210;原型深化.01(姫七夕/牛飼七華)

「ジュライっっっ!!」


 光が舞い、それまで彼と対峙していた黒い影が失われた中をぼくは駆け寄りました。

 ジュライはぐらりと身体を揺らした後でぐったりと片膝を着き、ぼくは再度《リトルワード》を組み合わせた《傷塞ぐ風キュアストリーム》を行使しました。

 表面的な傷であれば直ぐに癒せるはずのその魔術は、しかし未だどくどくと血を流し出す胸の傷を埋めてはくれません。それは損傷ダメージを超えた欠損に到る傷なのです。そしてぼくは、その傷を治す手立てを持ち合わせてはいないのです。


「大丈夫ですかっ!?」

「大、丈夫……です」


 強がりなのは嫌だって判ります。

 ああ、ぼくが詠唱士チャンターじゃなく巡礼者ピルグリムなら――――巡礼者ピルグリムの用いる星霊魔術スピリットマギアなら、このジュライの傷も塞げるのに。


「――っ!」


 でもそんなにかまけている暇はありません。

 今出来る範囲のことを上手く組み合わせて、この状況を切り抜けなければいけないのです。


「ちょっとだけ我慢していて下さい」

「……何を?」

不要説話喋らないで!」


 握り締めたままのペンを持ち直し、頭の中に今描くべき図案を浮かべます。

 こういう時のためのアイテム〈呪符〉をぼくは持ち合わせていませんから、直接ジュライの身体に呪印を刻みます。ああ、また一つが増えてしまいました。


「《生命増強インクリース・ライフパワー》!」


 魔力で記された呪印はジュライの衣服を通してその身体に染み込み、穏やかな新緑色の膜となって包み込みます。

 一時的、本当に一時的にではありますが、ジュライの生命力ヒットポイントを強化しました。最大値を増やすと同時に、増えた分だけ現在値も増加させますから、雀の涙程度でも何も無いよりはマシの筈です。


「……ありがとう」

「まだまだですっ!」


 続けて、痛みを軽減させる《強壮の熱タフネスフィーバー》に加え、能力値のうち俊敏アジリティを強化する《颯の健脚アイデイティン》、強靭ボディを強化する《金剛の躰アダマンタイン》を付与します。

 流石にこの辺りの呪印魔術シンボルマギアは覚えていても両手同時に行使は出来ません。戦闘中に使うようなものじゃないですから。


「……どう、ですか?」


 重ね掛けによって明滅する幾つものオーラを纏いながら立ち上がったジュライは、それを恐る恐る眺めながら同じく立ち上がったぼくをどうしてだか抱き寄せました。

 ぎゅう、と身に寄せる力は決して弱くなく。

 だからぼくも、思わずその背に回した腕でぎゅっとジュライを抱き締めました。


「おいおいっ、イチャついてんじゃねぇぞ!」


 そこに駆け込んできたのはスーマンさんと、そしてレクシィちゃんです。

 良かった――二人も無事でした。


「セヴン! ジュライ! スーマン!」


 ユーリカさんも。


「ナノカは?」

「いや、見てねぇ」

「アイナリィもだ」


 合流出来ていない仲間を探すために辺りを見渡したぼく達の耳に飛び込んで来たのは――


「きゃあああああっっっ!!」


「「「「「!!??」」」」」


 咄嗟に振り向くと、轟々と未だ燃え盛る火が生む煙の向こうから、それよりももっと禍々しい火を携えて――――いえ、、一つの影がゆっくりと歩いて来ます。

 まるで松明たいまつのように掲げたその火はジタバタと二本の下肢を振り回しており、そして悲鳴はその頂点から聞こえていたのです。


 顔を掴み上げ、そしてその掴み上げた手でその方を燃やしているのです。


「アザミっっっ!!」


 その奥に、の姿をぼくの目は捉えました。

 大柄の影は振り向きざまに、もう悲鳴を発していないをぶん投げては、未だ燃え盛る黒いヒトガタをなのちゃんは避けずに受け止めます。


「てめぇっ!!」


 なのちゃんが受け止めると同時に衝撃で吹き飛ぶのと、スーマンさんが狂気を身に宿して駆け出したのとはほぼ一緒のタイミングでした。

 きっとぼくは、それを止めたかった。

 ジュライも、ユーリカさんも、勿論レクシィちゃんだって。

 ぼく達はみんな、スーマンさんの特攻を止めたかった――同じ気持ちだった筈です。

 でもその理由は同時に、ぼく達をそうさせない唯一無二のものでもありました。


 ただただ、怖かった。


 スーマンさんが《バーサーク》を行使した理由もまた、きっとぼく達と同じでしょう。

 そうしなければ、狂気に身を浸さなければならないほど、その存在は怖く、大きく。


 赤々と、爛々と、煌々と輝く双眸あか色は、ここに飛び散ったどんな血よりも、ここに燃え上がるどんな火よりも、その色の強烈さをぼく達の脳裏に叩き込むのです。


「――――オ前ハ、強者カ?」


 そしてぼく達は、誰一人何も出来ないままでその惨劇をただただ見守り続けました。

 恐怖に囚われ無能に成り下がり、逃げることも出来ず、助けることも出来ず、ただただその惨劇を――――




   ◆




 アザミが、やられた。

 あの、デカいヤツに。


 燃えカスになってしまった、黒い亡骸に死に戻りの光は訪れない。

 知っている――――これは、だ。


 あのデカブツが目に宿している赤い光。

 知っている――――あれは、だ。


 ナノも、これまでに何度か使ったことのある、《原型深化レネゲイドフューズ》だ。


「……お墓は、もう少しだけ待ってね」


 炭化した亡骸を地面に横たえ、あのスーマンとか言う狂戦士バーサーカーと交戦を始めたそのデカブツの背中を睨み付ける。

 露出された、筋骨隆々とした黒く灼けた肌。背の中央に刻まれた、大仰な“切”の一文字。


「クっソがぁっ!」

「クハハハハ!」


 何を嗤ってやがる――――ナノの仲間をこんな風にしておいて、何を。

 同じ目に遭わせてやる。

 奪われたものは全部、奪い返す。


「《原型深化レネゲイドフューズ――――」


 思考は黒く混濁してどろりと融け切る。

 同時に、ナノの内側で眠っていた感情が鎌首をもたげて起き上がる。


 復讐を。


 奪われた全てを簒奪して。


 復讐を。


 冒された全てを凌辱して。


 復讐を。


 壊された全てを殲滅して。


 復讐を。


 復讐を。


 お前らが悪を装うのなら。


 復讐を。


 復讐を。


 この身も心も闇に捧げてやる。


 復讐を。


 復讐を。


 光の鎖された漆黒よりも暗い憎悪で。


 復讐を。


 復讐を。


 復讐を。


「――――妖星ハームワット》」

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