219;蝕霊獣、討伐すべし.05(ジュライ)

 レベルは低いと言えど、現れた腐蝕の粘体ロトン・スライムは格上の存在です。

 何せ僕のレベルは今、“1”――――だと言うのに、僕にはどういうわけか、彼らの動きが手に取るように見て取れるのです。


 粘体スライムはゲル状の身体を激しく蠢かせながらまるで局所的な津波のような動きで突進してきます。

 その身体の何処かには僕達で言うところの脳と心臓とが合わさったような機能を持つコアが存在していて、それを破壊しない限りこの相手はいくら斬っても潰しても再生を繰り返して襲い掛かって来るのです。

 そして“腐蝕のロトン”という名を冠す通り、通常の粘体スライムよりも遥かに身体が濁っています。

 だと言うのに、僕にはどうしてだかそのコアの位置が判り、そして不可解極まりない動きのを、見通すことが出来ました。


「しっ!」


 狙い澄ませた突きを放つと、高い所から水の塊を地面に叩き付けた時のような飛沫を上げて粘体スライムは瓦解しました。引き戻した切っ先には、貫かれた丸く黒い球体――この拳大のそれが、きっとコアなのでしょう。


「がああああああああっ!!」


 横目に見るとレナードさんもまた、盾の面による攻撃で粘体スライムを一思いに潰し終えた所でした。

 成程――――確かに、何処にあるか判らないコアを斬ろうとするよりも、その身体全体を潰してしまった方が遥かに頭のいいやり方です。


「まだまだ来るよ」

「分かっていますっ!」


 後方からノアさんの声。その通りに、次々と前方から黒い津波が押し寄せます。

 僕達の今の強さレベルでも一匹一匹ならばどうにかなる相手、ですがこの世のどんな力よりも“数の力”というのは激烈であることを僕は知っています。


「来いやぁ!! 行くでぇ!!」


 レナードさんも、その在り方は寧ろ《狂戦士バーサーカー》でした。

 剣は平手打ちのように粘体スライムの触手を払い、逆に盾でぶちゃりと潰していきます。

 僕も、負けてはいられません。

 どうしてだか判らないけれども、僕には彼らのコアの位置が正確に判る。

 判るのならば、効率重視で矢継ぎ早に突きを繰り出すだけです。


「せぁっ!」


 ばしゅん、と粘体スライムが飛沫となって散ります。


「がぁっ!」


 ばちょり、と粘体スライムが地面に大きな黒い花を咲かせ溶けて行きます。


「ぐっ!」


 死角からえげつない角度で捻って突き出された触手が、ぼくの脇腹をじゅううと焼きます。


「ごぁっ――こないなん効くか、ダボぉっ!!」


 押し返されのしかかられた黒く灼ける粘体スライムを、力任せに再度押し戻すレナードさん。


「せぁっ!」

「んだらぁっ!」


 それを何度も何度も、何度も何度も何度も何度も繰り返して――――漸く、黒い津波は鎮まりました。

 灼けた道にただただ黒い染みだけを残して。


「……うぅ」

「大丈夫ですか、レナードさん」


 伸ばした手を、ぶんと振り払った手で弾くレナードさんの目はぐるぐると、ぎゅるぎゅると血走ったまま回っていて。


「ぁかん、まだ……まだ、」


 首から上をぶんぶんと振って意識を保とうとするも、それでもその目は止まらなくて。

 赤く、赤く血走り、ぐるぐる、ぎゅるぎゅると。


「NPCにはそもそも、レベルという概念が必要ない」


 どうしてこんなタイミングで、そんなことを言うんですか――――ノアさん。


「それが必要なのはPCで、そのPCがいなければそもそも、という意味だ」

「あああ、あかん、まだ、まだあのデカブツしばいてへんねん」


 ぐるぐる。


「PCをレベルアップさせるには、強い相手と戦ってもらわないといけない。何事も慣れるとそこから得られる経験値は細まる。だから強さに応じた指標としてレベルがあってね」

「あああ、あああああ」


 ぎゅるぎゅる。


「だからね、そもそも本来は敵として戦うことの無いNPCはその人がどんな人生を送って来てどんな経験を積んでいようと、レベル1に固定されるんだ」

「あ、アア」


 ぐるぐる。


「レベル1のNPCって言うのは、だから信用ならないことがある。レベル1だと言うのに、今のキミみたく凄く強い奴がいたりなんかしてさ」

「アアア」


 ぎゅるぎゅる。


「特にキミは、あの牛飼七月の記憶を完全に引き継いでいるんだろう? 固定レベルでもそれだけ戦えるのがその証左。そしてそこのレナード君は、アンデッドキャラクターとなったことでレベルが加算された。ただのPCだった頃のカレなら、とっくに死に戻っていてもおかしくない相手だったからね」

