刀の刃を掴んで思い切り真下に切り込んだ。

 骨に半ば食い込んだ刀身はそれごと腐った肉を断ち切りながら降下し、屹立した気持ち悪いを見事に両断した。

 断たれた触手は地面に落ちてびくんびくんと跳ねながら、しかし直ぐに動かなくなった。投げ出されたナノの身体もまたその横に倒れ込んで、振り返れば絶叫を空に放つソイツが暴れていた。


「! !! !!!!!」


 もうそれは言葉じゃ無かった。


「ざまぁ、みろ」


 ばぐん、という衝撃。

 弾かれたナノは二度地面をバウンドした。

 隣にはナツキがいた。もう、息をしていないナツキが。もう、二度と目を開けてナノを見てくれないナツキが。

 何て、綺麗な顔なんだろう――――半一卵性でよく似てるって言われて来たけど、やっぱりナノよりもナツキの方が綺麗な顔だと思う。


「! !! !!!!!」


 クソが叫んでいる。ふと視線をやれば、全身から触手を吐き出してはのたうち回らせ――もしかして、統制が取れていないんじゃ無いだろうか。

 もしかして、アイツも瀕死なんじゃ無いだろうか。


 それなら、もう少し頑張っても、いいかな……なんて。

 知ってる。この身体はもう、そうは出来ないなんてこと。

 全身の何もかもが他人の借り物みたいに言うことを聞かない。瞼だって重いし、今直ぐに呼吸だってやめてしまいたい倦怠感。


 ごめんね。

 レクシィちゃん、ごめん。

 何も出来なくて、どうにも出来なくて――――

 ナツキ、……本当にごめん。

 ナツキが折角、ここまで頑張ってくれたのに――――






 ぷわん



◆]冷却時間クールタイム終了に伴い

  《原型深化レネゲイドフューズ》再使用可能。[◆

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