「アア」


 ぐるぐる。


「だから、レクシィ君も、ジュライ君のようにとは行かなくとも頑張ればそれなりの結果を出すことが出来る。勿論、アニマを手に入れてレベルアップが適用されるようになったなら尚更だ」

「ア――――」


 ぎゅるぎゅる。


「さぁ――――


 ぴたり。


 さぁ、と血の気が引いて行く音すら聞こえたような。

 ぶんぶんと我武者羅に振っていた首を止め、そうしながら頭を無性に掻き毟っていた両手すら止め、黒く焦げた道に着いていた両膝の震えすら止まり、そしてレナードさんは――――いえ。


 レナードさんだった者が、ゆっくりと僕に振り向き、そして睨み付け破顔しました。


「ァァァ――――ガアアアッ!!」


 涎を撒き散らしながら、知性などかなぐり捨てて繰り出す突進に面食らい。

 僕は鳩尾みぞおちに鈍い痛みを覚えながら吹き飛び、ごろごろと転がってしまいました。


「ガッ、ガァッ、ァッ、アッ、ァァアアアッ」


 ああ、理性が、何処にも無い。


「ジュライ君? そこにそうしていると、キミも漏れなくなるよ?」


 そうでした。一部の不死アンデッド系の魔物モンスターは、殺した相手を自身と同じアンデッドに変えたり、変えた上で自身の眷属として支配したりと、仲間を増やす能力を持っているのです。

 レナードさんが変わり果てた“レヴナント”という魔物モンスターもそうです。

 そして僕は今、PCでは無くNPC――――死に戻りの無い今、殺されるとレナードさんと同じレヴナントに変貌してしまう。


 それでも。


「……くそ」


 ああ、立ちたくないなぁ。

 立てば、斬らなければいけなくなる。

 立てば、戦わなければならなくなる。

 それが、心から、心の底から嫌で――――


「きゃぁっ!」


 だけど。


「ァガァアアアッ!!」


 ガキィ、と――振り下ろされた刃を刃で受け止めた僕は、身体ごと押し込む形でレナードさんを撥ね退けます。


「ごめんなさい」


 今しがた襲われそうになったレクシィさんに謝罪だけを投げ、たたらを踏んだレナードさんが体勢を整えるのを待ちました。


「随分と余裕そうだね」

「……レナードさんは、剣を振るったんです」

「ん?」


 そう。レナードさんは狂気に冒され、変わり果て、魔物モンスターになってしまっても、盾で突進し、剣を振るいました。

 レヴナント・ナイトという魔物モンスターがそういうものであると言われてしまえばそれまでですが、でも僕はそうじゃないと信じたい。


「まだ、間に合うっ!」

「……ふぅん。じゃあ、頑張ってみてよ」

「言われなくてもっ!」


 そして再度盾を構えて繰り出された突進系スキル《スラストバンプ》に対して退かず、真っ向から迎え撃つ体勢を整えます。


 それは“神薙カンナギ”と対を成す、守りの要となる型。


「――“神緯カンヌキ”」


 脱力し、だらりと垂れた刃を翻しながら持ち上げ、重力に拮抗せんとする膂力で以て振り上げる――――そしてその斬閃で以て、あらゆる敵の攻撃を真上に斬り払う軍刀術。

 その一撃は、構えた盾の淵を擦り抜けてそれを携える腕ごと斬り払い。

 黒く濁った血飛沫を撒き散らして舞う腕と盾が、落ちるよりも速く――――


「ァア――――堪忍な」

「っ!!」


 血走り、濁った眼球の焦点が合わさり、ほんのりとやわらかく――――

 でもそれよりも速く、僕の身体は次の一撃に向けた体勢に移行していました。


 振り下ろすよりも脱力することで、軍刀を加えた自重で身を弛ませ。

 そしてだらりと垂らした右手に握る軍刀を、内へと巻き込む腰の求心力で振り、その力を遠心力に変えて放つ。


 “神薙”がその胴を鎧ごと両断した後で、レナードさんだった魔物モンスターはもう、二度と口を開きませんでした。


 二度と、口を開きませんでした。

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